[少年と影]

 リストは村ののけ者でした。
 なにしろ父親が村の大事なたくわえを盗んで逃げてしまったのです。他に身よりもなく子供だったリストは、自分自身の罪ではないとはいえ、どうすることもできずに村に残るしかありませんでした。
 そういうリストを憐れんでくれる人もいましたが、大方は盗人の子だといってののしるばかりでした。
 リストは、だから大抵は村のはずれの湖に一人でいることが多かったのです。
(馬鹿にしている)
 とリストはまんじまりともしない心で湖に石を投げ込んだりしています。
 もちろん、それでどうにかなるわけではありません。
 でもリストはそうやって夜中までいることもよくありました。村にいても、リストにはつらいばかりなのです。
 そうしたある日、月が煌々と照っている晩のことでした。
 リストはいつものように石を投げ込んでいたのですが、不意に人の足音がしました。
(誰だ?)
 せっかく一人になれるところに誰かやって来たことを不愉快に思いつつ、リストはそちらのほうを見ました。
 でもそこにいたのは見知らぬ少年です。
 背格好はリストとたいして変わらないでしょう。銀の瞳に、夜目にも鮮やかな黒い髪をしていました。顔立ちは整っていて、ちょっとした絵のようです。
(黒い髪)
 それは大変珍しいことでした。リストはそんな髪の人間を見たこともなかったし、聞いたこともありません。
「何をしているの?」
 と、見知らぬ少年は訊きました。その声はまるで暗闇を伝わってくるようで、体の底まで自然にしみこんでいくように感じられます。
 リストはちょっと戸惑いながら、「石を投げているんだよ」と答えました。
「どうして、石を投げているの?」
 少年はまだ質問してきます。
「どうだっていいだろう」
 リストは少しむっとしました。そんなことは訊かれたくもなかったのです。
「でも、なんだか悲しそうだ」
 この言葉に、リストはかっとなりました。
「お前になにが分かるっていうんだ。まるで関係のない父親のせいで僕をのけ者扱いにする村人たちを、僕は嫌ってここにいるんだぞ。それがどうして悲しんでいなくちゃならないんだ」
「――じゃあ、僕と一緒だね」
 と不意に少年は言いました。
「僕も変わり者だっていわれてるんだ。珍しいんだ、僕みたいなのは」
 それを黒い髪のことだと思って、リストはこの少年に対する苛立ちがすっとなくなってしまうのを感じました。
「君、名前はなんていうの?」
 とリストは自分でも思わず訊いていました。
「トフェル」
 それがリストとトフェルの出会いです。

 リストとトフェルはそれから何度も会いましたが、奇妙なことにそれはいつも夜中のことでした。トフェルが夜中の他にはどうしても会えないというのです。
 ですから、いつもリストが湖にやってきて、暗くなるとトフェルが現れる、という具合でした。
 リストはそのことを訊いてみましたが、トフェルは、
「それは秘密なんだ」
 と言うばかりで答えてくれません。
 トフェルには、他にもいくつか奇妙なところがありました。例えば、
「君のお父さんとお母さんはどうしてるんだい?」
 とリストが訊くと、
「空の上で追いかけっこしてるんだ」
 と答えます。また、
「君はいつもなにを食べてるんだい?」
 と訊くと、
「ろうそくの光や、空から降ってくる太陽や月の光を食べてるんだ」
 とトフェルは答えます。
 いつもそんな調子なので、リストにはトフェルがいったい何者なのか分かりませんでしたが、けれどそんなことはまるで気になりません。
 村に居場所のないリストにとっては、トフェルは唯一の友達だったのです。お互いに似た境遇であると思うことで、リストは非常な親近感をトフェルに覚えていました。
 だからリストはいつも自分からしゃべるばかりで、トフェルのことがよく分からなくても、たいして気にすることはありませんでした。
 そしてある日、事件が起こったのです。

 事件というのは村の水車小屋が壊されたことでした。水車小屋は小麦の粉ひきにも使われていて、村にとってとても大切な場所です。
 壊されたのは、夜中のうちでした。朝一番に粉ひきにやってきた奥さんが、それを見つけたのです。
 幸い、壊れたのは歯車が一つきりで、すぐにも修理することはできましたが、何せことがことでした。噂が広まって、すぐさま、
「リストが日頃の腹いせにやったんだ」
 ということになりました。
 運悪く、その日リストはいつものように湖に行っていましたから、誰もリストを弁護できる者はいません。それに常日頃から何かとのけ者にされているリストです。
「俺は夜中にリストが水車小屋に向かうのを見たぞ」
 と言いだす者まで出る始末でした。
 リストは言われもなく村の集まりに呼び出され、無実の罪をかせられました。もちろん、本人は違うと主張しましたが、元より信じられるはずもありません。
 リストは悔しくて涙が出そうでした。
 結局、村の牢屋にリストは入れられることになりました。しばらくすれば出してもらえますが、もう村にいられなくなるのは明らかです。
(馬鹿にしている)
 と牢屋の中でリストは拳をぎゅっと握っていました。
 捕まえられたその日、リストはあまりの悔しさにまったく眠れずにいました。
 が不意に、人の気配がします。
 目を上げると驚いたことに、部屋の中にトフェルが立っていました。
「どうして……?」
 扉は少しも開いてはいません。
「君の無実を晴らしに来たんだ」
 と、トフェルは言いました。
「扉の鍵は開けておいたから、明日の朝になったらみんなのところに行くといい。そこで本当のことが分かるから」
「でも――」
「ごめん、なにも訊かないでほしいんだ。それから、しばらく目をつむっておいてほしい」
 リストはなにも言えず、その通りにします。
 ふたたび目を開けたとき、そこにトフェルの姿はありませんでした。

 次の日、リストはトフェルに言われたように扉を開け(扉はトフェルの言ったように鍵を外してありました)、村長の家に向かいます。
 そこではちょうど水車小屋の修理について話しあわれていて、村の主だった人間はみんな集まっていました。
 リストが入ってくると、当然のことですが誰もが驚きました。
「どうやって出たんだ?」
 とか、
「なにしに来たんだ?」
 などと訊かれます。
 でもリストにしてみても、トフェルに言われてこうしてやって来ただけで、自分でもどうしてよいか分かりません。
 その時、
「この事件の本当をお教えします」
 と、どこからか声がしました。
 トフェルの声です。みな一様にびっくりしていますが、中でも一番驚いたのはリストです。
(どこにいるんだろう?)
 と辺りを見回してみましたが、どこにも見当たりません。
 その間にも、トフェルの声は続けています。
「水車小屋を壊したのはトフェルではありません。それをやったのは、子供たちです。夜中に水車小屋で遊んでいた子供たちが、誤って歯車のねじをとってしまったのです」
 またもやみんなびっくりしましたが、なにせ得体の知れない声の言うことですから、放っておくわけにも行きません。おっかなびっくり調べてみると、すぐにその通りであることが分かりました。
 リストの無実は証明されました。
 自由になってもしばらくの間、リストは湖には行きませんでしたが、ある日の晩に出かけてみました。
 するとそこにはトフェルの姿があります。
「やあ」
 とリストはどう声をかけていいか困ったように言いました。
 トフェルは黙って、ちょっと笑っただけです。
 石を一つ拾って、リストは湖に放り投げました。
「あの時、声がどこからしているのか分かったよ」
 と、リストは言いました。
「影だったんだ。僕の影から、あの声はしていたんだ」
 トフェルはなにも言いません。
「君は影≠セったんだね。君の親のことを訊いたとき、あれは月と太陽のことだったんだ。君の食べるものを訊いたとき、あれは光を遮ることを言ってたんだ」
 なお、トフェルは黙っていましたが、
「うん、そうだよ」
 と答えました。
「僕は影の国の住人なんだ。だから明るい太陽の下では影にしっかり固定されてしまっていて、月の柔らかい光の下でないとこうして自由に動くことはできないんだ。そしてそうやって自由に動き回ることは、僕の国では非常に変わり者のすることなんだよ」
 トフェルは石を一つ拾って、リストのように湖に向かって放り投げました。
「自分が影であることを人に知られてはいけないんだ。でも僕はその禁を犯して君を助けてしまった」
「どうなるの、君は?」
 とリストは訊きました。自分を助けるためにトフェルが罪をかぶったことが、リストにはたまらなく哀しく思えました。
「分からない。裁判にかけられて、罪を決められるんだ」
「ぼく、僕のせいで……」
「違うよ」
 とトフェルは澄んだ笑顔を見せます。
「君のせいじゃない」

 それからしばらくして、影の国でトフェルに判決が下されました。
 トフェルに下されたのは、影の国からの追放と、トフェルを本物の人間≠ノしてしまうことでした。
「どうなってしまうのかな……?」
 とトフェルはさすがに不安そうでした。なにしろトフェルはそれまでずっと影として存在し続けてきたのです。
「大丈夫だよ」
 リストは、どう微笑んでよいのか分からないようでした。
「君には僕が、僕には君がいるんだから」

――Thanks for your reading.

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