[彼女の瞳に映るもの]

 葵(あおい)ちゃんはちょっと変わった女の子だ。
 いつもぼうっとしてるし、時々何もない宙空をじっと見つめていたりする。そして、
「――ハルちゃん、今あそこを何か通りすぎたよ」
 そんなことを言ってきたりする。
 わたしは葵ちゃんの指さす方向を見るだけど、そこには教室の何もない空間とか、声一つしない無人の公園だとか、そんなものしかありはしない。
 葵ちゃんに見えているというものが、わたしには少しも見えてこない。
「えっとね、光の輪っかみたいなのとか、線みたいなの。輪っかみたいなのは、煙草の煙みたいにほわんと広がってくの」
 でもわたしにはやっぱり何も見えなくて、そんな葵ちゃんに首を振ることしかできない。
「どうして見えないのかな? ハルちゃんは変わってるね」
 彼女はそんなふうに言って、何の屈託もなさそうに笑う。
 そんなとき、わたしはいつもドキッとしてしまう。何というか、その笑顔がひどく心に沁みるような――まるで、新しい眼鏡をかけたときみたいに(わたしは眼鏡をかけているのだ)、世界が隅々までクリアに、違ったふうに見えてくる気がしてしまう。物事の在り方そのものが、普段とはずいぶん異なってくる。
 どうしてそんなふうに感じるのかは、わたしにはよくわからない。葵ちゃんとは中学校に入ってはじめて知りあったけど、わたしは最初からそんなふうに感じていた。
 それは彼女の飾り気のなさとか、率直なまなざしとか(彼女はじっと人を見つめる癖があった)、そういうもののせいかもしれないけれど、それとは別の、もっと違った何かのような気もする。
 いずれにせよ、わたしは葵ちゃんのことが好きで、ちょっと変わっていることなんかも気にならず、むしろそれが魅力的に見えてしまうくらいだった。けど彼女がちょっと変わっていることには違いがなくて、まわりでは色々言われていたりする。
「宮瀬(みやせ)さんてさ、あれってわざとなわけ?」
 廊下を歩いていると、そんなセリフが耳に入ってくることもある。
 そんなとき、わたしは何か言い返したくて、彼女は本当は素敵な女の子なんだと伝えたくて、でも結局は口を噤んでしまう。ぎゅっと手を握って、心を頑なにしたまま、その場を早足に通りすぎてしまう。
 それはわたしもやっぱり彼女がちょっと変わっていると思うからで、そのこと自体は否定できない。普通の人は何もない場所を指して、何か見えるよ、とは言ったりしないのだ。
 わたしはもちろん、彼女のことが好きだ。
 その屈託のない笑顔も、幼いくらいにまっすぐな言葉も、相手の目の奥をのぞきこむような澄んだ瞳も、ちょっと変わっているところも――あるいは、ちょっと変わっているからこそ。
 でも――
 そう、わたしもやっぱり不思議に思っていたのだ。彼女がどんなに魅力的でも、彼女のことをどれだけ好きだったとしても、やっぱり。
 宮瀬葵という少女が時々視線を漂わせるその先にあるもの――
 彼女がどうしてそんなふうに、見えないものを見えると言うのか――
 わたしはやっぱり、不思議に思っていたのだ。

 宮瀬葵、身長一三四センチ、牡羊座、血液はB型、体重は……秘密だ。もっとも、葵ちゃん自身はそんなこと気にもしないだろうけど。
 彼女はとても小柄で、とても小さな手をしている。まるで誰かがそんなふうに作ったみたいに。瞳は夜の星空を写したみたいに澄んでいて、静かに輝いている。髪型はろくに鏡なんて見ていないんじゃないかというくらいでたらめだったけど、それは案外葵ちゃんの雰囲気とあったものだった。
 全体的に好奇心がいっぱいで、自分から動きだしてしまった人形、という感じだった。そのくせ葵ちゃんはめったに自分から発言したり、人に働きかけたりはしない。いつも、どこかぼんやりとしていて、心を別の場所に置き忘れてきたみたいな様子をしている。
 それは最初、わたしには奇妙な――扉が逆さまにでも取りつけられているような――そんな印象を与えていた。
 わたしと葵ちゃんが初めて会ったのは、中学校の入学式のことだ。
 四月のはじめ、高気圧の影響もあって、空は雲一つない青空だった。麗らかな春の陽気、というにはいささか風が冷たすぎたけど、中学校最初の一日としては、まずまずの上天気と言っていい。
 中学校の正門付近や玄関前は、新入生やその両親なんかでごった返して、ひどく混雑していた。誰も彼もが着慣れない制服を身にまとって、少し緊張して、そうして幸せそうだった。
 わたしは変に浮かれた気持ちと、抑えようのない不安感と、奇妙な恥ずかしさの混じった気持ちを抱えて、自分の体にうまく馴じめずにいた。目覚めたばかりのときに、頭の一部分だけがまだ眠っているみたいに。
「ねえ、どこかおかしくないかな?」
 と、わたしはいっしょについてきた母親に向かって、袖口やらスカーフやら、襟元を気にしながら訊いた。何度も訊ねられたせいだろう、母親はやれやれという感じで受け答えをした。もっとも、わたしにはそんなことに気づく余裕もなかったけど。
 次第に時間が迫ってくると、新入生たちは順次校舎の中へと入っていった。わたしもその流れに乗って、式場に向かう。校舎に入る手前で振り返って見ると、母親は苦笑するような表情を浮かべて小さく手を振っていた。
 式場になっている体育館は冷えびえとして、お世辞にも快適な場所とは言えなかった。わたしは寒さと緊張で体をかちこちにしていて、校長先生の話も、やけに長く続く祝辞や電報も、ほとんどまともには聞いていなかった。式がいつ始まって、いつ終わったのかすら、ろくに覚えていない。
 気づいたときには立ちあがって、列に従って退場をはじめていた。わたしは機械的に足を動かしながら、体育館いっぱいに鳴り響く拍手にさえ気づいていなかったと思う。というより、拍手が鳴っていたのかどうかさえ覚えていない。
 その後、新入生は各クラスごとに別れていって、わたしは一年二組の教室に向かった。そこで小学校からの友達である藤(ふじ)かなみと会ったとき、ようやくほっと息をついた。慣れない場所で慣れた顔を見かけると、むやみに安心してしまうものだ。
 わたしたちは、同じクラスだね、とか、何か緊張したね、とか、およそ意味のないことをしゃべりあった。けれどそれでいて、はしゃいでいるような、浮かれているような、変に興奮したような感じでもあった。不安感やら期待感やらがわけのわからない混ざりかたをして、普通じゃない気持ちにさせていたのだと思う。
 そのうちに先生――杉本弥生(すぎもとやよい)というのが、その先生の名前だった。それなりに若くて、けどもうそんなには若くないという微妙な年齢で、ちょっと変わった形の眼鏡をかけている――がやって来て、わたしたちはそれぞれの席に座った。座席は当たり前だけど、名前順に並んでいる。
 わたしの名前は、真野春海(まのはるみ)という。
 席は一番左の列、窓際の、後ろから二番目だった。窓からは眠気を誘うようなぽかぽかとした陽気が差しこんでいて、じっとしていると少し暑いくらいだった。
 その時にはなかなか気づかなかったけれど、葵ちゃんの席はわたしのすぐ隣だった。
 わたしがそのことに気づいたのは、しばらくして隣にいるその見知らぬ女の子が、何かを受けとめるみたいに手をちょっと前に出しているのを見たときだった。
 先生の話に耳を傾けながらも、わたしは彼女のその仕草が気になっていた。
 それはまるで、空から落ちてきた雨粒の一つを確かめようとしているみたいに、何か大切なものをその小さな手のひらに受けとめようとしているみたいに――そんなふうに見えるのだった。
 わたしは自分でも知らないうちに、よほど彼女のことを見つめていたのだろう。葵ちゃんは不意にその視線に気づいたみたいにこちらを向いて、それから、ちょっとだけ笑った。
 ――気づかれちゃったね。
 そう、言うみたいに。
 わたしは彼女の名前さえ知らなくて、声だって聞いたことがなくて、でもその瞬間、その笑顔にあっというまに心を奪われていた。まるで、波にさらわれた貝殻みたいに、風にさらわれた花びらみたいに。
 しばらくのあいだ、わたしは自分でもそのことに気づかなかった。何しろ、そんなことははじめてだったし、そんなふうになる理由なんてどこにもなかったのだ。彼女はただちょっと笑ってみせた、それだけのことでしかない。
 でも――
 もしかしたらその時、葵ちゃんのひどく落ち着いた態度だとか、その場所での違和感のないたたずまいとか、そんなものにわたしは惹かれたのかもしれない。その小柄な体つきとはうらはらの、大人びた雰囲気みたいなものに。
「――――」
 葵ちゃんは軽い会釈のようなものを送ってくると、また前を向いて手をちょっとだけ先にのばした。それはほんの短いあいだの出来事で、何だか夢でも見ていたようでもある。
 けれど、わたしの胸の動悸はなかなか消えることはなくて、わたしはわたしの胸の中のその奇妙な感情に、うまく名前をつけることさえできずにいた。
 ――それが、わたしと葵ちゃんが初めて出会ったときのことだった。

 女三人寄れば姦しい、とはよく言ったものだけれど、わたしの属している女子グループは全部で五人で、みんなが集まるとやっぱり賑やかにおしゃべりしあうことになる。
 女子グループにもいろいろあるけれど、わたしの属しているのはリーダーというか、グループの基本方向を決めるというか、何をするときにもまずこの子に確認をとる、という人がいる。
 香坂優子(かさかゆうこ)というのが彼女の名前で、髪にはソバージュをかけていて、ぱっと見にはわからないようなごく自然なメークをしている。小学校が違うので、わたしはこのグループに入るまでは彼女のことを知らなかったのだけど、資産家というか、要するにお金持ちのお嬢さんらしい。
 そう聞かされると、「ああ、なるほどな」というようなところがないわけでもない。何をするにも自信満々で、そつなくこなすのだけど、自分が前面に立っているのを当たり前に思っているというか――
 わたしたちのグループでは、基本的に彼女を立てる方向でやっていれば、大概のことは平和だった。時々、少しは困ったこともあるけれど、わたしとしてはそのほうが楽ちんではあった。みんなの前に立つというのは、それはそれで大変なことではあったし、少なくともわたし自身はリーダーなんて柄じゃない。
 元々、このグループは香坂さんを中心にする三人がいて、そこにわたしと、それから前にも言った藤かなみというわたしの友達がくっつく形で成立している。わたしがこのグループに加わったのはかなみに誘われたからで、実のところわたしのほうにはあまり主体性と呼べるほどのものはなかった。
 だからといって、わたしは香坂さんにしても、ちょっと取りまきっぽいところのある残りの二人(森田(もりた)さんと阿川(あがわ)さん)にしても、仲が悪いというわけじゃない。ここでは、香坂さんのことさえ立てておけば基本的に問題はなかったし、それ以上の関係――友情とか、信頼とか――は要求されなかった。
 わたしは女子のグループ問題というようなものに対しては、面倒というか苦手というか、なるようにさえなってくれればいいという、投げやりなところがある。だから、現状に関しても特に不満を抱くようなことはなかった。学校生活においては、こういうグループに属しておかないと、何かと困ってしまうことが多い。
 もっとも、かなみのほうでは事情は別で、香坂さんに対して憧れみたいなものを持っているようだった。その気持ちは、わからないでもない。香坂さんには一種、カリスマ性みたいなものがあって、それが人を惹きつけるのだ。いつもはガラスのショーケース越しに見ているものが、実際に目の前に現れたみたいに。
 ともかくも、わたしがそうやって大禍なく――大禍なくというのは、例えばクラスで浮いていたり、昼休みにお弁当をいっしょに食べる相手がいなかったり、体育の時間のグループ分けなんかで一人だけ残されてしまったり、というようなこと――過ごしている一方で、葵ちゃんはいつも一人だった。
 そう、葵ちゃんは一人なのだ。
 それは例の、「見えないものが見える」発言のせいだった。それは別に葵ちゃんが自分で言いふらしたとかそういうわけではなく、たんに人からの質問に対して葵ちゃんが正直に答えているだけだった。「宮瀬さん、何してるの?」――「そこに光の線が降ってるんだよ」
 葵ちゃんがみんなから敬遠されはじめるのに、たいした時間はかからなかった。それは当然といえば当然のことかもしれないけれど、やっぱり悲しいことだった。しかも葵ちゃん自身はそのことをちゃんと理解していて、そのくせそういう発言をやめようとはしないみたいだった。「宮瀬さん、今日も何か見えてるの?」――「うん、見えてるよ」――「それってさ、きっとこの学校で死んだ人の幽霊だよ」くすくす。
 かく言うわたしも、葵ちゃんと話すときは注意して他に人がいないようなところに限っている。そうしないと、わたしもあっというまにクラスの輪から弾きだされてしまうからだ。そして情けないことに、葵ちゃんはそんなわたしのことに気づいていて、気づいていながら初めて会ったときと同じような笑顔を浮かべるのだった。「ハルちゃん、みんな来るからもう行ったほうがいいよ」――
 わたしは時々、泣きたくなってしまう。どうして、葵ちゃんは一人なんだろう? どうして、葵ちゃんはどのグループにも入れないのだろう? どうして、葵ちゃんはあの奇妙な発言をやめないのだろう? どうして、葵ちゃんは――
 葵ちゃんは一人で、わたしは葵ちゃんのことが好きで、そのくせわたしは自分が一人になってしまうことを何よりも怖がっていた。

「ずいぶん、変わった子みたいだな」
 と、先輩は言った。
 先輩――名前は、羽崎晶(はざきあきら)という。ベリーショートの髪型に、男っぽい名前と、男っぽいしゃべりかたをするけれど、歴とした女性だ。ボーイッシュというか、凛としたところがあって、ちょっと宝塚っぽい感じでもある。
 わたしと先輩がいるのは、狭い部室の中だった。部室というのは、天文部の部室のこと。文化部の部室はどれも校舎の一角にあって、どれも同じくらいに狭い。この場所も、スチール棚に参考図書やら今まで集めた資料やら、いくつかの私物やら観測機材やらが詰めこまれて、残ったスペースに長机が一つと、イスがいくつか置かれている。広さ的にはそれだけで、あと四、五人も人数が入れば身動きが取れなくなってしまうだろう。
 現在、部室にいるのはわたしと先輩の二人だけだった。他にも三名ほど部員はいるのだけど、今日は来ていない。一人は家の用事で、一人は委員会の仕事、もう一人はバレー部と掛け持ちで、今日はそっちのほうに行っている。
 わたしが天文部に入ったのは、実のところ星が好きだとか、そういう理由ではない。人並みにロマンや憧れはあるけれど、それはあくまで人並みの話だ。
 実のところ、わたしが天文部に入部したのは、目の前の人物――二年生で部長の、羽崎晶先輩のせいだった。
 それは入学式から数日した頃にあった、部活動紹介でのことだった。天文部の番がまわってくると、壇上には先輩がたった一人で現れた。たった一人で、でもその姿は他の紹介者と比べるとひどく堂々としていて、立ち姿そのものからして違っていた。簡単に言うと、先輩は凛々しかったのだ、とても。
 先輩は壇上の中央まで進み、演台に置かれたマイクの前に立った。体育館はしんとしていて、先輩の姿は校長先生がその場に立ったときよりも立派に見えるくらいだった。

「――みなさんは夜中、空を見上げたことはありますか? たぶん地底人でもなければ、そうしたことはあるでしょう。暗闇に光る無数の星々、まるで何かを伝えようとするように瞬き続ける幾百、幾千の鈴の音。それらはほとんどが昼の太陽よりも大きな恒星で、地球からもっとも近い星でも、光の速さで四年以上、つまり37×1012キロメートル以上の距離にあります。これは太陽までの、およそ25万倍にあたります。夜空に輝く星々と私たちは、そんなにも離れているのです。それは私たちがどんなに手をのばしても、届かない距離です。どんなに歩き続けても、たどり着けない距離です。ですが、そんな遠くから、星の光は私たち一人一人のところへと届けられました。そうした星の光には、一つ一つにメッセージがこめられています。天文部では、そのメッセージを読み解こうとする活動を行っています。あなたがもし、人の耳では聞くことのできない星の囁きに興味があるのなら、どうぞ天文部へ。私たちはあなたを歓迎します」

 先輩はそれだけのことを、原稿も見ずに、少しのひっかかりもなく、滔々と口にした。言葉にはきちんとした抑揚があって、語調は強すぎず弱すぎず、まるでお芝居のセリフでも聞いているみたいだった。
 わたしはそれからほどなく、天文部へ見学に出かけた。そこで先輩と会って話をして、入部することを決めたのだ。
「……実はあまり星とかに興味はないですけど、大丈夫ですか?」
 わたしがそう訊くと、先輩はあっさりと答えた。
「全然、平気さ」
 何だかわたしは天文部に入ったというよりは、先輩と近づきになりたかっただけみたいだけど、事実としてはそのほうが近いのだから仕方がない。でも一応、他に入りたい部活が特にはなかった、というのも理由といえば理由の一つにはなっている。
 ちなみに、わたしは先輩の男装姿というものを一度見てみたくて頼んだことがあったけど、すげなく断わられている。「真野もやるなら、やってもいいよ」。もちろん、丁重にお断りした。
 話がだいぶ逸れたみたいだけど、わたしと先輩の二人は放課後の部室にいる。
「宮瀬葵とかいったっけ、その子?」
 先輩はさっき屋上で記録してきたばかりの太陽黒点スケッチの紙を整理しながら言った。
 天文部の主な活動というのは、実は星の観測ではなくて、ほとんどが太陽の観測である。理由は簡単で、夜は学校が閉まっていて入れないから。だからわたしはまだ、望遠鏡を使っての本格的な天体観測の経験はない。せいぜい、プラネタリウムに連れていってもらったくらいだ。
 太陽の黒点観測は、太陽活動を知るうえでとても重要なデータになる。観測の歴史も古い。太陽活動は当然、人間の生活(農業、気象、気温など)に大きな影響を及ぼしているから、この調査はけっこう意義のあることなのだ。だから先輩の前では、「退屈です」なんて口が裂けても言えない。
 ちなみに、黒点というのは太陽表面で周囲よりも温度の低い部分のことである。これが多くなると、太陽活動が活発化している証拠になる。逆のようにも思えるけど、黒点が増えるということは温度差が増えるということで、太陽全体の温度は上がっていることになるのだ。ついでに言っておくと、あのちっちゃな点の一つでも、地球一個分より大きかったりする。宇宙のスケールは途方もなく大きいのだ。
 もっとも、偉そうに説明してきたそんなあれこれも、わたしは入部して先輩に教えられるまでは、まるで知らなかったのだけど。
「――そうです、葵ちゃんて呼んでます」
 わたしは観測に使った望遠鏡をケースにしまいながら答えた。天文部の望遠鏡はそれ一つで、かなり古くなってはいるけど、それでも高価なものに違いはない。わたしはこの片づけ作業をするときは、いつもちょっと緊張してしまう。
「ふうん、見えてるっていうけど、何が見えてるんだい?」
「光の輪とか、線みたいなものらしいです」
 わたしは接眼レンズを外した鏡筒をそっとしまいながら言った。
「葵ちゃんが言うには、雨みたいに見えるけど、光の線は何でもかんでもつき抜けちゃうらしいです。天井とか、机とか――わたしの体もやっぱり、その線が通り抜けてるらしいんです」
「へえ……」
 先輩は紙をファイルフォルダに綴じて、棚にしまった。それからしばらくして、
「それって、宇宙線みたいだね」
 と、ぽつりと言った。
「宇宙船?」
 わたしはケースを棚にしまって、先輩と同じようにイスに腰かけた。
「地球の外からやって来る粒子のことだよ。宇宙線。銀河からの陽子が主なんだけど、これが地球の大気にぶつかると、酸素や窒素なんかと反応してまた別の粒子を作る。この粒子がまた大気中で反応して別の粒子を作る。そうやって宇宙線が雨みたいに地上に降りそそぐことを空気シャワー現象≠ニいうんだ」
 わたしは手の平を上に向けて、心持ち意識を集中してみた。
「それって、今もここにやって来てるわけですか?」
「一㎠あたり一分に一個程度と言われている。手の平には、一秒に一、二個ってとこかな」
「へえ……」
 わたしは自分の手の平にうちゅうせん≠ェ落ちてくる図を想像したけど、もちろん何も見えないし、何も感じなかった。
「本当に落ちてきてるんですか、それ?」
「放電箱とか霧箱を使えば実際に粒子の軌跡を見ることもできるけどね。人間の感覚器で捉えられるものじゃないよ。宇宙線のうち、地上に届くのは大部分がμ粒子なんだ。これは素粒子のうちのレプトンの一種で、軽くて何でも突き抜けて、マイナスの電荷を帯びている」
 レプトン?
「……よくわかんないですけど、葵ちゃんにはそれが見えてるんですか?」
「私が言ったのは、それによく似てるってことだけだよ。素粒子なんて、人間の目に見えるはずがないんだから。本当はその子に何が見えてるかなんて、他人にわかるはずはないさ。私が見ているものと、君が見ているものだって、本当はまるで違ったものだろうからね」
 先輩は肩をすくめて、ちょっとだけおどけた仕草をしてみせた。
「…………」
 わたしはそれを聞いて、何となく黙ってしまった。
 先輩の言うように、わたしたちは同じものを見ているつもりでも、目に映っているのはまるで違った景色なのかもしれない。そしてそれは、どうしたって確認しようのないことで、わたしたちは絶対に他人と同じものを見ることはできない。例え、葵ちゃんに本当にそれ≠ェ見えていたとしても、わたしにはそれを知る術はない。
「うちゅうせん≠ゥ……」
 わたしはつぶやいて、もう一度手の平を上に向けてみた。
 でも、そこには何もない空間が浮かんでいるだけで、毎秒一個の割合で落ちてくるという雨粒を、わたしは見ることも感じることもできなかった。

 お昼休みになると、わたしたちは机をよせあってお弁当を食べる。わたしのお弁当は母親の作ってくれたもので、ピンクのハンカチに包まれた、ごく普通のランチボックスに入っている。
 昼食時の話題は、色々だ。身近なことから世界の出来事まで。でも大抵の場合は、テレビのこととか、芸能人のこととか、街でよく流れている音楽とか、そういうのが話題になることが多い。
 そういう時、わたしは積極的に話題を提供したり盛りあげたりするタイプじゃないので、聞き役というか適宜に相槌を打つ、というのが主になる。時間としては、黙っているあいだのほうが長いだろう――それに実のところ、わたしはそういう話題があんまり好きではないのだ。
 その日、それは理科の先生が風邪で休んで二時間目が自習になった以外には特に変わったことのない日だったけど、わたしたちはいつものように机をひっつけてお昼を食べていた。
 校舎の外には澄んだ青空が広がっていて、窓からはずっと遠くから旅してきたみたいな気持ちのよい風が吹きこんでいた。
 その日の話題は、昨日放送していたクイズ番組のことで、私あれすぐにわかった、とか、賞金もらったら何に使う、とかそんなことをとりとめもなくしゃべりあっていた。
 わたしは例によって、適当に耳を傾けながらお弁当箱の玉子焼きを食べていた。母親の作る玉子焼きはちょっと甘めの味つけで、他の人に食べさせると不評だったけど、わたしはこの味がとても気に入っている。
 その玉子焼きを食べながら、わたしはちらっと葵ちゃんのほうをうかがった。
 葵ちゃんは教室の後ろのほうで、一人でお弁当箱を広げていた。まわりには、誰もいない。葵ちゃんはけれど、そのことを気にしたふうもなく箸を動かしていた。
「宮瀬さんてさ――」
 わたしのその視線に気づいたのかもしれない。隣に座っていた森田さんが言った。
「いっつも一人じゃない?」
 たぶん、わたしはどういう表情もなく、みんなのほうに視線を戻していた。
「そうそう、いっつも一人だよね。休み時間のときも、お昼休みのときも」
 阿川さんが嬉しそうに相槌を打つ。
「友達いないんじゃないの?」
「いや、そりゃそうでしょ。友達なんているわけないじゃん。何しろ、あれだし」
「イタコ≠セもんね、宮瀬さん」
 イタコ――東北地方の巫女とか、あとは痛い子≠ニいう意味で、葵ちゃんのことを噂するときに使われたりする。もちろん、いい意味なんてあるはずはない。
「だからさ、邪魔しちゃ悪いもんね。何しろ超自然現象発生中だから」
「そっか、修行中だもんね、イタコ」
 くすくす笑う。
「――――」
 たぶんそれは、葵ちゃんにも聞こえていただろう。こんなに近くで、こんなに大声でしゃべって、耳に入らないはずがない。というより二人は、葵ちゃんにわざと聞かせようとしていたんだと思う。
 それは単純に、葵ちゃんのことを目障りに思っていたせいもあるだろう。理不尽な話かもしれないけど、一人でいる人間というのは、それだけでグループの存在を脅かすところがある。グループの必然性みたいなものを、こっそりと否定してしまうところが。
 それともう一つは、わたしに対する無意識的な牽制みたいなところがあったのかもしれない。わたしが葵ちゃんと親しくするのが、みんなにとっては不愉快なのだ。それは別にわたしを取られたくないとか、そんなことではなくて、たんなるプライドというか、面子の問題だった。集団には、個人とはまるで別の心理作用みたいなものが存在する。
 要するに何と言うか、これは葵ちゃんに対する嫌がらせであると同時に、わたしに対する警告のようなものでもあるわけだった。真野さんも、ああはなりたくないよね、というような。
 けれど――
 気づいたときには、わたしはもう立ちあがっていた。
「――ごめん、わたしもうやめるから」

 わたしの妹は精神遅滞というか、いわゆる知恵遅れ≠ニいうやつで、今も普通の学校には通っていない。同じ市内にある特別養護施設に通所していて、そこで訓練というか、日常生活を問題なく送れるよう経験を積んでいる。妹はもう十歳になるけれど、いまだに両手の指より多くは数えられないし、五画以上の漢字を書くこともできない。
 妹がそんなふうになったのは、子供の頃の病気が原因だった。ある日突然、ものすごい熱を出したのだ。体に触れていられないくらいの高熱だった。両親は二人とも、世界がひっくり返ったみたいに大騒ぎをして、わたしも何だか怖くて、毎日不安で、流れ星に向かって必死にお祈りをしたりした(わたしの星に対する興味の一部は、それも含まれている)。
 結局、妹の命は何とか助かることになった。両親はほっとして、わたしもほっとしたけど、見ためは何ともない妹は、脳の一部に障害を抱えることになった。その障害は最初に言ったように知能的なものと、体に残る麻痺として現れている。妹は右足がうまく動かせなくて、いつも足を引きずるような格好で歩く。
 妹がそんなふうに普通じゃなくなったとき、家の中はひどくばたばたとしていた。母親はしょっちゅう病院に通い、何か考えこみ、父親と二人で夜遅くまで相談したりしていた。
 二人が家を留守にするとき、妹の面倒を見るのはわたしの仕事で、わたしはよく妹と二人だけで遊んでいた。
 その頃のわたしは妹の病気とか障害についてはよくわかっていなくて、精神遅滞なんて言葉も知らなかった。妹が具体的にどういう状態になっているのかなんて、まるで知るよしもなかったのだ。
 でもわたしが妹といっしょに遊んでいて思ったのは、この子はなんてきれいな目をしているんだろう、ということだった。それはまるで、世界中の色という色をみんな集めて作った、きらきらした飴玉みたいな瞳だったのだ。
 わたしはその瞳を見るのが好きだった。その、まるで曇りを知らない瞳は、世界の本当の姿を映しているみたいで安心させられた。
 ――ううん、違う。
 わたしはその瞳に、わたしの本当の姿が映っているみたいで、ほっとしていたのだ。そこに、わたしの正しい姿が保存されているみたいで。
 けどそんなあれやこれやも、今から思い返してみれば、ということなのかもしれない。当時のわたしはやっぱり、妹という存在と、それがわたしに一任されているということに、どこかしら誇らしい気持ちでいたような気がする。その誇らしさが、妹に対するそんな特別な想いを形作ったのかも。
 とはいえ、わたしは今でも妹の瞳を見るのが好きだった。世界をまっすぐに見つめるような、その瞳を。そしてそういう瞳をした人に出会ったことは、今までに一度もないのだった。
 ――中学校で、葵ちゃんと出会うまでは。

「――ごめん、わたしもうやめるから」
 やめる? わたしは何をやめるつもりなんだろう。
 でも頭の中の混乱とは別に、わたしの体はほとんど自動的に動いていて、食べかけのお弁当を片づけていた。まるで何かの糸が切れてしまったみたいに、体のほうはわたしを置き去りにして勝手に動き続けている。
 みんなはそれを、ぽかんとした表情で見ていた。まるで、間の抜けた案山子か何かみたいに。
 わたしはお弁当を片づけてしまうと、何の迷いもなく葵ちゃんのところに歩いていった。そして、
「葵ちゃん、行こ」
 と、それだけをごく手短に言った。
 葵ちゃんはきょとんとして、何が何だかよくわからない顔をしていたけど、わたしは彼女のお弁当をちょっと乱暴に片づけてしまった。そしてそれを無理に持たせて、イスから立たせてしまう。
 そうしてわたしは葵ちゃんの手を摑んで、強引に教室をあとにした。辺りがしんと静まりかえっていたような気もするけど、うまく思い出せない。
 わたしはただ、わたしが握っている葵ちゃんの、その手のどうしようもないくらいの小ささばかりを感じていた。

「ねえ、ハルちゃん、どうしたの?」
 葵ちゃんは歩いている途中で、そう訊ねてきた。葵ちゃんはもう自分で歩いていて、その手をひっぱる必要なんてなかったけど、わたしはその手を離さなかった。
 昼食時間ももうだいぶ過ぎていて、廊下にはちらほらと人影があった。わたしたちはお弁当箱を持って、そのあいだを歩いている。わたしは自分がどんな顔をしているのかよくわからなかったし、そのことを気にするような余裕もなかった。たぶん、向こうからやって来たら、急いで道を譲ってしまいそうな顔だったと思う。
 わたしは葵ちゃんの質問には答えないまま、とにかくあの場所から離れたくてずんずん歩いている。
「ねえ、ハルちゃんてば」
「…………」
「戻ったほうがいいよ、みんな驚いてたし」
「…………」
「それによくないよ、こんなの。私といっしょにいると、ハルちゃんまで変な目で見られるし、みんなのところに戻れなくなるよ?」
「――いいの」
 わたしは怒ったような口調で、短く言った。
「いい、って……ハルちゃんはわかってないんだよ、自分が何をしたのか。私のせいで、ハルちゃんは困ったことになるんだよ?」
 わたしは立ちどまって、そして振り返って言った。
「いいって言ったら、いいの! それにわたしは、葵ちゃんにそんなふうに言って欲しくない。葵ちゃんがそんなふうに言わなきゃならない場所になんて、わたしは戻りたくない!」
 葵ちゃんはその言葉に、というよりはわたしの剣幕に驚いたみたいに口を噤んでしまった。びっくりしたような、きょとんとしたような顔で、葵ちゃんはわたしのことを見ている。
 けどわたしはと言えば、毛を逆立てて怒る猫みたいに苛立っていて、自分が何を言っているのかもよくわかってはいなかった。何もわたしは、だいそれたことをしようとか、正義のために戦おう、なんて思っていたわけでない。わたしはただ、自分のこの感情、どこから湧きあがって来るんだかよくわからない、この見知らぬ感情に従おうとしているだけなのだ。
 わたしは黙った葵ちゃんの手を引いて、再び歩きはじめた。相変わらず、行く先は決めていない。
 廊下から見える窓の外には、それでも変わることのない青空がのぞいている。
「――――」
 と、しばらくして葵ちゃんが立ちどまった。わたしは手をひっぱられて、足をとめる。
「ねえ、ハルちゃん」
 と葵ちゃんは言った。
「――屋上に行ってみようか」
 そう言った葵ちゃんの顔には、いつもと同じ笑顔が浮かんでいた。

 こうして、わたしと葵ちゃんはきちんとした友達になった。
 話をするときはこそこそ隠れたりしないし、お昼休みには屋上でいっしょにお弁当を食べたりもする。葵ちゃんと二人でいるのは楽しいし、彼女の笑顔や瞳をすぐ近くで見ていると、何だか世界がとても柔らかくなったような気がした。
 でもそれにもかかわらず、わたしはそのことを少し後悔してもいた。あの時は勢いであんなことを言ってしまったけれど、そのせいでやってきた現実は、けっこう厄介なものだったのだ。
 わたしはもちろん、元いた香坂グループに戻ることなんてできず、それどころかその四人からは何かにつけて嫌味を言われたり、嫌がらせを受けたりするようになった。小学校からの友達だった藤かなみとも、もう何の関係もなくなってしまって、ほとんど口も利いてくれなくなっている。
 と同時に、クラス全体でもわたしに対してどこかよそよそしい雰囲気を作るようになって、ひどく居心地が悪かった。まるで、言葉の通じない外国にでも来てしまったみたいなのだ。わたしが何か言おうとすると、それは口から出た途端に、みんなにとっては意味不明の言語に変わってしまう。
 たぶん、わたしは間違いを犯したのだ。
 わたしはもっとうまく立ちまわって、現状を維持すべきだった。もっと、別の方法をとるべきだった。わたしの立場を傷つけずに、葵ちゃんとも仲良くして、みんなにもいい顔ができるような、そんな方法を。
 それが難しいことだというのは、わかっている。
 でも少なくとも、こういうのは本来のやりかたじゃなかったな、とわたしは思うのだ。わたしは何が何でも友達を守るような熱血漢でも、どんな失敗をしても平然としていられるような自信家でもない。
 わたしはその辺の、掃いて捨てるほどたくさんいる、ごく普通の女の子の一人にすぎないのだ。
「――ハルちゃん、どうかしたの?」
 そんなことを考えているとき、葵ちゃんは心配そうにわたしのほうをのぞきこんでくることがある。
「ううん、何でもないよ」
 わたしは首を振って、そう答える。
 ――それは必ずしも、強がりなんかじゃない。
 わたしは弱くて、何の力も持っていなくて、今の状態を少し後悔しているし、もっとうまくやれたはずだとも思っている。
 でも……それでも、わたしはやっぱり葵ちゃんのことが好きで、葵ちゃんの笑顔や瞳が好きで、わたしは葵ちゃんといっしょにいたいんだと、そう思うのだ。

「葵ちゃんの髪型って、ちょっと変」
 わたしがそう言うと、葵ちゃんは軽くショックを受けたみたいだった。
「そうかな……」
 お昼休みで、わたしたち二人は屋上にいた。まわりには誰もいなくて、天気はよく晴れていて、空から直接高度を下げてきたみたいな風が吹いていた。
 わたしも葵ちゃんも、もうお昼はすませてしまっていて、出入り口近くの段差のところに座っている。
「うん、だって無理やり形を作ってるみたいだもん」
 葵ちゃんは気にするように、頭の後ろでまとめてある自分の髪に触った。
「……そうかな、ちゃんとしてるつもりだけど」
「おかしいってほどじゃないけど、でももっと良くなるはずだよ」
「うーん」
「ねえ、わたしが直してあげようか?」
 葵ちゃんはちょっと不思議そうな顔をした。
「ハルちゃんが?」
「うん」
 昔から妹の世話をしているので、わたしはそういうことには慣れているのだ。
「大丈夫かな?」
「任せなさい」
 不安そうな顔をする葵ちゃんに、わたしは自信満々でうなずいてみせた。実際には、特に根拠のない自信だったけど。
「じゃあ、お願いします」
 葵ちゃんはちょっと笑って、くるりと後ろを向いた。
「しばらく、じっとしててね」
 わたしはさっそく、葵ちゃんの髪の検分に入った。葵ちゃんはまとめた後ろ髪をくるりと巻いて留めているのだけど、予想通りのそのまとめかたは歪で、何だかできそこないの犬のしっぽみたいな感じだった。
 大体のイメージを固めてしまうと、わたしはピンやら髪留めやら輪ゴムやらを解いて、その髪を再構築しにかかった。いったん梳きなおした髪をあらためてまとめ、正しい手順を踏んでピンで留め、形を整えていく。
 そのあいだ、葵ちゃんはくすぐったそうな、ちょっとだけ気恥ずかしそうな様子をしていたけど、黙ったままじっとしていた。わたしも一言も口をきかずに、作業を進めていく。それは何だか、古い時代の神聖な儀式でも行っているみたいな、そんな厳かな気持ちを抱かせるものだった。亡国の王女と、その侍女、とでもいうような。
「――うん、できたよ」
 しばらくして、わたしは葵ちゃんの髪から手を離した。個人的には、かなり満足のいく出来である。
「本当に? おかしくないかな、私……」
「大丈夫。ほら、鏡貸してあげるから」
 そう言って、わたしはポケットから小さな鏡を取りだして葵ちゃんに渡した。
「…………」
 葵ちゃんはその鏡に自分の姿を映して、じっとのぞきこんでいる。その仕草は何だか、世界の秘密でも見つめているみたいだった。
「どうかな?」
 と、わたしは訊いてみた。
「うん、悪くない」
 葵ちゃんは何の裏表もない、太陽みたいな笑顔を浮かべた。
「ハルちゃんはすごく上手だね、まるでお母さんみたいだよ」
 わたしはあまり人に誉められたことがないので、どうにも照れてしまって、自分でもわかるくらいに顔を赤くした。
「あ……」
 その時、葵ちゃんは不意に何かに気づいたみたいに立ちあがった。そのまま、誰かにひっぱられるような格好で歩いていく。
「ねえ、ハルちゃん、すごいよ!」
 葵ちゃんは振り返って、わたしに向かって嬉しそうに言った。
「……?」
 けどわたしには、葵ちゃんが何を言っているのかわからない。屋上には相変わらず誰もいなくて、空は相変わらず真っ青で、風は相変わらず気持ちよかった。
「葵ちゃん、どうかしたの?」
「――雨みたいだよ」
 わたしの言うことなんて聞こえていないみたいに、葵ちゃんは空を見上げながらつぶやいた。
「光がいっぱい、降ってくる。流れ星がここまで落ちてきたみたい。落ちてきて、そのままどこかに通り抜けていく。まるで魂を突きぬけて行っちゃうみたいに。ほら、こんなにいっぱい、いっぱい落ちてくるよ」
 その言葉通り、降ってくる雨粒を全身で受けとめるみたいに、葵ちゃんは両手を広げていた。雨の日に、子供がきれいな傘を差して喜ぶみたいに、葵ちゃんはくるくる回っている。
「いつもはね、こんなにもいっぱいは降ってこないんだ。時々、見えるくらい。でも今は、いっぱいいっぱい、雨みたいに降ってる。本当に、すごいよ、こんなの」
 もちろん、わたしの目には何も変わったことなんて映っていない。空はいつも通りの格好で、何も降ってきてなんていない。
「…………」
 でも、わたしが葵ちゃんの言葉を聞いて思い出していたのは、ニュートリノのことだった。
 ニュートリノは、三種類ある中性レプトンのことだ。といっても、わたしには何のことだかよくわからないけど、要するに原子核よりもっと小さい、素粒子の一種だ。すごく小さくて、質量もほとんどないので、何でもかんでもすり抜けてしまう。こうしているあいだにも、その辺を何百兆個と飛びかっているのだけど、周囲への影響はほぼゼロだ。
 電気的にも中性なので、検出するのがとても難しく、存在を見つけるのには大規模な実験施設が必要になる。大量の水と検出器を備えた地下深くの水槽とか。ニュートリノは、例えば太陽の観測なんかにも役立つ。太陽内部の光というのは、表面に達するまでに数十万年という時がかかるけど、ニュートリノならそれがたったの二分ですんでしまう。つまり、太陽ニュートリノの観測を行えば、太陽内部で今何が起こっているのかがリアルタイムで予想できるというわけである。
 ニュートリノは重力の影響も、電気的な影響もほとんど受けないので、宇宙の彼方からだって地球まで届いてしまう。はるか遠く離れた星のことだって、ニュートリノを調べればわかってしまうというわけだ。
「…………」
 空から降ってくる何か≠見つめる葵ちゃんを眺めながら、わたしはふとそんなことを考えていた。どこか、わたしたちの想像さえ追いつかないようなどこか遠く、そこからまっすぐに、まったく一直線にこの場所まで届いた物質の小さな小さな一欠片。
 けれどそのか細いメッセージは、わたしたちには伝わらない。その言葉はあまりに小さくて、あまりに目立たないものだから。
 そう思うと、わたしは葵ちゃんの何かに触れたような気がした。
 彼女の見ている何か――ううん、葵ちゃんの心の世界、そのものに。

 地球から約16万光年離れた宇宙、大マゼラン雲で恒星の一つが超新星爆発を起こしたと観測されて話題になったのは、その日の午後も遅くなってからのことだった。

 それは、わたしが部活に向かう途中のことだった。
「もしかして、真野春海さん?」
 放課後で、みんなが帰宅したり、部活に向かっている時間のことだった。運動場からは早くもサッカー部の掛け声が聞こえている。ただ、四階のこの廊下には、あまり人通りはなくてしんとしていた。
「……?」
 声に聞き覚えがなくて、わたしが振り向いてみると、そこには段ボール箱いっぱいに紙束を入れるという、やけに重たげな荷物を抱えた見知らぬ男子生徒の姿があった。すれ違ってから声をかけられたので、お互いに半ば背中を向けあうような格好をしている。
 よく見ると、その人は胸に「佐野」と書かれた緑色のネームプレートをしていた。ということは、三年生とうわけだ。だったらなおさら、わたしがその人のことを知っているはずがない。
「……えっと、誰ですか?」
 わたしはその「佐野」さんに訊ねた。
「おっと、悪い悪い」
 「佐野」さんは明るい調子で言いながら、持っていた段ボールをいったん床に降ろした。どさっと、わかりやすすぎるくらい重そうな音がする。ジェンガみたいに不安定に積まれた紙束を、よく崩さないものだ。
「生徒会の仕事でね、倉庫の整理をしてるんだ」
 わたしの視線に気づいたのか、「佐野」さんは気さくな感じに説明してくれる。とりあえず、悪い人ではなさそうだった。
「そうなんですか……」
 不得要領な返事をしながら、わたしはあらためて「佐野」さんを観察した。
 背はちょっと高めで、髪はさっぱりと短く切っている。黒縁の、セルロイドの眼鏡。スポーツマンタイプの体つきをしているけれど、何となく頭のよさそうな顔をしていた。かなりかっこよくもある。一言で表現すると、爽やかな、運動部の部長的な人だった。
「そうなんだ。で、君は真野春海さんに間違いない?」
「はい、そうですけど」
「葵と同じ、一年二組の?」
 急に葵ちゃんの名前が出てきたので、わたしはびっくりしてしまった。それも、呼び捨てで。「佐野」さんはそれを見て、悪戯にでも成功したみたいににこにこしている。
「俺の名前は佐野葉一(さのよういち)、葵は俺の妹なんだ」
 それでも、わたしはやっぱりきょとんとしていた。
 妹? ということは、この人は葵ちゃんのお兄さん? 葵ちゃんは兄弟がいるなんて言ってたっけ? というか、えっと……
 わたしが混乱しているあいだにも、「佐野」さんは言葉を続けていた。
「君のことは、葵のやつから聞いてたんだ。同じクラスに友達ができた、ってね。すごく嬉しそうに話すんだよ、あいつ。最近、あまり元気がなさそうだったから、俺としてもほっとしてさ。で、今日こうやって歩いてたら、向こうから何となく見覚えのある子が歩いてくるな、って思ったんだ。『誰だっけ?』と思うんだけど、思い出せなくてさ。それですれ違ってから、ぴんと来たんだ。この子が真野春海じゃないか、ってね」
「あの、一つ訊いてもいいですか?」
 わたしは佐野さんのセリフのほとんどを無視して言った。
「いいよ、もちろん」
 と、佐野さんはまるで気にした様子もなく、簡単にうなずいてみせる。
「佐野っていう名字は……?」
 葵ちゃんの名字は、「宮瀬」というはずだ。ネームプレートにだって、そう書いてある。でもこの葵ちゃんのお兄さんだという人は、自分のことを「佐野」だと名のっていた。
「もしかして、葵のやつから聞いてない?」
 佐野さんは確認するように言った。
「ええ……」
 聞いてないも何も、わたしには何のことだかわからない。
「そっか、葵のやつ話してないのか」
 自称、葵ちゃんのお兄さんは少し困ったような顔をした。というか、本当に葵ちゃんのお兄さんなんだろうか、この人は。よくよく見ると、顔だってあまり似ていない。
「どうするかな、本人が話してないんなら……」
「いえ、その、気になるので教えてください」
 わたしはちょっと慌てて言った。このままだと、一日中悶々として過ごすはめになりそうだった。
「そう? まあ知っておいても、問題はないと思うけど……」
 佐野さんはまだちょっと迷っているみたいだったけど、結局は教えてくれた。
「つまり、俺は葵の義理の兄にあたるっていうわけなんだ」
 義理ということは、つまりその、血のつながりがないということだ。
「うちの親父と、葵のとこの母親が再婚して、そうなったんだ。二年くらい前の話だよ。それからはいっしょに暮らしてる。家族は四人だけ」
「でも、確か葵ちゃんは宮瀬って……」
「再婚しても、子供のほうは手続きしないと名字が変わらないんだよ。で、葵はまだその手続きをしてないというわけだ。だからうちでは、葵だけが宮瀬のままなんだ」
「はあ」
 これだけだとまだ何だかよくわからなかったけど、つまりそういうことなのだろう。
「でも、どうして葵ちゃんは名前を変えなかったんですか? 元の名前がなくなっちゃうのは、確かに嫌かもしれないけど――」
「その辺のことは、俺にもよくわからないな。本人がそうしたいって言ったらしいけど」
 その時、廊下の向こうからいきなり声がした。かなり怒ったような声である。
「佐野葉一――!」
 見ると、ショートカットの女子生徒が一人、腰に手を当ててこっちをにらんでいた。けっこうな距離があるはずなのに、その眼光の鋭さは灯台の明かりみたいにはっきりしている。
「あんた、まだ仕事中でしょ。何をさぼってるのよ、そんなところで」
 佐野さんは彼女に向かって、気軽に手を振ってみせた。
「悪い、すぐ行くよ」
 その女子生徒(たぶん、三年生)は、様子をうかがうというにはちょっと強すぎるくらいの視線をわたしのほうに向けてから、何も言わずにその場を去っていった。
「……というわけで、話の途中だけどタイムオーバーみたいだ」
 佐野さんはそう言って、床に置いていた段ボール箱を、よっと担ぎなおした。
「長々時間をとらせて悪かったね。部活に行く途中だった?」
「あ、いえ、大丈夫です」
 わたしが慌てて首を振ると、佐野さんはにこりと笑った。その笑顔は葵ちゃんのものとは違っていて、取り替えたばかりの電球みたいにむやみと明るかった。
「それと、今日のことは葵には内緒にしておいてもらえるかな?」
「……? どうしてですか」
「あいつさ、自分のことで俺に迷惑がかかるのが嫌らしいんだよ。葵のやつって、ちょっと変わったところがあるだろ? だからそのことで俺が面倒に巻きこまれるかもしれないから、学校じゃ自分とのことはあまり話さないように、って言うんだ。俺はそんなの気にしないんだけど、あいつがそうして欲しいって言うから」
「…………」
「だから俺が葵のことを心配してるっていうのは、秘密にしておいて欲しいんだ。でないと、あいつきっと気にするから」
「――わかりました」
 わたしはこくんと、うなずいた。
 ありがとう、と言って、佐野さんは最後にもう一度だけ笑ってから去っていった。
 時間は猫が歩くみたいに音もなく過ぎていて、いつのまにか運動場からは色々な喚声が聞こえていた。わたしは段差になった時間を踏み越えるみたいにしてから、思い出したように足をまた動かした。

 入学式から一ヶ月ほどが経過したけれど、クラスの中でのわたしの立場は相変わらずだった。
 陰湿ないじめを受ける、というほどじゃなかったけれど、おしゃべりの輪にわたしが近づくとみんな一瞬口を噤んだし、何かを頼もうとしても慌ててどこかへ行ってしまったり、体よく断わられたりした。そういうのはやっぱり、時と場合によってはとても応えてしまう。
 香坂グループとの関係も、修復不可能な状態だった。彼女たちとは特に、直接対決みたいなことをしているので、その関係性は友好とはほど遠くて、露骨に陰口をたたかれたり、嫌がらせを受けたりする。
 わたしがショックだったのは、小学校時代からのつきあいだったかなみが、もはや友達でもなんでもなくなってしまっている、という事実だった。かなみはもう完全に香坂グループに属していて、わたしとの友情なんて何もなかったみたいな顔をしている。そういうのを見ると、何だか混乱して、自分の存在そのものに疑問を持ってしまう。心のどこかで、大切なものに罅が入るみたいに。
 それでも、どんなことにでも慣れというものはあるらしい。
 わたしは次第にそういう状況に対して、ショックを受けたり、憤ったり、落ち込んだりすることが少なくなってきた。周囲でも、わたしの扱いに慣れてきたのか、軋轢みたいなものは減っていった。要するに、わたしにはわたしなりの居場所が与えられた、ということだ。それが良いことなのかどうかは、よくわからなかったけれど。
 もちろん、わたしがそんな状況に耐えられていたのは、葵ちゃんがいてくれたからだった(もっとも、葵ちゃんがいたからこんな状況になった、とも言えるのだけど)。
 わたしと葵ちゃんはずいぶん親しくなって、いろんなことを話すようになった。それでわかったのは、葵ちゃんとわたしは似たような趣味と傾向を持っている、ということだ。派手なことが苦手で、どちらかというと流行に無頓着で、自分の興味があることに対しては強いこだわりを持っている。良きにつけ、悪しきにつけ、ということだけど。
 佐野さんから聞いた話については、葵ちゃんには何も言っていない。佐野さんが内緒にしておいて欲しい、と釘をさしたこともあるし、わたしのほうからは何となく訊きにくかった、というのもある。それに、葵ちゃん自身がそのことについて何も言わない以上、わたしのほうではそれを問題にするつもりはなかった。
 わたしは今の葵ちゃんにも、今の葵ちゃんとの関係にも満足していて、それを無理にどうこうするつもりはなかった。
 ――つまり、わたしは概ねのところで幸せだったのである。たぶん、80パーセントくらいは。

 ある日のことだった。
 わたしは部活がお休みだったので、葵ちゃんといっしょに帰ろうとしていた。ちょっとした買い物につきあってもらうつもりだったのだ。
「あれ?」
 けど帰る準備をしてから教室を見渡してみると、そこには葵ちゃんの姿はなかった。
 こういう時、誰かに質問できないというのは面倒なことだ。わたしは仕方なく、一人で葵ちゃんを探しにかかった。葵ちゃんの机の中にはまだ荷物が残っていたので、学校のどこかにいるのは間違いない。
 わたしは心あたりの場所をまわってみたけれど、葵ちゃんの姿はどこにも見あたらなかった。屋上、中庭、トイレ、休憩所――どこにもいない。
(校舎の外にでも行ったのかな?)
 玄関で靴を履きかえて、わたしは外に出た。
 その時点で、わたしは今日のことについては半分諦めていた。どうしてだか葵ちゃんは見つからないし、買い物はまた今度でいいかな、と。
 ――実際、形は違うけれどその予感は実現することになる。
 わたしは校舎裏の、ほとんど誰も来ないようなところまで探してみた。そしてようやく、葵ちゃんの姿を見つける。わたしはほっとしたせいで、どうしてこんなところに葵ちゃんがいるんだろう、とは考えもしなかった。
「あお……」
 声をかけようとしたその時、誰か他の人影がいることに気づいた。
 わたしはとっさに口を噤んで、校舎の陰に身を隠してしまっている。どうしてそんなことをしたのか、自分でもわからなかった。わたしの声はふと聞こえた空耳みたいに、大人しくその場から姿を消している。
 心臓だけが、わたしの胸の奥で妙な音を立てて動いていた。

 どうしてわたしは、隠れたりしたんだろう――?
 どうしてわたしは、声をかけるのをやめたりしたんだろう――?
 どうしてわたしは――

 でも、そんなことを考える暇もなくて、わたしはその場の様子にじっと耳を澄ませていた。顔を出すと見つかってしまいそうなので、直接現場を目にすることはできない。葵ちゃんがいったい誰といっしょにいるのかも、わたしにはわからなかった。
「……ということね」
 声が聞こえた。少し聞きとりにくかったけど、何とか聞こえないことはない。
 その声は、聞いたことのないものだった。大人びて、落ち着いていて、澄んだ鈴の音みたいな声。でもちょっと近づきにくい感じのする、きれいな声。少なくともわたしのクラスに、こんな声の人はいない。
「うん、そうだよ」
 これは、葵ちゃんの声だ。いつもと変わらない、素直な明るい声。その声を聞くかぎり、事態は特に切迫しているというわけではなさそうだった。
「でも、どうしてかしら?」
 相手が、そう質問した。その声の調子は、先生が生徒に質問するのにとてもよく似ている。
「あなたはどうして、そのことをみんなにしゃべったりするの?」
「――どうしてって、言われても」
「普通の人には、あなたの見えているものは見えない。そのことは、あなたもわかっているはずよ。だったら、そのことを言っても、みんなに気味悪がられるだけじゃないかしら?」
「私は――嘘はつきたくないから」
「でも嘘といったって、それはあなたにとっての嘘でしょう? みんなにとっては、逆にあなたが嘘をついていることになる。みんなには、それが見えないのだから」
「でも……」
「あなたの言いたいことはわかるわ。けど世界は、真実に対して優しいとはかぎらないのよ。時にはそれを怖れたり、歪めてしまったりしようとする。私たちのこの世界は、見ためほど頑丈じゃないから。いえ、あるいは、頑丈すぎるのかしら?」
「…………」
「世界は、それ自体が自動的に自分を守ろうとするときがある。私たちにとっては不可解で納得できないことでも、世界の側からしてみれば、意図的で必然的なことだった、ということもある。あなたがみんなから疎まれるのも、世界が自身の恒常性(ホメオスタシス)を守ろうとする自律作用なのかもしれない」
「……私にはわからないよ」
「本当にそうかしら? あなたにはもう、わかっているんじゃないの? いつまでもこのままではいられない、と。このままの時間が永遠に続くわけじゃない、と。あなたは決断しなくてはならない。避けられない選択を、難しい選択を。誰にも、時間をその場所に留めておくことなどできはしないのだから」
「…………」
「いきなりこんな話をして、困らせてしまったみたいね。でも私は間違ったことは言っていないわ――残念ながら、ということだけど。この話は、頭の片隅にでもしまっておくといいわ。きっと、何かの役に立つから」
 話はそこで終わりみたいだった。
 人の動く気配がして、わたしは慌てて身を小さくした。その格好で何とかのぞき見たところでは、きれいな長い髪をした、わたしたちと同じ一年生らしい生徒が向こうへ歩いていくのが見えた。一瞬ちらっと見ただけだったけれど、声の印象とよく似た、上品で凛とした顔立ちの女の子である。
 それだけを確認してから、わたしはそっと逃げだすみたいにしてその場をあとにした。心臓は訳のわからない脈打ちかたをして、こめかみの辺りが変に締めつけられたように熱を持っていた。
 逃げだすみたいにして――
 ううん、わたしは本当に逃げだしたのだ。何だかとても、嫌な感じがしたのだ。何だかとても、怖い感じがしたのだ。
 まるで夢の中で、わたしだけが電車に乗り遅れたみたいに。
 まるでわたしだけが、何もない駅のホームに置き去りにされてしまったみたいに。
 わたしは何故だか、とても怖かった。

 ――もしかしたら、あの子には葵ちゃんと同じものが見えているのかもしれない、とわたしは思った。
 あの、空から無数に降ってくる光。雨粒みたいに手の平に落ちてくる光。
 彼女には、それが見えているのだ。だから葵ちゃんのことを聞いて、そのことを話に来た。私にもそれが見えている、と。
 だとしたら、彼女は葵ちゃんの本当の仲間だ。
 ――だって、彼女には葵ちゃんと同じものが見えて、同じ世界を共有しているのだから。
 わたしには見ることのできない、同じ世界を。わたしには決して共有することのできない、同じ世界を。
 そのことに気づくと、わたしは胸の奥にちくりと痛みが走るのを覚えた。それは思い出すたびに、ちくちくわたしを刺してくる痛みだった。心臓の剥きだしになった部分が、透明な棘にでも刺されてしまったみたいな、そんな痛み。
 わたしにはでも、その痛みの正体がわかっている。
 つまり、わたしは二人にとって邪魔者なんじゃないか、ということだ。せっかく見つけた仲間の、ようやく見つけた同じ目で世界を見る仲間の、そのあいだに入って、その小さな世界を汚してしまうような存在。
 二人はきっと、友達になれる。わたしなんかとは違って、本当の友達に。だって、二人は同じものを見ることができるんだから――
 葵ちゃんにとって、わたしはいないほうがいいのかもしれない。
 わたしは――

 それからしばらくのあいだ、わたしは何となく葵ちゃんのことを避けていた。
 避けるといっても、別に葵ちゃんから逃げたり、話をすぐに切りあげてしまったり、ということじゃない。ただ何となく、他の用事を優先したり、こっちから見かけても声をかけずにすませてしまったり、というようなことだ。
 わたしのそういう態度は、やっぱり葵ちゃんにも伝わっていて、時々訊かれたりもする。
「ハルちゃん、どうかした?」
 葵ちゃんは心配そうに、不安そうにわたしのことを見つめる。
「――ううん、何でもないよ」
 でもわたしは、そう答えるだけだ。嘘の笑顔を、顔に浮かべて。
 葵ちゃんはそれ以上、何も訊かなくて、ただちょっと首を傾げるようにするだけだ。
 もちろん、わたしにもわかっていた。このままじゃいけないと。このままじゃ、わたしはどこにも行けなくなってしまうんだ、と。
(――でも、だからってどうしたらいいんだろう?)
 わたしは机の上に頬杖をついて、ぼんやり考えている。わたしにとっての葵ちゃん、葵ちゃんにとってのわたし。出すべき答え、これからわたしが取るべき行動。世界が持っている自律作用。
 そしてわたしは、ある一つの結論を出すことにした。
 ある日の放課後、わたしは一年五組の教室に向かった。五組の教室は廊下の角を曲がった少し離れたところにあるので、普段でもあまり通ることはない。帰り支度を終えて荷物を持った生徒たちのあいだを、鮭が遡上するみたいに歩いていく。
 わたしはどんな顔をしていただろう? 怖い顔だろうか、緊張した顔だろうか、怯えた顔だろうか、それとも何の表情もなかったのだろうか。
 目的の人物がその教室にいることは、事前に確かめてあった。名前もわからないし、一年生らしいというのも曖昧だったけど、何とか苦労して見つけることができた。人間は探せば、何億光年も先の星だって見つけることができるのだ。
 わたしは五組の教室をのぞいてみて、その人がいることを確認した。教室の後ろのほうで、帰る準備をしているところだ。他のクラスの教室に入るのはやっぱり気が引けたけど、もう人もそれほど残っていないし、場合が場合なので、わたしは思い切って足を踏みいれた。気分的には、猛獣の檻に入ってしまったみたいでもある。
 その人は、わたしのことには気づかなかった。教室に残っていた何人かが、わたしのことを異邦人みたいに珍しそうに眺めていたけど、わたしはそれを無視する。
「美原(みはら)さん、ですよね?」
 わたしはその人の前に立って、そう言った。自分でも驚くくらい、その声は真剣だった。まるで、自分の声じゃないみたいに。
 その人は顔を上げて、わたしのことを見た。そして、どうにも見覚えのない相手だな、という表情を浮かべる。
「そうだけど、あなたは?」
 長い髪に、整った顔立ち。世界を直接見つめるような、まっすぐの瞳。その瞳は、葵ちゃんのそれとよく似ていた。
「わたしは真野春海といいます。二組の生徒です。実は、美原さんに話があって来ました」
「話……?」
「そうです、大事な話です」
 美原さんはちょっと眉をひそめたけど、わたしの真剣な――あるいは、強引な――様子に何かを感じとったみたいに、すぐには断わろうとしなかった。
「でも私は、あなたとは初対面のはずだと思うのだけど。いったい、どんな大事な話があるっていうのかしら?」
「葵ちゃんのことです」
 わたしがそう言うと、美原さんは何かを探るように口を閉ざした。その瞳は何だか、わたしの心の底まで見透かしているようにも見える。
「……わかったわ」
 しばらくして、美原さんは言った。
「ここでは何だから、どこか別の場所に行きましょう。あまり人に聞かせるのもどうかと思う話だろうから」
 彼女はそう言って、かすかに秘密を含ませたような、そんな笑顔を浮かべた。けどわたしは笑みを返すこともできないまま、ただ自動機械みたいにうなずくだけだった。

 屋上にはいつかと同じような、澄んだ青空が広がっていて、人の姿は一つもなかった。わたしは何だか、葵ちゃんとここに来たみたいな気がしたけど、後ろにいるのは美原さんであって、葵ちゃんではない。
 彼女の名前は、美原紗矢香(さやか)という。
 まっすぐで、長くて、癖のない黒髪をしていて、どこかの御令嬢みたいな雰囲気をしている。服の着こなしから仕草の一つ一つまで神経が行きとどいていて、ちょっとした絵画みたいに見えなくもない。そして、葵ちゃんとどこかよく似た瞳をしている。
「あまり来たことはないけど、天気がいいと気持ちがいいものね」
 彼女は屋上の真ん中で、少しのびをするように言った。その動作も、やっぱり一枚の絵になっている感じだ。
「…………」
 わたしはけれど、美原さんとは対照的に緊張していた。視線は錆びついたネジみたいに動かなくて、手は固く握ったまま開かないでいる。
「――それで」
 と、美原さんはいつまでたっても口を開かないわたしの代わりに、そう言った。
「私に何の用かしら? 宮瀬さんのことについて、だそうだけど」
 うまくやらなくちゃ、とわたしは思った。これはとても微妙な問題なのだ。下手をすると、何かとんでもないことになってしまいそうな気がした。物事をあみだクジの先にあるとても間違った方向に導いてしまいそうな、そんな気が。
 でもわたしは、そう思えば思うほど、何を言うべきなのかわからなくなった。焦ればあせるほど、言葉はしり込みしたみたいに口から出てこなかった。
「――あなたには、葵ちゃんと同じものが見えてるんですか?」
 わたしが口にしたのは結局、そんなあまりにも直截的な言葉でしかなかった。駆け引きもなにもあったものじゃない。まるで風車に立ち向かうドン・キホーテだった。
 けど、美原さんはそれを馬鹿にしたふうもなく訊いた。
「どうして、そう思うのかしら?」
 わたしはふっ切れたというか、自棄になってしまったみたいに正直に答えた。
「校舎裏で話していたのを、偶然聞きました。立ち聞きするのは失礼と思ったけど、どうしても気になったんです。あなたは葵ちゃんに、忠告みたいなことをしていたました。あれは、あなたにも葵ちゃんと同じものが見えてるからじゃないんですか?」
 美原さんはうかがうように、わたしのことを見た。高性能のスキャナーみたいな視線だ。でもわたしは何だか興奮しているみたいで、頭がぼうっとして、その視線をまっすぐ見つめ返していた。
「あなたは宮瀬さんにとって、どういう人にあたるのかしら?」
 ややあって、美原さんは言った。
「葵ちゃんはわたしの友達です」
 自分でも思いがけないくらい強く、はっきりと、わたしは口にしていた。そして自分でその言葉を聞いてから、ああそうだ、と思う。わたしは葵ちゃんと友達でいたいんだ。彼女を助けたいんだ、彼女の笑顔を見たいんだ。
「……なるほどね」
 と美原さんはあくまでも冷静に、
「じゃあもう一つ聞くけど、あなたはどうしてそんなことを私に尋ねるのかしら?」
「だって」
 答えには、少しの間もなかった。
「もしそうだったら、あなたと葵ちゃんは友達になれる。同じものを――わたしには見えないものを――共有できる、本当の友達に。そしたらきっと、わたしは邪魔になる。わたしは二人と本当の友達にはなれないから。だから――」
 あれ?
 わたしはきょとんとした。
 何だか、頬が濡れている。わたしはしゃべり続けたまま指先をそこにやって、ようやく自分が泣いていることに気づいた。
「――だから、葵ちゃんにとってそのほうがいいなら、わたしは葵ちゃんの友達をやめる。わたしはそうしようと思って、あなたにそのことが聞きたかったんです」
 わたしは顔をごしごし拭って、涙を消した。人前でそんなふうに泣いたというのに、わたしには全然恥ずかしいという気がしないでいる。まるで泣いたのが自分じゃないような、妙な気持ちだった。
 彼女はしばらく黙っていたけど、
「ふふ――」
 と、急に笑いだしている。
「ああ、なるほど、そういうことね。だからあなたは、私にそんなことを聞きに来たってわけだ」
 美原さんがおかしそうに笑っていて、わたしは怒っていいのか呆然としていいのかもわからず、ただじっと立ちつくしていた。
「うん、わかったわ。あなたの気持ちも、大体の事情も。なるほど、なるほど、そういうことか」
「あの……」
 一人で合点がいっているらしい様子の美原さんに対して、わたしは戸惑ったままでいる。
「ああ、ごめんごめん。勝手に納得しちゃって悪かったわね。うん、でも大丈夫、心配しなくてもいいわ」
「心配……?」
「つまりね、あなたの想像はいい意味で的外れってことよ」
 わたしには何がなんだかわからなくて、目をぱちくりさせた。
「単刀直入に言うと」
 彼女は笑いながら言った。
「私には何も見えてなんかいないということ」
「え――」
「あなたの勘違いよ、つまるところ。私には宮瀬さんと同じものなんて見えていない」
「でも、えっと」
 わたしは混乱して、うまく考えをまとめることができなかった。的外れ? 勘違い?
「じゃあ、どうしてあんなことを……?」
 わたしの問いに、美原さんは答えるべきかどうか迷うようなそぶりを見せた。
「本当はこれは秘密なんだけど、仕方ない、あなたには教えてあげるわね。でも決して人には言わないで。絶対に秘密にしておいてね」
 美原さんはそう言うと、とてもとても真剣な口調で言った。
「――実は私は、政府の秘密調査員なの。調査内容は、特殊変異性個体≠フ発見。平たく言うと、超能力者を見つけることね。私はこの学校で、潜入調査をやっているわけ」
 わたしはぽかん、としてしまった。
「調査期間は半年。そのあいだに目標を見つけられなかった場合は、別の候補地に移動することになっている。もちろん、調査員は私だけじゃなくて、協力者や連絡機関もあるわ。対象候補を見つけた場合、調査員の判断で独自の調査を開始することになっている」
「つまり、えと、葵ちゃんはその調査対象ということ?」
「ええ、そうよ」
 美原さんはあくまで真剣だ。
「でも、じゃあどうして葵ちゃんにあんなことを言ったり? 黙っていたほうがいいんじゃ……」
「調査権限は各調査員に一任されてる。私はああやって、わざと同じものが見えるふりをすることで、あの子の警戒を解こうとしたのよ。だって、そのほうが調査はしやすいでしょう?」
 わたしは黙ってしまうしかない。
「ねえ、真野さん」
「――はい?」
「このことは絶対に誰にも言わないでね。もしそんなことをしたら、あなたのほうが困ったことになるわよ。これからも平穏無事に過ごしたいのなら、このことは胸の奥にきちっとしまって、頑丈な鍵をかけておくことね」
「…………」
 わたしはもごもごと口を動かして、わかりましたとか何とか、返事らしきものを口にした。
「そう、よかったわ」
 美原さんはにこっと笑った。空気が何グラムか軽くなってしまいそうな、物理的な影響力を持った笑顔である。
「誤解は解けたようだから、話はもうこれくらいにしておきましょう。あなたはこれからも、宮瀬さんと友達でいるべきね。彼女にはきっと、あなたみたいな人が必要だから」
「わたしは、でも……」
「ああ、そうだ。このことは宮瀬さんには内緒にしておいてね。自分が調査されてるなんて知ったら、あまりいい気はしないでしょうから。あの子にとっても、そのほうがいいでしょうしね」
 どこかで聞いたようなセリフだった。
「じゃあ、そういうことで。あなたとはまたこうして話をすることになるかもしれないわね、真野春海さん」
 ほんの気配みたいな笑顔を浮かべると、彼女は出入り口のほうへと姿を消した。屋上には沈黙が戻ってきて、ふと耳を澄ますと運動場のほうからは大きな掛け声が聞こえてきたりしている。
 わたしは狐につままれたような顔で、しばらくのあいだじっと立ちつくしていた。

 そして今、わたしは同じ屋上にいる。
 今度は、宮原さんはいなくて、葵ちゃんといっしょだ。お昼休みで、食事はもうすませてしまっている。空は晴れていて、南のほうに向かって白い飛行機雲がまっすぐにのびていた。
「…………」
 あれから、葵ちゃんには何の変化もない。何かの秘密を聞かされたふうも、変てこなごたごたにまきこまれたふうも、何も。葵ちゃんはあくまで、葵ちゃんだ。いつも通り、明るくて元気な。
 美原さんのほうは、音信不通の状態。といっても、同じ学校にいるし、話をしようと思えばいつでもできるのだけど、わたしはもう一度五組の教室に行こうとはしなかった。美原さんはその後、葵ちゃんとは会っていないみたいだけど、彼女の言う「調査」云々がどこまで本当なのかはわからない。もしかしたら、あれはわたしのためについた嘘で、本当はやっぱり「見えている」のかもしれない。話としては、そっちのほうが自然なようにも思える。
 けどいずれにせよ、わたしと葵ちゃんは相変わらずいっしょだった。クラスでも何となくわたしたちのことが容認されてきたらしく、悪口や陰口も減ってきている。わたしと香坂さんのグループとは、関係修復不可能のままだったけど――
 今、葵ちゃんは青い空を見上げて、はるか彼方のその場所に向かってちょっとだけ手をのばしている。葵ちゃんには今日もやっぱり、見えない光が見えているらしい。
 それは、わたしには決して見えないものだ。
「ねえ葵ちゃん、聞いてもいいかな?」
 わたしはまるで、ずっと前から用意してきた言葉みたいに、自然にそう口にしていた。
「ん、何、ハルちゃん?」
「実はね、葵ちゃんのお兄さんに会ったんだ」
 葵ちゃんはちょっと不思議そうな感じに、わたしのことを見た。
「偶然、会ったんだ。わたしは向こうのことを知らなかったけど、向こうはわたしのこと知ってて。それで、少し話をしたの。葵ちゃんの名前のこととか。でも、お兄さんに今日のことは内緒にしておいてくれ、葵ちゃんがきっと気にするだろうからって言われて……だから、今までそのことは黙ってた」
「…………」
「それでね、こんなこと聞くべきじゃないのかもしれないけど、でもね、どうしても気になって。つまり、葵ちゃんは何で名前を変えないんだろう、って。わたしはそのことがわからなくて――」
 葵ちゃんはしばらく黙っていた。空の上では、飛行機雲がゆっくりと青色の中に溶けていこうとしていた。
「あのね、光が見えたの」
「光……?」
 わたしはよくわからないまま、その言葉を繰り返した。
「うん、光」
 葵ちゃんは何かを思い出すような、何かを懐かしむような、そんな顔をしている。
「お父さんが亡くなるときにね、光が見えたの。お父さんの体からぱっと飛び散る光が。それはちょっと弱かったけど、わたしがいつも見てる、空から降ってくる光と同じものなの。それでね、その時はじめてわかったんだ。『ああ、あれは命がなくなるときに出る光なんだ』って」
 命がなくなるときに出る光?
「うん、本当のことは、私にもよくわからないんだけどね」
 葵ちゃんは子供みたいにちょっと舌を出してみせた。
「でも、私はそんな気がする。あの光は――ううん、私が今も見てるこの光は、きっと命の証か何かみたいなものだって。命がそこにあったんだっていう証。例え命そのものはなくなっても、それは残るんだと思う」
「それが、理由――?」
「うん、たぶん、そうだと思う」
 にこっと、葵ちゃんは笑った。世界がほんの少しだけ、どこかで変わってしまうような笑顔で。
「…………」
 人には見えないものが見えるという葵ちゃん。
 名前を変えようとしない葵ちゃん。
 ――つまりは、そういうことなのだ。
 葵ちゃんはお父さんのことが「なかったこと」になってしまうのが嫌なのだ。お父さんが亡くなったときに見えたという光、葵ちゃんにしか見えない、命の証みたいな光。例えみんなが見えないと言っても、葵ちゃんのことを嘘つきだと言っても、葵ちゃんはそれを「なかったこと」にはできなかった。その光は、お父さんの命の証でもあるのだから。
 そして葵ちゃんは、みんなには見えない光を見えると言い続けなくてはならなかったのと同じように、お父さんと同じ名前でい続けなくてはならなかった。例えそれで、人にどんなふうに思われたとしても。
 葵ちゃんは守りたかったのだ、自分の中の大切なもの≠。
(そうなんだ、葵ちゃんは……)
 葵ちゃんはずっと、一人で戦ってきたんだ。ずっと、一人で守り続けてきたんだ。
 だからこそ、葵ちゃんは――
「……もしも」
 と、わたしは言おうとした。もしも、葵ちゃんと同じものが見える人がいたとしたら……
 でも、葵ちゃんは、
「え、何か言った、ハルちゃん?」
 とわたしの声は聞こえていないみたいだった。
「――ううん、何でも」
 わたしは首を振った。たぶんそれは、葵ちゃんが自分だけで決めるべきことなのだろう。わたしが余計な影響を与えたりはせずに。
「変なハルちゃん」
 そう笑って、葵ちゃんはまた見えない光を追って空を見上げた。
「…………」
 少しだけ、わたしは顔を上げた。
 葵ちゃんが見えているというその光は、やっぱりわたしには見えない。どんなに目を凝らしても、星の光のすべてが見えるわけじゃないように。どんなに耳を澄ませても、夜の音のすべてが聞こえるわけじゃないように。
 でもその時のわたしは、きっと、できるだけ葵ちゃんのそばにいたいと、そんなことを思っていた。どんなに不可解で、納得できないことがあったとしても。たぶんそれが、わたしにとっての大切なもの≠ネのだから。

――Thanks for your reading.

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