それは、夜がそっと世界を包んでいるときのことだった。 菫色の布団の下から、きみは言った。 「きのうはどこに行っちゃうの?」 ぼくらは寝室に並んで横になっていて、スタンドの明かりだけが小さく暗闇の中に浮かんでいた。ぼくの手許にはそれまできみのために読んでいた絵本の、最後のページが開かれていた。 「なんだって?」 質問の唐突さに、ぼくは聞き返した。 「だからね、きのうはどこに行っちゃうの?」 きみは面倒くさがる様子もなく、そう繰り返した。 「昨日は昨日だよ。どこにも行きゃしないさ」 ぼくは質問の意味をとりかねて、親としての権威から一方的なもの言いをした。 けれどきみは布団の下で小さく首を振って、 「だって、もうすぐきょうは、きのうになるんでしょ? そしたら、きのうはどこに行くことになるの? あしたがきょうになって、その先にまた別のあしたが生まれるけど、きのうは? きのうはどこに消えちゃうの? ぼくはもう、きのうには会えないの?」 ぼくはその問いに、すぐには答えられなかった。答えるべきかどうか、迷ったのだ。 それでぼくは、「もう寝る時間だから」とか、「その話はまた今度な」と言って、質問をはぐらかした。 きみは布団を首のところまで引き寄せて、もの問いたげな目でぼくのことを見ていたが、やがてその瞳をつむってしまった。 しばらくして、きみは穏やかな寝息を立てはじめた。 「………」 ぼくはこの世の何よりも安らかなその寝顔を眺めながら、考えていた。 おそらくきみは、明日になればそんな質問を自分がしたことさえ、忘れてしまうだろう。きみはいつものように、昨日も明日もなく、ただ今日だけを見つめて生きていくのだろう。 ――でもぼくは、本当はこう言いたかったのだ。
「昨日」はそこにいる。 ほら、きみの右肩のところ、「昨日」はそこに腰かけてきみを見つめている。それは重さもなく、触れることも出来ないけれど、確かにそこに存在している。 時々、「昨日」はきみに小さな声で囁く。教訓めいたお話や、秘密の言葉や、明日への希望を。 けれど「昨日」は、必ずしもきみの味方じゃない。 そこには変えられない悲しみや、やりきれない諦めや、拭い去れない絶望が含まれていたりもする。そこからは、失ったものを取りもどすことは出来ない。 きみは、「昨日」を取りもどしたいと思うときが来るかもしれない。「昨日」の行方を、必死に求めるようなときが。 でもそれは、仕方のないことなのだ。 誰にも「昨日」を取りもどすことは出来ない。「昨日」はそこにいるだけで、決してきみの手が届くことはないのだ。 もしかしたらきみはそのために、「今日」や「明日」までも嫌いになるときがあるかもしれない。そんなものがなくなってしまえばいいと、願うことも。 でもそれは、正しいことではないのだ。 例え「昨日」がどれだけひどいところにあったとしても、それはきみを見守り、励ましているのだ。「昨日」はきみの右肩に腰かけて、きみを見守っている。 何より、きみはそこからやって来たのだ。 「昨日」が、きみを「明日」へ運んでいく――
「………」 ぼくは肘枕をついてきみの寝顔を眺めながら、そんなことを考えていた。ぼくが本当に言いたかった言葉を。 でもその言葉は、きみがもう少し大きくなってから言うことにしよう。きっときみは、ぼくの言葉の意味なんて分からないだろう。きみはまだ、今日を生きることに一生懸命すぎるのだから。 きみがもう少し大きくなって、もう少しいろいろなことを知ったら、ぼくはこの言葉をきみに伝えよう。その時なら、きみはきっとこの言葉の意味が分かるから。 だから少しの間―― もう少しの間だけ―― 穏やかな、「昨日」の夢の中で。
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