西のはての海を越えた向こうに、背中に羽の生えた人たちがいました。 羽が生えているといっても、外見は普通の人間と変わりません。それに羽といっても、鷲や白鳥のような大きなものではなく、神話の中のキューピットがつけているような、小さな羽です。 その国の人々はその羽を使い、風にのって自由に空を飛ぶことができました。 空を飛ぶことは人々の大切な楽しみであり、また重要な生活の手段でした。子供だって空を飛ぶことができます。ですから、親たちは自分の子供がはじめてその羽で空を飛ぶ日を楽しみにするのでした。 人々が空を飛ぶために、この国では様々なことが私たちの国とは違っていました。 例えば、この国では家の玄関は必ず二階にあります。皆、空を飛んで二階から家に入るのです。これは昔、獣から身を守るために高いところに家を作った名残だと言われています。飛ぶのがまだうまくない子供たちは、そのため大変苦労します。 この国ではまた、平地に町が作られることは少なく、山の斜面や丘陵に町が作られます。それは風の通り道を作るためです。この国ではよい風が吹いているところこそ、住みよい土地なのでした。 他にも細かい違いはありますが(例えば、服やベッドについてです)、それはともかくこの国であった一つのお話をしましょう。 それはこの国の百年も前にあったお話で、まだ王様がいて、国を治めている頃のことでした。産業革命も起きていない、古い、時間のゆっくりと流れている頃のことです。 ある時、王国の都にこんなお触れが出されました。 「今度、ダムを作り、風による移動を禁止する」 人々はわけが分かりません。 ダムというのは、風のダム≠フことです。かぜくい≠フ実から作った糸で織った布は風を通しません。都は谷間にありましたから、ダムを作って風をさえぎるのは簡単でした。 けれど風がなければ当然、人々は暮らしていけません。 大人たちは大慌てでした。王様がなぜこんなお触れを出したのか、さっぱり分かりません。 都の東にある風の花£n区に、三人の子供が住んでいました。クトとシテという二人の兄弟の男の子、それにマユという女の子です。三人はいつも一緒に遊んでいました。 その頃、三人の話題になっていたのは大人たちと同じように王様のお触れのことでした。もっとも、三人にとって大変なのは風遊び≠ェできなくなることでしたが。 「風が吹かなくなったら、もう空を飛べなくなるの?」 と、まだ小さなシテは訊きました。 「うん、そうだろうな」 クトが困ったように答えます。 「でもどうして王様はそんなことするのかしら?」 とマユは言いました。 三人は今、町の公園にいます。公園といっても、私たちの国にあるような平べったいものではありません。全体が奇妙な動物の骨のようになっていて、私たちにはとうてい遊ぶことのできないような遊び道具がたくさんあります。 そしていたるところに花が植えられていました。この国の人たちがかぜよび≠ニ呼んでいる、小さな可愛らしい花です。 「王様の考えていることなんて、僕にはわかんないよ」 とクトは車輪と呼ばれている遊具で回りながら答えました。これは吊り下げられた円筒形の車輪を、つかまりながらできるだけ早く(もちろん飛びながら)回すものです。 「でも飛べなくなったらみんなが困るでしょ」 「そうだよ、僕、飛べなくなるなんて嫌だ。もう遊べなくなっちゃうじゃないか」 シテが、クトの回している車輪にのっかりながら言いました。 「けどお触れが出ちゃったんだし、どうしようもないよ」 クトが仕方なさそうにいます。物事に聡い代わりに、諦めが早いのもクトの特徴でした。 「でも、どうにかできないのかしら」 マユは羽をパタパタ動かして宙に浮かびながら二人に言いました。 「王様にやめてもらおうよ」 と、シテはすぐに答えました。まだ幼いこともあって、シテは自分のしたいことを簡単に口に出したりやってみたりします。 「みんな本当はそうしてほしいんでしょ?」 「そりゃそうだけど、そんな簡単にはいかないわよ」 とマユがたしなめるように言いました。二人の言い分をうまくまとめていくのが、マユの役割でした。 「王様だってそんなことは分かってるだろうし」 「分かってるんなら、どうしてそんなお触れを出すの?」 シテは不服そうです。 「そりゃ……なにか考えがあって」 困ったようにマユは答えました。 「どんな考えさ?」 「もう、私に訊かれたって分かんないわよ、そんなこと」 そのときクトが車輪から手を離して、言いました。 「なら、王様に訊いてみようか」
クトとシテの伯父さんは、お城の鳥番≠勤めています。鳥番≠ニいうのは、私たちの言う馬番≠フようなものです。この国では馬ではなく、鳥に乗って移動するのでした。 クトはその伯父さんに、お城の大鳥を見せてほしいと頼んだのです。シテがうまく泣いて頼むと、何とか了解してもらえました。 「それで、どうするの?」 と、マユは訊きます。 「お城の中に入ったら、迷ったふりをして王様の部屋まで行くんだ。見つかっても、子供だからそんなにひどいことはされないと思う」 「大丈夫?」 「分からない。だから僕一人で行くよ。二人は待っててくれればいい」 「でも」 「ちょっと訊くだけなんだ。僕一人で十分だよ」 マユはこういう時のクトがひどく頑固になるのを知っていたので、それ以上は何も言いませんでした。 数日して三人はクトの伯父さんに連れられてお城へとやってきました。この国のお城は卵の殻のような城壁に覆われていて、その所々に採光と矢を放つための狭間が設けられています。 三人はちょうど朝日のさす位置に作られた城門をくぐって中に入りました。 「いいな、ちゃんと私のあとについて来るんだぞ」 と伯父さんは言います。 お城の屋上にある鳥小屋には、何匹もの大鳥がいました。鷲のような外見ですが、足が四本あり、小さな馬くらいの大きさがあります。 「すごいなぁ、乗ってみたい」 と、シテはここに来た目的も忘れて本当に喜んでいるみたいでした。 そのうち、ちょっとした用事で伯父さんはその場を離れなくてはなりませんでした。 「いいかい、他のところに行ってはいけないよ」 と伯父さんは言い残していきます。 これはもちろん、クトにとって好都合でした。「伯父さんにはうまく言っておいて」と二人に頼むと、クトはすばやく王様の部屋を目指します。 王様の部屋は普通、城の中心にありました。だからクトは空を飛んで下のほうに降りながら、ちょうど良さそうな入り口を見つけると、できるだけ怪しくないように普通の様子で入っていきました。 城の中は迷路のようで、クトはさすがに困ってしまいました。けれどクトはやると決めたら思い切りのよい少年です。 向こうから使用人らしい女の人がやって来ると、クトは困ったような顔で、 「王様に言伝を頼まれたんですが、慣れなくて道に迷っちゃって。ごめんなさい、教えてもらえませんか?」 と訊ねました。 女の人はそれは可哀そうに、といったふうに、少しも疑わずに教えてくれました。なんと言ってもこんな子供が嘘をつくはずもないと思っていますし、それにしては堂々としすぎています。 クトは道を教えてもらうと、ありがとうとお礼を言って王様の部屋に向かいました。女の人は親切に案内しようかと言ってくれましたが、もちろんクトは丁寧にお礼を行って断ります。 いくつかの角を曲がって、廊下の突き当りが王様の部屋でした。 クトは一度息を吸ってから、慎重に扉をノックしようとします。が、その手はいきなり横からつかまれてしまいました。 はっとして、クトは慌てて逃げようとします。が、 「私よ、私」 よく見ると、腕をつかんでいるのはマユでした。 「おどかすなよ」 とクトはほっと息をつきました。クトがこんなに驚いたのは久しぶりのことです。 見れば、マユだけでなくシテもついて来ていました。 「二人まで来ることはないよ」 「でも私たちはクトを探してたらここに来ただけよ」 とマユはさも当然のように言います。横でシテが同じように当然だよ、といった顔をしていました。 クトはため息をつきました。 「どうなっても知らないよ」 「だって、これはあなただけの問題じゃないのよ。私たちみんなの問題でもあるの。さあ、行きましょう」 そう言ってマユは扉をノックしました。 ゆっくりと、扉が開きます。
広い部屋の中にいたのは、子供が一人だけでした。年恰好はシテとたいして変わりません。きれいな眼をした、少し大人しそうな感じの男の子でした。 三人は王様がいると思っていたので、拍子抜けのような気さえしてしまっています。 クトは仕方なく男の子に質問しました。 「僕たち、王様に用事があるんだけど、きみ知らないかな?」 男の子は返事をしません。 「ねえ、聞いているの? とても大事な用なの」 とマユも言いました。 男の子はきょとんとしています。「王様は僕だよ」 三人はびっくりしてしまいました。 「君が王様だって?」 「そうだよ」 と、男の子はクトの剣幕に少しおびえるように言いました。 「僕はこの国の十三代目の王、ルヒル・ファルナーゼルだ」 「……」 さすがにクトも、何と言っていいか分かりません。王様が子供だ何てことは、まるで知らなかったのです。 しばらくして最初に口を開いたのはシテでした。シテにとっては王様が子供でも老人でも、大して気にすることはありません。それに自分と同じくらいの年齢なので、かえって話しやすいのでした。 「ルヒルはどうして風を止めようとするの?」 シテは訊きます。 王様――ルヒルは泣き出しそうな、嫌そうな、何だか憂鬱そうな顔をしました。 「聞いても笑わない?」 マユが小さな子供をあやすように手を握ってやります。 「大丈夫、笑わないよ。だから話してみて」 「実は僕、空を飛べないんだ」 これには三人ともびっくりしました。 ごくまれにですが、生まれたときから羽のないものや、あってもうまく動かせない人がいます。 けれど王様がそうだなんて、三人は思っても見ませんでした。 「僕、空を飛べないから、それでみんなに馬鹿にされるのが怖くて。それに大臣のパタルも、王様が空を飛べないと王国の威信に関わるからって、それでダムを作ることになったんだ」 ルヒルはうつむきながら言います。 「ひどいよ、それ」 と、突然シテが言いました。 「空を飛べないのって、別に悪いことじゃない。それはきっと仕方ないことだよ。その大臣のパタルって人、ひどい。そんなことでダムを作るなんていうなんて」 シテは本当に怒っていました。けれどそれはもちろんルヒルに対してではなく、いわばそれを疎外する人々の心に対してです。 ルヒルはそんなシテの言葉を聞いて、ぽろぽろ涙を流しました。マユはそんな憐れな子供をそっと抱いてやります。女の子って、どんなに小さくてもお母さんになれるものです。 そんな様子を見て、クトは言いました。 「王様――いや、ルヒルに見せたいものがあるんだ。僕達と一緒に来ない?」 「見せたいものって?」 ルヒルの代わりにシテが訊きます。 「公園さ。ちょうどあれ≠フ季節だろう」
四人は運良く誰にも見つからずに城を抜け出すことができました。そして三人がよく遊んでいる公園へと向かいます。 やがて公園に着きましたが、特に変わった様子は見当たりません。クトの言ったあれ≠ェ何なのか、さっぱり分かりませんでした。 「ここに何があるの?」 と、ルヒルが訊きます。城を出てからルヒルはずっと地面の上を走っていました。飛ぶことになれていないので、クトに抱えられて飛ぶのが不安だったせいです。 「もうすぐだよ」 クトがルヒルのそばを飛びながら言いました。 その時、柔らかな風がそっと吹きました。 それにあわせて、白い雪のようなものがいっせいに空を流れていきます。それは、温かな雪が舞い散るようにも見えて、なんだかとても大切な光景のような気がしました。 「あれはかぜよび≠フ種なんだ」 と、クトは言います。 「かぜよび≠フ花はああして種を遠くまで飛ばすんだ。より良い土地を求めて、種たちは風にのって長い旅に出る――」 そうです。それは私たちがタンポポと呼んでいる、あの小さな黄色い花のことでした。いま飛んでいるのは、白い綿毛をつけた、その小さな種だったのです。 「風がなくなって困るのは、僕たちだけじゃない。花だって困るんだ。だからそんな事は、僕たちだけの都合で決めちゃいけないことだと思う」 ルヒルはそれに何も答えませんでした。 けど、この子のかぜよび≠フ種が飛ぶ光景を見る目をみれば分かります。大切なことはちゃんと伝わっている、と。
そのあと、三人は王様を勝手に連れ出したというのでひどく叱られました。でもルヒルがとりなしてくれたので、みんな拳骨一つですんだのです。 数日して、こんなお触れが出されました。 「ダムの設置は中止する」 三人が喜んだのは言うまでもありません。 ルヒルはその後、どうしたのでしょう――? 彼は王国でも指折りの鳥乗りの名手となって、思いやりのある、立派な王様に成長しました。この国で近代的な養護院を作った最初の人が、彼です。 傷ついた人は、それだけ人に優しくもできるのです。 ね、皆さん。
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