[魔法の苗床]

 昔、世界は一面の岩だらけでした。人々は岩の城や岩の家に住み、岩の家具や岩の玩具を作って暮らしていました。
 でも岩ばかりに囲まれているせいか、人々の心は岩みたいに固く、岩みたいに冷たいものでした。植物が育たないので栄養だって偏ってしまいます。
 そこで神さまはある日、魔法の苗木≠与えることにしました。この苗木を育てることができれば、世界には緑があふれ、人々の心も栄養もすっかり良くなるはずでした。
 神さまはさっそくこの苗木を育てるにふさわしい人物を探すことにしました。
 まずは、王様です。でも王様は岩の城の中で心まで窮屈になって、ひどく我儘でした。苗木を育てるには広い心が必要です。
 次は騎士です。でも騎士は毎日の争いですっかり心がすり減っていて、乱暴でした。苗木を育てるには優しい心が必要です。
 その次は学者です。でも学者には調べることが山ほどあって忙しく、苗木を育てる時間はありません。苗木を育てるには長い時間が必要です。
 そのまた次は町に住む少年でした。少年はどんなことでも一生懸命で、他人に対して優しく、たくさんの時間も持っていました。
 神さまは少年に苗木をあずけることにしました。
「僕にはとても無理です」
 と最初、少年は断りました。
「もっと偉い人か、もっと強い人、もっと賢い人に頼んでください」
 神様は前にいったような理由で少年を諭しました。
「お前は心が自由で、偏見もなく、のびのびとしている。苗木はお前のようなものでなければ育てられないのだ」
 少年はそれでも自分にかせられた責任の重さに戸惑いを隠せませんでした。
 でも神様は少年が納得するまで説得し続けたので、けっきょく少年は苗木を受けとるしかありませんでした。
「それでは責任を持ってお引き受けします」
 と少年は言いました。
 神さまは満足げにうなずき、少年の前から姿を消します。
 一人になった少年はまず両親と姉にそのことを相談しました。当然、三人ともびっくりしました。
「今からでも別の人に変わってもらったらどうだい?」
 と父親は言いました。でも少年はもう神さまと約束してしまったのです。
 そこで四人は相談して、まずは王様のところに行くのがいいだろう、ということになりました。王様ならいろいろなことができるし、苗木を育ててくれる場所だって見つけてくれるかもしれません。
 少年は次の日に城へ出かけ、王様に会えるよう頼みました。
「魔法の苗木?」
 と門番は怪しそうに少年のもつ奇妙なものを見ました。それは岩のように硬くはなく、色も茶色で、門番には年とった老婆のように不気味に感じられました。
「そんな変なものを王様のところまで持っていくわけには行かない」
 と、門番は言いました
 でも少年は辛抱強く、これがどれだけ大切なもので、どうしても王様に会わなければならないのだということを説明しました。それで門番はとうとう取り次いでくれることを約束しました。
 少年は門番に案内されて岩の通路を通り、岩の玉座のある岩の広間にやってきました。
「そちがわしに謁見したいという少年か」
 と跪いた少年に王様は訊ねました。
「はい」
 と少年は答えます。
「魔法の苗木なるものを手に入れたとか」
「はい。それで王様にこの苗木を育てることのできる場所を見つけてもらいたいのです」
 王様は玉座に肩肘をついて、しばらく考えました。
「それは誰から受けとったものなのだ?」
 と王様は訊ねました。
「神さまです」
「かみ……神とは一体何か?」
 王様の質問は少年をびっくりさせました。子供でも知っているようなことについて、王様はなにも知らないのです。
 少年は神さまについて説明しました。それがいかにすばらしい存在で、私たちをいつも見守っておいでになられることを。
 王様はまたしばらく考えて、言いました。
「神はなぜお前のような者の前に現れたのか?」
 少年は神さまに言われたように説明しました。苗木を育てるのに必要なもの、神様はそれがそろっているのは自分だけだといったこと。
 王様は見る見るうちに不機嫌になりました。
「お前のような者がわしより優れているというのか。そのようなことは信じられぬ。これ以上、世迷言を言うと牢屋に放り込むぞ」
 少年は慌てました。
「王様は神さまの言うことをお信じなさらないんですか?」
「わしは自分しか信じぬ」
 少年は仕方なく引き下がりました。
 家に帰った少年はもう一度、家族と相談しました。けれど良い考えは浮かんできません。そこで少年は言いました。
「僕が世界中を回って、この苗木を育てられる場所を探してきます」
 父も母も姉も少年のことを心配しました。町をはなれて人は生きていけないのです。そこは完全な岩の領域でした。
 けれど少年はかたくななまでに譲りません。
「岩の上にこの苗木を根づきません。どこかにこの苗木の根づく場所があるはずです」
 三人は少年を説得することをあきらめ、旅の準備を整えてやりました。寝袋やランプ、食糧を用意し、少年に持たせてやります。
 翌日に少年は出発しました。朝早く、まだ誰も起きていない時刻です。少年は誰とも会わずに町を出ました。
 もう誰も使うことのなくなった道をたどって、少年は南へと向かいました。しかし行けどもいけどもあるのは岩の平原ばかりです。わずかばかりの苔と、小動物のほかは、いちめん見渡すかぎりの灰色でした。
 町を出て何日かがすぎた頃、道の脇に洞窟のようなものがありました。少年がおそるおそる中をのぞいてみると、中には人がいて石炭で鍋を煮込んでいます。
「お尋ねしたいのですが」
 と少年は声をかけました。
「この近くに苗木の育つ場所はありませんか? 僕はこの苗木を育つ場所を見つけなくちゃいけないんです」
 洞窟の人物が少年のほうを見ました。丸く、赤く光る目ばかりが目立って、顔の輪郭はフードに隠れてよく見えませんでした。修道士のような格好をした人物です。
「知らないね」
 とその人物は太い声で言いました。
「あなたはここでなにをなさっているんですか?」
 少年は訊ねました。
「薬を作っているのさ」
「薬?」
「この辺でしか採れない苔で病気に良く効く薬が作れる。俺はそれを作って町まで売りにいく」
 洞窟の人物はそう言って鍋をひとかきしました。臭いをかいでいるだけで苦味が口に広がるようです。
「その鍋のものが薬ですか?」
「ああ」
 少年は断って洞窟の人物の左隣に座り、魔法の苗木≠フことを話しました。
「僕は苗木を育つ場所を探しているんです。どこか知りませんか?」
「知らないね」
 近くで見ると、洞窟の人物はからっぽの体に赤い目だけがついているように見えました。
「だが、この先道が途切れてなくなる。俺の知っているのはそこまでだ。それ以上のことは知らない」
「もっと南にいけば、苗木の育つ場所がありますか?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。ただこの辺にはそんな場所はないというだけだ」
 少年はお礼を言って立ち上がりました。洞窟を出てさらに南に進むと、言われたとおり道が途切れていました。その先には海のようにどこまでも岩ばかりが広がっているだけです。それは完全な死の世界でした
 少年は迷いました。このまま進んでも何もないかもしれません。食料が尽きてしまえばもう旅をすることもできないのです。戻るべきかもしれませんでした。
 ――でも、少年はさらに先へと進みました。少年は自分が行かなくてはならないのだと思いました。それは自分に苗木が渡された時から決まっていたことのように少年には思えました。
 見渡すかぎりの岩が続きます。
 少年は太陽の位置を見ながら南へ、南へと進みました。いつしか食糧はつき、周りには苔も生えていないし、食べるものの影さえなくなりました。
 少年はいつしか倒れこんで、もう一歩も動くことができなくなりました。
 冷たい岩に身を横たえながら、少年は真っ青な空を見上げていました。少年には、もうどうすることもできません。
 少年は静かに息絶えました。
 その体は長い時間をかけ、やがて土になり、その土を養分に苗木は根をはり、成長していきました。
 苗木はいくつかの季節を経たのち、大きな樹となり、たくさんの実を茂らせました。枯れた葉は新たな土となり、熟れた実は新しい命となって芽吹きます。
 樹はいつしか世界中を覆い、緑があふれました。人々の心は柔らかな緑のために安らぎ、ずっと満たされていて、幸福になりました。
 でも、誰も知りません。
 この緑が一人の少年の命から生み出されたということを。

――Thanks for your reading.

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