「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」 について


 タイトルとしてはアホみたいだけど、これは元々、ニーチェの言葉らしいです。『偶像の黄昏』というのに載ってるそうですが、確認はしてません。
 僕がこの言葉を見かけたのは、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(Wiki)でした。
 図書館で借りた、新版(新訳)のほうのやつです。

 これは別に『夜と霧』の話ではないし、まるっきり無関係なんですが、一応の説明だけしておきます。

 『夜と霧』はナチスの強制収容所に捕らえられた、ある心理学者の話です。もちろん、その心理学者というのは著者であるフランクル。つまりは、当事者の回想録です。
 彼はごくありふれた一般収容者の一人として、その現場でのことを語ります。どのような暴力、どのような飢え、どのような日常がそこにあったのか。
 ただし、語りそのものは淡々としていて、ドラマチックというわけでもなく、収容所の残虐性についてすら特に強調して書かれているわけではありません。彼はあくまで、その場所での人間性を見つめていました。そこにあった、もっとも汚いものと、もっとも美しいものを。ナチスを声高に糾弾することさえ、彼はしないのです。
 ドストエフスキーが「人間はなにごとにも慣れる存在だ」と言ったことを踏まえて、彼は収容所での生活について、こんなことを言っています。「人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい……。」と。

 ――ちょっと脇にそれますが、『夜と霧』には旧版(旧訳)があります。
 旧版のほうは、訳者による収容所に関する概説や、そこでの残虐行為についての記録、写真なんかが収められています。本文の構成も、新版では短く区切ったり、段落を増やしたりと、けっこう違っています。
 僕は新版のほうを先に読んで、それから旧版を読みました。本そのものの印象は、あまり変わらないのですが、収容所そのものに関する具体的イメージということになると、旧版の解説部分が役に立ちます。そのえぐさ加減について。
 というわけで、読むなら旧版のほうがいいのかな、とも思ったりします。そのほうが、著者の善良さというか、特徴みたいなものが、よりわかりやすくなるような気がするので。

 閑話休題。
 過酷な強制収容所で、彼は最愛の妻の存在(結局、収容所で殺されてしまっている)や、没収されてしまった論文の完成を心の頼りとして、その地獄を生き抜きます。
 彼はあくまで、絶望はしませんでした。
 すべての希望を捨ててしまうこと、人間性の最後の一欠片までも投げ出してしまうことを、彼は断固として拒否します。
 そして、ニーチェの言葉を引いて言うのです。「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」のだと。
 本当に、本当のこととして。


 生きる理由さえわかっていれば、どんなふうにでも生きていける。
 それはあるいは、きれい事や、おためごかしや、絵空ごとに聞こえるかもしれません。
 どうにもならない不運や、どうしようもない状況、こちらには何の非もないのに巻きこまれてしまう厄介ごと。
 飢えや、寒さや、屈辱や、身の置き所のなさや、将来への絶望。
 そういうものを前にしても、同じ言葉を口にすることができるのか。
 ――でも、この言葉はやっぱり真実なのかもしれない、とも思います。

 これから語ることは、正直本当にばかばかしいことだし、ろくでもないことです。それは、ある意味では救いがないし、卑怯だし、眉をひそめるような類のものだし、あるいは怒りすら感じるかもしれません。
 それでも、僕はできるだけ正直に、正確に、それを書き残しておこうと思いました。
 目的は二つあります。
 まずは、一つの足場としてそれを踏み固めておく必要があること。自分を暗い穴の底に落とさずに済むように、あるいは、そのリスクを少しでも減らすために。
 それからもう一つは、ある種のサンプルとして。自分自身ではもう一歩も動けないような、自分の重みにさえ耐えられないような、そんな状況から、それでも生きていくために、何ができるのか、ということについての一つの具体的な事例として。
 もしもそれが誰かの参考になるなら、幸甚だと思います。
 ……けれど結局のところ、これはある種の自己弁護のようなものに過ぎないのかもしれません。

 とりあえず、話をはじめてみましょう。

 まずはじめに、特にどうこう言うまでもないんですが、僕はごく普通の人間です。
 つまり、厄介な病気にかかっているとか、多額の借金を抱えているとか、こみいった精神疾患を患っているとか、どうにもならないしがらみに搦めとられているとか、そういうことはない、ということです。
 もちろん、「普通の人間」なんて存在はしません。多かれ少なかれ、人は変わっているものです。
 でもとにかく、健康で、体に不自由はなくて、(今のところ)貧困に喘いでいるわけでも、厄介な家族の問題を抱えているわけでもありません。緊急的、恒久的に対処しなければならない面倒な事態は存在しません。
 結婚もしていないし、子供がいるわけでもありません。今までも、そしてこれからも。
 ……たぶん、幸いにして。

 僕の特徴としては一つ、非社交性があります。
 ある程度、自閉症的ですらある類のものです。他人といっしょにはいたくない。知らない人間といっしょにいるくらいなら、砂漠の真ん中で一日中つっ立ってたほうがまし、と思っている類の人間です。
 といって、僕は無愛想なわけでも、冷酷でも、空気を読まない人間でもありません。むしろ、親しい人間には怒りをぶつけたり、ひどい態度をとるけれど、そうでない人間にはできるだけ親切に、公平に接しようとします。
 見ためには、おそらくそれほど破綻した人間には見えないでしょう。実際、それは破綻と言えるほど致命的なものとは言えません。
 ――僕はただ、他人と関わらなければならないことが、死ぬほど苦手なだけなのです。

 他人と関わるのが苦手と言っても、それが言い訳にはならないことはわかっています。世界中の人間がみんな社交的で、友達百人も作っていて、隣の席の人間とすぐに会話をはじめる、というわけではありません。
 けれど、僕としてはできれば、生涯誰とも顔をあわせずに済むことや、関わらずに済むことを望んでいるのです。
 そして世の中には、どれくらいの割合かはわからないにしろ、そういう性質の人間がいるということも知っています。

 僕自身としては、その非社交性がどの程度の「耐えられなさ」なのかは、よくわかりません。がんばって努力して乗りこえるべき課題なのか、普通の人になら普通にできる程度の問題でしかないのか。
 だからなのか、その逆なのかはわからないけれど、僕は「書くこと」をはじめました。
 このサイトを見ればわかるとおり、僕はとりあえず小説と呼ばれるようなもの、を書いています。人生についてそれ以外の目的を思いつけなかったし――それは、今でもです。
 この辺のことは「幸せになるとはどういうことか?」でも書いてると思うのですが、特に読み返したくはないので、微妙に言ってることが違っていたりするかもしれません。

 とりあえず高校、大学と卒業し、それで結局どうなったかというと――どうにもなっていません。
 小説は受賞もしなければ誰の目にとまることもなく(それも無理はないと思うけれど)、眠れる才能が発揮されることもなければ、驚くべき運命の転換がやって来ることもありませんでした。
 便利で粗雑でひどく傷つけられる言葉を使うなら、僕はニートになりました。もっとありていに言えば、ひきこもりです。

 僕の望みはただ書いていることで、そのほかのこととは関係を持たないようにしていました。厄介ごと、面倒ごと、困りごとと無縁であること。
 そんな生活がまともでも、正常でもないことはわかっていたけれど、かといって自分でどうにかすることはできませんでした。
 ひきこもりというのは、つまりはそういうことです。自分からはもう一歩も踏み出せないような状況になってしまうこと。
 僕は救いを求めてはいたけれど――当然ながら、それは都合よく与えられたりはしませんでした。

 とはいえ、「自分には書くために欠けているものがあるのではないか?」という思いもありました。まともな人生経験とか、詳細な人間観察とか、その手の類のものです。
 そのために努力する必要があるのではないか、と僕は感じていました。要するに、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」というやつに挑戦する必要が。
 ただ、もしかしたら、本当にそう思っていたというよりは、それがないからダメなんだと、自分で言い訳がしたかっただけなのかもしれません。

 ともかくそんなわけで、ひきこもって数年が経ってから、僕はバイトをはじめました(その前にも、少しだけ働いていたことはあったけれど)。金銭目的というよりは、「書くため」に必要なことだから、として。あるいは、本に対して金を払うということの重大性を理解する必要があるのだ、と思って。
 実際のところ、それはおそろしくしんどいことではありました。ひきこもりの人間が、そう簡単に行動できるわけなんてないのです。
 そのためには相当な覚悟と、うまい理由づけが必要だし、もっと必要なのは、何とか自分自身をだませることでした。
 ひきこもりとして抱えている、様々な想念やら、ぐちゃぐちゃした感情やらをだませることが。

 幸いなことに、バイトそのものはすぐに決まりました。電話も面接も死ぬほど辛いことではあったけれど、ともかくとして。
 内容は、閉店後の店内の清掃です。
 何とかバイトをはじめたその頃、僕はしょっちゅう自分に言いきかせていました。別に誰かが死んだりするわけでも、僕が死ぬわけでもないんだ、と。
 そうでなければ、とても耐えていられなかったのです。

 とはいえ、何ヶ月かが経って慣れてくると、仕事そのものはどういうものでもありませんでした。
 深夜で、二時間程度で、ちょっとややこしいけど基本的にやることはいっしょだったからです。手順さえ覚えてしまえば、あとは習慣的、無意識的にこなすことができました。
 仕事中は動いているだけだし、終わればすぐに帰るだけ。無理に誰かと話をしたり、親しい関係になる必要もありませんでした。
 収入はあってないようなものではあったけれど(月で3万5千円くらいだった)、とりあえずはそれが問題になるわけでもありませんでした。

 でも結局、僕はその仕事を五年ほど続けたすえに辞めました。

 店内に大音量で流れているクソみたいな音楽に耐えられなかったことや、会社の人間が不在で、責任者が同じバイトの人に任されていて、その辺の仕事のあり方が不明確でぎくしゃくしていた、というせいもあります。
 それから、別の問題として僕が僕を処理しきれなくなったことがありました。
 小説(のようなもの)を書き続けてはいましたが、そこに目ぼしい変化はありませんでした。死ぬような思いではじめたバイトは、実際問題として何の役にも立っていませんでした。
 むしろ、それを重荷のようにさえ感じはじめていました。
 そして投稿作品が秋の落ち葉みたいに何の甲斐もなく落選していくと、それは本当にしんどいことだったし、うまく耐えるのが難しいことでした。書くことそのものが、無意味に感じられてしまうからです。
 書くことが無意味なら、生きていることも、もちろん。

 辞めたいということを伝えるのは、バイトをはじめるときと同じくらい――というより、それ以上にきついことでした。
 何とかかんとかそうしましたが、それは僕がよほど弱っていたせいでできたことだったのです。もしも僕に、言い訳を考える気力さえ残されていない、というふうでなければ、それは無理だった気がします。
 そして次の人が決まるまで、半年ほどの時間がかかりました。僕はその時間を、ただただ耐えて、耐えて、耐えていました。
 いつか終わりが来ることだけを希望にして。

 そうしてまた、ひきこもりに戻って、すべては元の木阿弥になりました(とはいえ、それは実際には、仕事をしているあいだとたいした違いはありませんでした。状況的には、部屋を一つ隣に移ったくらいの意味しかなかったからです)。
 五年間の経験はほとんど何の救いもなかったとはいえ、僕にはそれでも学んだことはありました。
 それは、次の二つのことです。
 ・自分がそれほど劣悪な人間でもないということ。
 ・どんなことにでも、慣れることはできるらしいということ。
 本当に、僕はそれを学んだのです。

 ここからの部分はあまり語りたくはないのですが、一番重要なところでもあります。

 僕がほうほうの体でバイトを辞めて、しばらくした頃、兄からのクレームが入りました。
 兄(四人兄弟の、一番上です。ちなみに、僕は一番下)は、僕と違ってまともに働いています。たぶん、兄弟の中では一番まともというか、社会的です。家族がいて、東京のほうで勤めています。

 クレームというのは要するに、働け、ということです。
 それはまともであり、当然であり、現実的必要問題であり、控えめに言ってもごくごく当たり前の要求ではありました。
 ただしそこには、何か不穏に感じてしまうものもありました。
 兄たちの主張は、いずれ自分たちに迷惑がかかるからそうしろ、という話のようだったのです。
 自分たちに迷惑――

 この辺の細かいところは、実はよくわかっていません。
 僕にわかるし、想像もできるのは、兄たち一家に多大な迷惑と不和と心配と不安を与えている、ということです(何しろ、そのせいで奥さんと離婚するという話まで持ちあがったらしいのだから)。
 それはまったく申し訳なく思うし、何の文句もつけられないし、つける気もありません。兄はまったく正しいし、まともだし、悪くない。

 ただしそれでも、余計なお世話だという気がするところはあります。
 迷惑といっても、こっちとしては何かをして欲しいというわけではないのです。やがて貧窮するとしても、それで助けて欲しいというわけではありません。兄たち一家に何かを要求するようなつもりはない。見捨ててくれればいい。
 そんなわけにはいかない、ということだし、それはそれで、そうだろうとも思うのだけど――

 これは僕の邪推のような気もするところですが、兄たちは社会的な面子としてそうしてくれ、と言ってるような気もします。完全に、自分たちの問題として。
 要するに、いい歳をして働きもせず、気ままに(!)生きている身内の存在というのは、世間体が悪い、ということです。
 本当に、その辺のことはよくわかりません。実際問題としては、確かにそうなのですが……
 あるいは、そんなふうに思ってしまうのは、僕がくそみたいな人間なせいなのかもしれないし、社会的責任というやつを軽視しすぎているせいなのかもしれません。
 それでも、「自分たちにとって迷惑だから」という動機は、個人としての領分を侵すもののような気はするし、こちらの存在そのものを否定されているようにも感じられます。
 はっきり言って、確かに僕の現状はとても誉められたものではないし、控えめに表現しても、ゴミそのものなのかもしれません。
 けど、それでも――

 反論の余地なんて、顕微鏡で探したってどこにもないことは確かです。
 ただし一つだけ、個人的に許せないことはあります。
 それは兄たちが、死なれることさえ迷惑だと宣言したことです。言葉として、そういうふうに言ったわけではありません。けど実質的に、そう言ったのと同じことでした。
 好き放題やったすえ、責任逃れとして自殺しようなんて卑劣な行為だ――ということ。
 つまりは、そういうことです。

 正直なところ、僕はほかに解決策がないのなら、人は自殺する以外に方法がないのではないか、と思っています。
 それがどんな地点なのかは知っているし、僕自身が何度も何度も、それを考えていたせいでもあります。僕の部屋には、そのためのロープが用意してあります。
 もっともそれは、ただのヒロイックな陶酔や、都合のいい感傷なのかもしれません。自殺はそれほど便利なものではない。
 けど僕は、最終的なところでは、人は自分の命は自分で好きに扱うことができる、と考えています。自殺を罪だと思ったことは一度もありません。
 その辺は、本当によくわかりません。命に対する冒涜だと言われればそうなのかもしれないし、必死で生きている人間を虚仮にするものだと言われればそうなのかもしれません。
 ただ、僕としては自殺者に対して勝手なやつだと怒りを感じるなんてことはしたくありません。そのことを、ただ、悲しく思うのならともかく。
 実存は生存に優先する、と僕は思っています。
 いや――
 それは結局、僕が安易な考えかたをしているだけなのかもしれません。


 話が相当にそれましたが、ともかく、兄としてもそれは、気の進む話でなかったのは確かだと思います。面倒な弟を抱え、ほかにも心配しなければならないことがたくさんあるというのに。
 何にせよ、僕が面と向かって忠告されたのは、こういうことです。
 人が生きていくうえで、三十年で大体三千万必要になる、年金をもらうようになるまで、それだけの金をどうにかして工面しなくてはならない――
 僕の通帳を預からせてくれないか、とさえ言いました。一種の禁治産者みたいなものです(これは結局、そのままになっています。というか、働くときに振込先がないと困るし、第一、僕は浪費しているわけではないので、あまり効果はありません)。

 通帳のことについて、僕はその時まったく反論しませんでした。仕方ない、と思う以外、どうしようもありませんでした。
 まともな社会通念や、道義的責任や、現実的な問題からすれば、どんなことを要求されても、僕のほうに断わる権利はないような気がしました。
 ただ――
 血の気が引いたのは事実だし、かなりのショックではありました。それだけのことを要求する権利が相手にあって、僕にはそれを断われないのだ、というのは。
 そして何より、何の温かみもないような未来に対して、唐突に、何の訓練もなく、強制的に向きあわなくてはならなくなったことに対して。

 もう一度言っておくと、僕には何の文句をつける権利もないし、そんなつもりもありません。
 ただ、それが僕にとってどれくらいきついことなのか、ということについては、兄にはわかっていないようでもありました(まあ、それもそうだという気はします。これだけ長々と生きてきて、そんな初歩的なことも理解していないなんて、と)。
 とはいえ、僕としてはそんなわけのわからない現実をいきなり要求されるくらいなら、草原の真ん中でゆっくり骨にでもなっていくほうが、ずっと容易なことだったのは事実でした。

 兄からの警告を待つまでもなく、このままでいればどうなるかは、どう考えても明らかでした。
 時間がたつほど、問題は厄介に、面倒に、こんがらがって来ます。
 両親は亡くなり、何の技能も、意志も、タフさも持たない人間が裸のまま残されることになるのです。
 それはどう考えても、うそ寒い事実でしかありません。
 ひきこもりが社会問題になるのも、当然のこととはいえます。

 ともかく、現状を改善する必要がありました。
 改善というか、奇跡の到来を期待するというか――海が割れる程度のものではないにしても。
 けど、そんなものが都合よくやってきたりはしません。
 物事はあくまで、現実的に対処されなければなりませんでした。

 で、まずやったのは、小説の投稿サイトを利用することでした。
 賞への応募ではなくて、投稿サイトです。
 それは、けっこう気の進まない行為ではありました。そもそも、バイトを辞めるきっかけの一端を担っていることでもあったからです。
 サイトには何十万という作品が投稿されていて、それだけでもしんどくなるような数字です。どう考えても小説を書く人間が大量にいて、そこには立錐の余地さえないように思えました。

 半ば以上は予想通りではあったけれど、僕が投稿した作品は見向きもされませんでした。正確には、大半の作品がそうであるのと同じ経過をたどった、ということです。つまり、「埋もれた」わけです。
 何しろ作品数が膨大なのだから、当然のこととしてそうなります。
 それはまったく理解可能なことだし、普段自分がやっていることを考えても、文句をつけるような筋合ではありません。僕たちは本屋に行ってすべての本を買うわけでも、ネット上の動画を最初から最後までじっくり見るわけでもないのだから。
 にもかかわらず、僕にとってそれは恐ろしくきついことだったし、高々度から地面に叩きつけられるのと同じくらい、物理的なショックを受けることでもありました。
 それは、いつかは慣れることなのかもしれません。あるいは、気にするようなことではないのかも。
 けれど今のところ、それは僕にとって、けっこう致死的な行為でもあるのです。

 頼みの綱というほどでも、藁にすがるというほどでもないにしろ、当然ながら投稿は芳しい結果を出してはくれませんでした。
 そしてそれは、二つの意味で本当にきついことでした。
 一つは、いつものごとく、書くことが無意味に思えること。読まれない文章に何の意味がある? というわけです。落選のたびに陥ってたのと同じ、暗くて深くて冷たい穴ぼこです。
 もう一つは、現実的な問題として、そんなことをしている場合ではない、ということ。要するに、一銭にもならない小説(のようなもの)を書いている猶予や余裕は、残されていないということです。
 ただ好きなように書いているだけ、というのは許されることではない――
 とはいえ、「売れるもの」を書くというのは、僕にはできそうもないことでした。それは要するに、人気のジャンルなり、ストーリーなり、設定なり、キャラクターなりを作品に盛り込む、ということです。
 けど僕には、そんなガッツも、センスも、技術も、運否天賦も、持ちあわせてはいないのです。何より、そんな望みも――

 ということは、つまるところ、書くのをやめろ、ということでした。お前はもう、書いていてはいけない。

 そのごくまっとうな結論は、けれど僕にとっては死ぬほどきついでした。
 本当に、壊れそうになるくらいに。
 死んだほうが、ずっとずっとましだと思えるくらいに。
 たださえ好きでもないこの世界で、もしそうなったら生きていることさえできない。自分や、自分のやってきたことが、無意味で無駄で無価値であると認めることに、耐えられない。
 ここにはいられない、かといってどこに行くこともできない。
 何も決められない、それでも決めなくてはならない

 それは本当に本当に、何の救いも、希望もないことでした。世界が存在する意味も、意味のない世界に自分が存在する意味も、ありはしない。
 月の裏側にでもいるほうが、よほど居心地がいい――

 そんな場所で、僕は何とか自分を守る必要がありました。
 自分をまともに保つための方法を見つけること――例えそれが、間違ったものだとしても。

 ――結局、その方法として僕が唯一有効性を認められたのは、「世界を意図的に閉じる」ことでした。
 何十万人だかが、自分と同じようなことをしている。明らかに自分には書けないような面白い作品が、そこら中に存在している。そして、どう考えても下らない作品より、劣ったものしか自分には作ることができない。
 そういった思考から身を守るために、完全に目を閉じてしまうのです。近づくことをやめ、近づこうとすることさえやめてしまう。その思考を惹起するものに対しては、慎重に地球一周分も距離を保って、触れることさえないようにしてしまう。
 人は見たいものを見る。
 だから、見たくないものを、見ないようにすることも――

 それが正しいことなのかどうかは、わかりません。人は、成長するために痛みを必要とするそうです。僕はそこから、卑怯にも逃げだそうとしています。
 でも、ほかに方法はありません。その痛みをもたらす傷は、致命傷でありすぎるのだから。
 その場所でなら、僕は書いていることができるし、書いていることができれば、生きていることができます。
 単純な三段論法です。
 生きているためには、書いていられなければならない。書いていられるためには、世界を小さく閉じなければならない。
 ――なら、世界を小さく閉じるしかない。

 正しいか間違っているかはともかくとして、それで何とかバランスがとれることがわかりました。月の裏側を望まなくても済むことが。
 そこでなら、僕は書くことを好きでいられるのです。その無意味さや無駄さや無価値さを考えずにいられることが。
 そして何とか、生きていられることが。

 とりあえず、実存の問題はそれで補強が済みました。つぎはぎを当てただけの乱雑なものだとしても、とりあえずは。
 だから次は、生存の問題に対処する必要がありました。
 つまり、経済的な問題として。より即物的に言うなら、金銭の問題として。
 もっと具体的に言うなら、働くこととして。

 いくらか語弊のある言いかたをすると、僕は働くこと自体には特に抵抗はありません。むしろ、仕事はきちんとやるほうだと思います。
 僕が死ぬほど耐えられないのは、他人と関わらなければならないことです。
 そして、よく理解できていないことをやらされること。
 つまるところそれは、一般的な「仕事上のストレス」に耐えられない、ということでもあります。

 けど、ほかに方法なんてありません。売れるものを書こうとして、書けなくなるくらいなら、むしろ何でもいいから働いて金を稼いで、それで好きに書いていられるほうがましです。
 いろいろなことを端折って書くと、僕はまたアルバイトをはじめました。今度はスーパーの、夜間の仕事を。
 目標は低く、月に十万程度。週に四日程度の勤務。
 そのくらいなら、可能なような気もしました。はっきりしたことはわからなかったし、正直に言えば考えたくもないことではあったけれど、たぶん大丈夫なはずだ、と。

 バイトを決めるためには、当然ながら一連の儀式をこなさなくてはなりませんでした。
 電話、履歴書、面接――
 特に電話は、死ぬほど苦手なものの一つです。しかも、あまり人としゃべっていないせいで、声がうまく出せないようになっていました。
 電話がかかってきて、予定日時やら持っていく物について話しているとき、携帯電話を持つ僕の手は小刻みに震えていました。

 普通の人は、その辺のことについてどんなふうに考えているのかは、僕にはわかりません。
 バイトなんて、たいしたことじゃない。面接なんて、緊張するほどのものじゃない。履歴書なんて、適当に書いておけばいい。
 十段階スケールで、それらはどの辺に評価されているのでしょう。
 けれど、知らない人間といっしょにいるくらいなら、砂漠の真ん中に一日中つっ立っていたほうがまし、と思うような人間に、それは難しいことでもあるのです。一つのステップは、途方もなく高くそびえていて、いちいちしんどい思いをしなければ、そこを越えることはできないのです。
 でもとにかく、僕はそうしました。
 そうするほか、どうしようもないことがわかっていたから。

 とはいえ僕も、いくつか学んだことはありました。そういうしんどさは、ある程度仕方のないもので、そのしんどさ次第も、ある程度はその負荷を予想できるものなんだ、と。
 そして結局のところ、たぶん大丈夫なのだ、と。
 もしくは――
 できなくても、大丈夫なのだ、と。
 もし、相手が「君はダメだ」と言うのなら、たぶんそうなのでしょう。少なくとも、相手にとっては。
 でもそれは、僕自身とはあまり関係のない話なのです。それは「僕とその相手」との関係性の中での話であって、「僕と僕自身」や「僕とその他の誰か」との関係性の話ではありません。
 たぶんこう思えることは、けっこう重要なことだと思います。誰かが自分を否定したとしても、それは「相手の問題」であって、「僕の問題」ではないのです。
 そう思えなければ、いたずらに自己を傷つけることになります。
 ある場合には、致命的に。
 物事に対してとても傷つきやすい人がいて、苦しんでいるとすれば、僕にアドバイスできることは、そういうことになります。それは自分にはどうしようもない、相手の問題なんだ、と。

 今のところ、僕の現状はそんなふうです。
 実存=書くこと
 生存=アルバイトで、月に十万程度稼ぐ
 これでうまく行くかどうかはわかりません。何か面倒なことや、解決不可能の問題や、耐えられないような事態が起こる可能性はあります。
 けれど――
 もしそうなったら、また最初からやり直せばいい。
 今はとりあえず、そう思っています。

 かなり長々と書いてきましたが、要するにこれは、ひきこもりが現実と向きあう話、とまとめてしまうこともできます。年齢や、両親や、家族や、経済問題、その他諸々。
 本当に向きあっているかどうかは、かなり疑問なところはありますが。
 けど、たぶんこれが、僕がこの世界に対して最大限譲歩したうえで可能な、唯一の道でもあります。

 僕の望みはある意味では、放って置かれることです。
 それが正しいのかどうかは、ともかくとして。たぶん、そうでしかいられないのです。
 もしくは――
 そうでないようにするには、払うべきコストがあまりに高すぎて、僕には努力のしようもない、ということなのだと思います。
 僕は誰かといっしょにいたいとか、何か話がしたいとか、共同で目的にあたりたいとか、どこかに行きたいとか、そういう欲求はありません。
 本当に、そうなのです。たぶんほとんど、ゼロと言っていいくらい。
 こんな人間に社会性を求めたり、期待しても無駄というものです。それはきっと、お互いにとって不毛なことでもあります。

 何故、そうなったのかはわかりません。はじめからそうだったのかもしれないし、何らかの経験の蓄積が、そこに導いたのかもしれません。あるいは、あらかじめそういう運命だったのかもしれません。
 正直なところは、僕にもわかりません。
 わかるのはただ、何故かは知らないけれどそうなった、ということだけです。
 カミュの言うとおり、「いまや、問題は論証ではなく、生きることだ」ということになるのかもしれません。
 いずれ必ず転がり落ちるとわかっている岩を、それでも頂上へと運ぼうとするみたいに。

 僕の望みは、ただ書いていられることだけです。書くことを好きでいられること。
 できれば、静かで、平和で、孤独な場所で――
 それが可能なあいだは、僕はそれなりに幸せに生きていることが、存在することができます。暗い穴に落ちたり、小さな箱に閉じこもったりしなくてもすむことが。
 それがまともなことではないとしても、僕の望みは本当にそれだけなのです。何度も、何度も、何度も考えたすえに、そういう結論に達しました。とりあえずの「答え」として。
 今のところ、僕はその場所でようやく、何とか生きていることができるのです。

 念のために言っておくと、だからといって、「書くこと」が僕にとって一点の曇りもない喜びだとか、迷いのない願望だ、というわけではありません。
 相変わらず、そこには別の可能性の誘惑があります。
「――もしかしたら、もっと価値のあることができたかもしれない」「――もしかしたら、もっとうまく生きることができたかもしれない」
 あるいは、お決まりの弾劾もあります。
「――才能のない人間がそんなことをしたって、無駄というものだ」「――それに見あうだけの努力を、犠牲を、お前は払っているといえるのか?」
 でも結局のところ、僕にはそれ以外のことが思いつかないのです。この世界に何らかの意味や、価値を与える方法が。
 よきにつけ、あしきにつけ。

 たぶん、僕の人生には意味なんてないのだと思います。
 譲歩のない自己肯定や、十分な社会参加、誰かに必要とされることや、誰かを幸福にすること。結婚すること、子供を生み育てること。何かを成し遂げること。それらは本質的に、僕には欠けているからです。
 けれど――
 意味のある人生って、何ですか?

 とりあえずの場所として、僕は今ここにいます。
 満足だろうと、不満足だろうと、幸福だろうと、絶望しかなかろうと。
 たぶん、ここにしかいられないのだと、僕はようやく納得しはじめているのだと思います。少しは、これでいいのだとも思いながら。
 ――僕は、僕でしかいられない。
 誰かが、誰かでしかいられないのと同じように。

 結局のところ、僕たちは「まだ試されている可能性」なのです。
 どれほどひどい状況だろうと、もうどうにもならないと思っていても、自分自身の重みにさえ耐えられないとしても――それでも。
 そこには常に、希望が含まれています。どんな暗い絶望や、どれだけ深い救いのなさにあっても、常に善きものが含まれている可能性が。
 誰かを励ましたり、誰かを幸せにしたり、誰かを助けたりすることが。
 それが直接的であるにしろ、間接的であるにしろ。
 だからとりあえずのところ、僕はまだ生きています。この、「まだ試されている可能性」の中で。
 ――そしてたぶん、あなたも。

戻る