[神様からの贈り物]

「こんな題名で書けといわれても、僕には簡単に書くことなんて出来ません。
 ただ言えるのは、神さまは贈り物なんてしない、ということです」

 と、作文には書かれていた。それは私が担当する二年一組の男子生徒が書いたものであり、私が宿題に出した『神様からの贈り物』という題名に対して書かれた作文だった。
 この中学は一クラス三十人ほどだから、宿題に対しても当然三十通りの作文がある。この前一万円拾ったとか、試合で奇跡的に勝利したとか、あるいは自分が誕生したことが神さまからの贈り物だ、というのもある。
 私はそれらを面白おかしく感じながら読んでいく。十四歳というのは子供の無知と無邪気さの消えていく微妙な時期で、作文にはそういうものが現われている。中には「題名がおかしい」と文句をつける者もいる。
 三十人三十色。
 でもその中で、この子の書いてきたものだけが奇妙に異質だった。奇妙に、異質だったのだ。
 まず、この子の作文だけが封筒に入れられていた。しかもいちいち郵送して送られてきたのだ。それは国語の時間に出した簡単な宿題だったので、一週間後に直接出せばよかったし、それが普通だった。
 それが、第一だ。
 次に紙が普通の原稿用紙ではなく、ノートを破いたものであることだった。直接手で破いたらしく、片方は露骨な崖のようにでこぼこになっている。わざわざ郵送するような手間をかけるわりには、不自然なほどの手抜きだった。
 そして、内容。
 それは冒頭の部分のようにはじまる。それから彼は、中学一年の時に体験したことを語るのだ。それは概ね次のようだった。

 彼は入学当初、他の大抵の新入生がそうであるように、期待と不安で一杯だった。春の空気はこれから何かが始まるのだという気配を含んで漂っていた。
 入学早々、彼はささいなことで友達を殴って、運悪くその友人の右腕を骨折させてしまう。もちろん、そんなのはたいした問題ではないはずだった。彼は殴りたくて殴ったわけでも、折りたくて折ったわけでもない。
 運が悪かったのだ。
 でもどういうわけか、彼はその友達に上手く謝ることが出来なかった。入院先に見舞いにも行けなかったし、退院してその友人が白いギブスをはめて登校して来たときも、彼は逃げるように友人のことを避けた。
 理由は、分からない。ただ何となく、謝る必然性を上手く感じられなかっただけのことだ。彼は何故か謝るという行為にまつわる偽善性というものを意識から追い払うことが出来なかった。
 とはいえ、彼の意識下の混乱とは無関係に、事態は当然のごとく単純に進行していった。
 彼は一人になった。
 友達は彼を避けるようになり、何かと行われるグループ分けでも常に配分に困られることになった。
 彼は常に居心地の悪さを覚えるようになった。それでも彼は、謝ることが出来なかった。その事を上手く説明できる自信がなかったのだ。そして説明できないからといって、それが「本当はただの言い訳」にされるのが怖かった。
 彼は休み時間、教室を抜け出すことが多くなった。行く先は主に図書室だった。一人でいても面倒がないからだ。
 別に興味を持つでもなく、彼は本を読んだ。
 しかし図書室にいるうちに、彼は自分と同じように一人でいる少女のことに気づいた。彼女のクラスメートらしいのが、「ユウカっていつも一人で本読んでるよね」と友達としゃべってちらっと本棚のほうを見たのを、見るとはなしに見たからだ。
 そこには少々陰のある、どう見てもクラスでは目立つほうではない少女がいて本を探していた。
 彼女を見て彼が思ったのは、共感でも、憐れみでも、蔑みでもなく、
 ――何だろう、この子は。
 ということだった。彼の眼からすると、彼女は奇妙に堂々として、一人でいることをさして気にした様子ではなく、むしろ一人でいてせいせいしてるわ、とでも言いたげな皮肉っぽい印象があった。彼女は、一人であっても独りではなかった。
 それから彼は何かと彼女を気にするようになった。
 彼女――ユリナ・ユウカという、どっちが名字だかよく分からない名前をしている――は、ほぼ毎時間図書室にやって来ているみたいだった。
 もちろん、一人で。
 そしてどうやら一日一冊くらいのハイペースで本を読んでいるらしかった。それも本なら何でもいいといった感じの無節操さで、昨日童話を読んでいると思ったら、今日は歴史の本を読んでいる、という具合だった。
 彼はあるとき、偶然彼女が隣に座ってきたので(図書室が混んでいて空いている席がそこにしかなかったのだ)、思い切って話しかけてみることにした。
「あの、何読んでるの?」
 しかし、彼女は奇跡的に無視した。それは本当に無視したのかどうか分からないくらいだった。
「日本語、通じるよね?」
 と、彼は諦めずに訊いた。何故か今を逃すと一生彼女とはしゃべれずに終わる気がしたのだ。
「当たり前でしょ」
 と彼女はうんざりした、という感じで言った。「日本語の本読んでるんだから」
 確かにそうだな、と彼が素直に認めて、それから一番目の問いに戻った。彼女は諦めたように本を見せた。
 ――旧約聖書。
「信者の人?」
「まさか。だったらこんなとこでこんな薄っぺらい、子供向けのやつ読んでるわけないでしょ」
「じゃあ何で?」
「おもしろいのと、参考にするため」
 二人はそれから良くしゃべりあうようになって、彼は彼女が作家を目指していて、それで本を大量に読んでいるのだと知った。
 どういうわけか、二人は互いによく気があったみたいだった。それは話題が共通しているとかいったことではなく、性格が外面的には逆で、内面的には良く似ているせいらしかった。
 彼は物事にわりと慎重で、様々な面について考えるほうだった。すべてのことにはメリットとデメリットなどの相反する性質があって、その一方からでは物事を理解することは出来ない、と思っていた。
 彼女はどちらかといえば単純で、鉈で割ったような考え方を好んだ。究極的にいえば、それは世の中のことを「自分が好きか、嫌いか」で分けることだった。それが彼女の理解の根本にあるものだった。
 それでも二人は思考システムの違いといった外面的な相反性を持ちながら、生きていく態度とでもいうべきものにおいて一致していた。
 それは、すべての物事には何かの意味がなくてはならない、ということだった。「意味がある」のではなく、「なくてはならない」のだ。
 それは二人を同じように苦しめ、二人はその苦しみを共有していたから、互いに相手を理解することが出来た。人は自分自身についてもっともよく理解することが出来るからだ。
 彼女にあった日から、彼は一人でいることが苦痛ではなくなった。
 二人は図書室だけでなく、いろいろなところで会うようになった。時には互いの部屋に遊びに行ったり、彼女の書いた本を彼が読んだりした。難しいことは分からないが、彼は彼女の書いたものが面白いし、好きだった。それはきちんと人に読まれるように書けているものだったからだ。
 そうやって二人は互いを理解して、親密になっていった。
 でも、ある日、彼女は死んだ。
 自殺したのだ。手首をナイフで切って、ぬるま湯につけた。死ぬまでにどれくらいかかったかは分からない。朝になって家族に発見された時には、すでに死んでいた。
 彼は何故彼女が自殺したのか、分からなかった。そんなそぶりもなかった。つらそうな様子もなければ、自殺したいとほのめかすこともなかった。
 彼女はまるで、ちょっと試してみるように自殺した、というふうに彼には思えた。
 自殺の話を聞いたとき、彼はそれが何を意味しているのかさっぱり分からなかった。頭の一部はそれを冷静に受け止めようとしているのだが、そのほとんどは収拾のつかないほど混乱していて、それがどういう事態なのかすら把握できていなかった。
 彼は彼女の家を訪ね、葬式にも出席させてもらったが、どうしても素直に悲しいとは思えなかった。それはあまりにも致命的で重要な事実だったので、彼はそれを受け入れられなかった。受け入れた時点で、彼は自分がばらばらに壊れてしまうことを知っていた。
 やがて二年に進級すると、クラスのメンバーがほぼ全員変わったおかげで、彼は普通に友達を作り、普通に生活を送った。そうでもしなければ、自分がどこか遠くへ飛んでいってしまいそうに思えたからだ。
 彼は日常に紛れ込む方法で、悲しみを忘れようとした。
 そうしたある日、一通の手紙が届いた。それは彼女からのもので、開いてみると、まず彼女の両親からの伝言が書かれていた。それよると、この手紙は彼女が彼に宛てて書いておいたもので、遺品を整理していた時にノートの間から出てきたのだという。
 彼が手紙を開いてみると、それはごく普通の、友達に宛ててちょっと近況を聞いてみる、といった感じのものだった。
「最近は宿題が多くて、なかなか小説も書けていません。まったく、ストレスです。書けたら、また見せます」
 でも後半のほうで、少しだけ変なことが書かれていた。
「実のところこんなこと書くつもりじゃなかったし、この手紙を出すかどうかだった迷っている。私は誰かに知ってもらいたいと思いながら、知られることも怖がっている。その辺のことは、よく分かってもらえるとは思うけど」
 そう書かれていて、それから「おやすみなさい、私はもう寝ます、また明日」と書いて終わっていた。

 ここからは彼の原文の通りに載せておく。

「僕はそれを読んだとき、ずっと耐え続けていた涙を流しました。よくこれだけ泣けるものだと、自分で感心するくらい泣きました。
 でもそれは彼女がいなくなったことに対してではありません。
 ぼくが泣いたのは、結局彼女を僕が完全には理解できていなかったということに対してです。
 人間というのが、結局は完全に理解しあえるということがないのだと知ったためです。
 神様は贈り物なんてしない。
 僕はそう思います」

――Thanks for your reading.

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