[処刑]

 その囚人の死刑が決定したとき、慣例に則(のっと)って最後の希望が聴かれることとなった。
 ――美しい習慣、死に対して与えられる寛大なる慈悲。
 望みを尋ねられ、死刑囚の男はこう答えた。
「私のこの顔を治してください」
 その男の面相には、長年の宿痾となった先天性の奇形があった。それはあまりに歪な変形で、見るものを例外なく不安にさせた。自分の顔の、鼻や耳の位置を我知らず確認してしまうほどに。
 収監時の検査によって、男の奇形は決して治療不可能なものでないことがわかっていた。それにはただ、処方された薬を服用しさえすればよい。しかし根治は不可能で、薬効は一度だけ。それも、数週間すれば元に戻ってしまう。男はその一度きりの治療を受けたいのだと言う。
 願いは、もちろん叶えられた。医師による診察と精密な検査が行われ、適切な薬が処方された。医師は診察の間中、落ち着かなげに男の顔を見まいとした。
 死刑囚用の獄舎で、男は薬を飲みはじめた。見回りの刑務官が、毎時間その様子をチェックした。もちろんこの刑務官は、死刑囚の自殺防止の責務も負っている。
 鉄格子の前を何度も通るうち、刑務官は男と話をするようになった。勤務中の囚人との会話は、規則によって禁止されている。だが、何事にも特例というものは存在する。
「一体、どうしてお前は何の関わりもない人間を殺したりしたんだ?」
 刑務官は穏やかな声で、しかし男の顔からは努めて目を逸らしつつ言った。
「彼らには罪がなかったからです」
 男はあまり人格というものを感じさせない、無機質な口のききかたをした。
「罪がない者を、何故殺す必要がある?」
 刑務官は首をひねった。
「わかりませんか?」
「私にはわからんね」
 会話の許される時間は短い。刑務官は規定の通りに巡回を続けなければならない。短い会話は幾日にも渡って続けられた。
「この前の続きを聞かせてくれ」
 次の日に、刑務官は同じことを質問した。
「つまり、彼らには罪が必要だったのです」
 男は同じような、幽霊じみた口調で言った。
「必要?」
「罪のない人間に罪を与えるには、罰だけを行うしかありません」
 刑務官は、やはり首をひねった。死刑囚だけあって、この男はやはり頭がおかしいのかもしれない。公判記録を見ても、その動機については判然としなった。
 その日の会話はそれまでで、続きは翌日となった。
 ――ところで、奇妙なことにこの間、治癒されてしかるべきはずの男の相貌は、いっこうに治る気配がなかった。溶けだしたマグマが冷え固まったような皮膚も、フジツボの貼りついたような鼻頭も、毛ばだった毛布のような唇も、虫喰いにあった木の葉のような耳朶も、爬虫類じみたはれぼったい目蓋も、何もかも元のままだった。
 医師が呼ばれ、再度の検診が行われた。が、結果は同じだった。医師は首をひねった。原因はまるで不明だった。
「治る様子はないのか?」
 と、刑務官は訊いてみた。
「今のままでは、おそらく」
「どうやったら治る?」
 訊くと、男は答えた。
「私の罪が、正しい場所に行きつけば」
 刑務官はまたもや首をひねった。やはり、意味不明だ。
 だが男の言葉どおり、妖怪じみたその顔が治ることはなかった。大臣は刑の遅延にやきもきし、執行官は気の休まらない日々を過ごし、刑務官はひとり首をひねり続けた。
 とうとうある日、刑務官は訊いてみた。
「一体、お前の罪の正しい場所≠ニいうのはどこなんだ?」
 それに対して、男は来るべき時を確信したようにはっきりと答えた。
「死刑とは、罪に対する正しい治療であるべきです。それは世界の傷をふさぎ、癒す行為なのです。しかし今、私の命を奪ったところで、それが完遂されることはありません。そのためには、まったく別の現象が必要なのです」
「何だね、それは?」
「刑務官どの、あなたは刑が正しく行われることを望みますか?」
「それはそうだ」
 すでに巡回時間は超過しようとしていた。しかし刑務官は今、ここを離れる気がしないでいる。彼は言葉をつけ足した。
「刑罰とは本来、神事だ。特に死刑となれば、正しく、厳粛に行われなければならない」
「では、一言お願いします。許す≠ニ」
 刑務官は驚いた。
「一体、何を許すのかね?」
「私を、です」
「しかし罪を犯したのはお前自身じゃないか」
「いいえ、違うのです。本当の罪は私にはない。だからこそ言って欲しいのです。許す≠ニ。それによって私の死刑は正しく執行されるでしょう」
 刑務官は迷った。だが男の言葉は真剣そのもので、嘘や偽りはなさそうだった。刑務官は言った。「許す」
 男は――その溶けたアイスクリームのような顔ではわかりづらかったが――安堵の表情を浮かべた。すべての苦悩が一瞬で癒されたような、晴れやかな表情だった。
「これで、私は正しく死ぬことができます」
 その言葉どおり、男の顔面は数日で回復された。奇形から解放された男の顔は、これといった特徴のない、平凡な面つきだった。男は絞首台の下で安らかな死を迎えた。
 次の日、刑務官は空になった男の獄舎の前で、ふと足をとめた。その檻の中に、許す≠ニいう自分の言葉が残っているような気がした。あの言葉は、男と共に死んだのだろうか。自分は一体、何から何を許したというのだろうか?
 その日の夜、自室で鏡をのぞいた刑務官は絶叫した。
 ――鏡の中には異形になった、死刑囚と同じ顔の自分が映っていた。

――Thanks for your reading.

戻る