- (1) 古事記に登場する「大島」とは
- 8世紀初めに作られた古事記の国生み神話では、イザナギ・イザナミの2神が四国・九州・本州など大八島国を生んだ後、吉備児島・小豆島・「大島」など6島を生んだと伝えられています。
- 「大島」についてはいろいろな島が取り上げられている。身びいきではないが、「浅口郡大島」であると考えて、その輪郭を明らかにしてみたいと思います。
- (2) 地形からの推測
- 今から5千年以上もの大昔の縄文貝塚(中津貝塚・津雲貝塚など)に目をつけて、海抜5〜10mの等高線を5万分の1の地図でたとると「大島」と思われる輪郭が現われます。現在のJR金光駅付近から里庄駅付近を結ぶ山陽線沿いは、幅約400m、広いところで約1Km、長さ約10Kmの狭い海峡、または水道の状態が浮かんできます。
- 東は鴨方あたりまで海が深く入りこんだ湾状で、八重の小島が入り口をふさぐように横たわり、大谷・須恵・佐方付近では大小の谷々がそれぞれ入り江となって深く入りこんでいます。西は笠岡沖から里庄駅付近まで大きな湾状に海が入りこみ、西大島でも大きな湾入がみられます。
- 地図の上では明らかではありませんが、本土の東部では鴨方からずっと奥へ犬飼あたりまで、西部では広浜の谷間奥深くまで、海が入りこんでいた時期があったのではないかとも想像されます。晴天が続き寡雨高温の気候条件と入江の海岸という地形条件が塩作りを盛んにさせたと考えられます。
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