谷深い山村の奥山に、一匹の雪女が住んでいました。 雪女は冬には山に雪を降らせ、時に迷い込んできた旅人を氷らせてしまう、恐ろしい妖かしです。 奥山には深い洞窟があって、そこには年中氷の溶けない氷室がありました。その氷室の氷のうち、雪の結晶を中に含んだものは、次第にその結晶が大きくなって雪女となるのです。 ある年、そのようにして雪女が一匹生まれました。 生まれたての雪女は人間の赤ん坊と変わりません。それで先の雪女がその子の世話をしました。でも、その雪女は言いました。 「お前は不幸な子だね。氷室に入ったかすかなひびから陽の光を浴びてしまった。ひびはすぐにふさいでやったが、生まれる前にわずかでも陽の光を浴びてしまった雪女は、あたたかさというものを知ってしまうのだよ」 雪女の子供は一週間もすれば立ち上がり、一ヶ月もすれば言葉を口にし、一年もすれば普通の子供と変わりません。 しかし雪女には名前というものがありませんでしたから、先の雪女はその子を「小さいの」とよび、その子は雪女を「ねえや」とよびました。 ある冬の日、ねえやは小さいのを連れて山に雪を降らせに行きました。その時、村の中を一瞬だけ通り過ぎたのですが、小さいのはその様子が忘れられませんでした。 帰ってから、「あの赤々と光っていたものはなに?」と小さいのは訊ねました。 「あれは火というものだよ。我々、雪女はあの火に触れると水になって死んでしまうのだ」 ねえやは答えます。 「あの白い煙を上げていたものはなに?」 と、小さいのは訊ねました。 「あれは人間の食べ物だよ。人間どもは獣の肉や草木を汁で煮て食ってしまうのだ」 小さいのがいつも食べているのは、ねえやが作ってくれたつららの入った汁や、雪で作った団子でした。 「オラ、その汁食ってみてえ」 と小さいのは言います。途端にねえやはきつく叱りました。 「そんな事したら、お前は溶けてなくなってしまうんだよ。悪いことは言わないから、そんなことはおよし」 「でもオラ、――食ってみてえ」
それからしばらくして、村は大雪になりました。こういう時、村では「雪女の息が吹く」と言って、固く戸を閉めて囲炉裏に火をくべます。 そうした村の一軒に、年寄りの夫婦と孫息子が一人住んでいる家がありました。子供の両親は早くに亡くなってしまい、三人で暮らしています。 外では雪がごうごうと吹いていましたが、家の中には火がともり、あたたかでした。 「じいちゃん、雪はなんで降るんだ?」 と囲炉裏のそばで子供が訊きました。 「うん。それはな、昔、子供を亡くした母親がおってな。それを憐れに思った神様が雪を降らせて、それで子供を作ってやったんだ。けどな、その子供は冬の間しか居られんで、春には溶けてしまうんだ」 おじいさんは火に木をくべながら、物語りました。 と、その時です。 トン、トン。 と音がして、扉が叩かれました。そんな話をしていた時のことですから、子供はびっくりしてしまいました。が、おじいさんは、 「誰かね?」 と大声で尋ねました。外は猛吹雪だったからです。 「すみません、すみません」 声はどうやら、子供のようでした。 「オラ、道に迷っちまったんだ。どうか中に入れてくだせえ」 不審に思いながらも、本当なら可哀相なことだと思って、おじいさんは、「今、あけてやる」と言って、戸を開けてやりました。 外に立っていたのは、赤い着物を着た小さな女の子でした。おかっぱ頭の、どこかぼんやりとした眼をした子です。 「こげな雪の中、大変だったなあ。まあ上がっといで」 と、おじいさんはその女の子を囲炉裏のそばに座らせてやりました。 「なにかあたたかいものでも食いたかろう。今からわしら飯にするが、お前も食っていくか?」 「うん、オラ食いてえ」 と、少女は答えます。 それでおばあさんが鍋の仕度をして、囲炉裏の火でぐつぐつと汁が煮られはじめました。 「オラ、こんなあたたけえもん初めてだ」 と少女は囲炉裏の火を見て言いました。 「火を珍しがるなんて変な奴だな」 少年が少女に言います。 それから汁が出来上がると、少女はおいしそうにそれを食べました。 「あったけえ。オラ、こんなうまいもん食ったの初めてだ」 と、笑顔で言います。 「しかしおめえ、見たことねえ顔だな。どこから来たんだ?」 と少年が訊ねました。 「山の奥だ」 「うそつけ。山の奥には人なんて住んでねえんだぞ」 「でもオラ、ねえやと一緒に住んでるんだ。ねえやは時々おっかねえけど、とってもやさしくて、オラ大好きだ」 「ふうん、姉ちゃんと住んでるのか。大変だな」 食事が終わってしまうと、おじいさんが言いました。 「今日はもう遅えから、うちに泊まっていっちゃどうだ。姉ちゃんも心配してるだろうが、この吹雪じゃ道も分からんだろう。今晩はあったけえ寝床で眠りな」 「うん、オラそうする」 と少女は喜んで言いました。 そうして部屋に布団がしかれ、少年と少女は同じ布団で眠ることになりました。一緒に布団をかぶると、少年は少女の冷たさにびっくりしました。 「お前の手、まるで氷みたいに冷たいんだな」 「あんたの手、まるでお日様みたいにあったかい」 そして二人は眠ってしまいました。
翌朝、少年が眼を覚ますと、驚いたことに少女の姿はどこにもありませんでした。呼びかけても返事はありません。 ふと、気づくと、少年の手にはひとひらの雪の結晶がのっていました。それは朝の光の中で、小さく溶けて行きます。 「不幸な子。雪女は冷たい冬の中でしか生きられないというのに」 ねえやがそっと、呟いたようです。 その日、村には雪女の涙である大粒の霰が降り続きました。
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