[百年の眠り]

 その国の王と王妃の間には長いあいだ子供が生まれませんでした。王と王妃を慕う国民の間でも、それは長い気がかりです。
 ある日、国王は臣下の一人に相談してみました。すると臣下は言いました。
「東の森に住む魔女が良い方法を知っているとか」
 そこでさっそく王は、その魔女を城に呼び寄せてみました。
「そちは子を授かる良い方法を知っているとか」
 と謁見の間で王は尋ねます。
「もちろんですとも、国王」
 魔女は口元をゆがめて笑いました。
「私が魔法をかければ二人の間にたちどころに子が生まれます」
「それが真ならどんな褒美でもとらすぞ」
「いえいえ、褒美など畏れ多いこと」
 と魔女は言いました。
「その代わり王にはある約束を聞いてもらわなくてはなりません」
「約束?」
「ええ、ええ。とても簡単な約束です。というのは生まれた子供が十三になった時、その子は百年の眠りにつく、というものなのです」
「百年の眠り!」
 王は驚きました。
「そんなことになったら子供は死んでしまう」
「いえいえ、百年の間その子は歳をとることもなければ死ぬこともありません。ただ眠って、夢を見るだけなのです」
「しかし百年もたてば、その子は目覚めた時たった一人になってしまう。その子を知る者は誰一人いなくなってしまうではないか」
「それは私の知らぬこと。王が良きようになさることです」
 魔女はそれからこう言いました。
「ただしその約束を承知してもらえねば、お二人に子が出来ることはありませぬ。そしてこのご返事は今日中に頂きたいのです」
 王は魔女を下がらせ、皆と相談しました。
 臣下は皆、魔女の話に賛成しようとはしませんでした。特に魔女のことを話した臣下は、自分の責任のようにも思って強く反対したのです。
「そのような勝手な約束を受けてまで子を作ることはありません。いずれお二人に子が生まれることはきっとあります」
 けれど、王と王妃はどうしても子供が欲しかったのです。
「すまぬが、私たちはどうしても自分の子を見てみたい。そして愛したいのだ。私たちの親がそうしてくれたように」
 と、王は言いました。
「その子には出来るだけのことをしてやるつもりだ。だからすまぬが、私と王妃の我儘を許して欲しい」
 臣下たちは誰も何も言い返すことができません。
 しばらくして魔女が呼ばれ、そして王は約束を受けるといいました。
「ええ、ええ。それはとても結構なことです。さっそく魔法をかけて進ぜましょう」
 魔女は何か長いまじないを唱えて、それから持っていたねじれた杖を一振りしました。
「これで王妃はすぐにも子を宿すでしょうぞ」
 と、魔女はしゃがれた声で言い、東の森に帰っていきました。

 それからほどもなく王妃は懐妊し、無事に子を産みました。産れたのは天使のように可愛らしい女の子です。
 王も王妃も、臣下たちも国民たちも大変な喜びようでした。その赤ん坊を見ているとどんな人でも心が温かくなるようです。
 さっそく王は、この子に名前をつけることにしました。
「どんな名前が良いか?」
 と王はお触れを出して皆に聞きました。
 たくさんの人がたくさんの名前を送りました。その中から王と王妃は一つの名前を選びました。小さな子供の送ったもので、おそらく深く考えてのものではありません。
 それはリーチェという名前でした。
 リーチェというのは時の女神のことです。彼女は人々の為に時という終わらない歯車を回し続けているのです。
 王と王妃はきっと、娘にずっと生きていてもらいたいと思ったのでしょう。
 リーチェはその後、元気に成長しました。彼女は賢くて、優しい少女になりました。人々はリーチェを愛し、彼女はその中で幸せに育っていきます。
 城には水汲みの老婆がいて、彼女はリーチェの一番の話し相手でした。
「またお話聞かせて」
 と、リーチェはいつも彼女の話を聞きたがりました。
 老婆はリーチェのためにたくさんの話を聞かせてあげます。金色の蛙や、泣き虫の雨雲、黄金の卵を産む鶏や、じっと風を受け続ける風車の話。
 中でもリーチェはすみれの花の話が好きでした。それはある美しいすみれの花と、傷つき弱ってしまった蝶の幼虫の話です。すみれの花は幼虫のために自分の体を棲家にしてやり、幼虫はすみれの葉を食べてやがて蛹になりました。蛹はやがて美しい蝶になりますが、その頃にはもうすみれの花は枯れてしまっています。蝶はしばらく枯れたすみれの周りを飛んで、それから広い大空へと消えて行きました。
 リーチェはこの話を聞いて、清らかさとか美しさとかいったものが、ちゃんと受け継がれていくものなのだと感じるのです。
 ところが何年かして、水汲みの老婆は死の時を迎えました。老婆はリーチェの頼みで城の中の景色の良い部屋で暮らすことになりました。
 リーチェは毎日のように老婆の下を訪ねます。
 けれど老婆はなんとなく元気がなくて、もう話もしてくれません。いつもため息ばかりついています。
 リーチェは訊ねました。
「おばあさんは、そんなに死ぬのが嫌なの?」
「世の中の人は大抵そうですよ」
 と、老婆は少し笑って言いました。
「リーチェ様もいつか分かると思います」
 その晩リーチェはどうすれば老婆をなぐさめてあげられるのか考えてみました。
 そして翌日、こうお願いしたのです。
「おばあさん、私に死ぬことについて≠フお話をして」
「何ですって?」
 と老婆は少し驚いてしまいます。
「あのね、私はおばあさんのお話を聞くととっても心が安らぐの。それはね、きっとおばあさんのお話を聞くと、今までもやもやして不安だったりしたことがはっきりして安心するからだと思うの」
 リーチェは言いました。
「だからね、私にはまだお話を作って上げられないけど、おばあさんが自分でお話しても、きっと安心できるんじゃないかって……」
 老婆はリーチェの言葉を聞いてそっと微笑みました。
「リーチェ様はお優しい方ですね。こんな老婆のことをそこまで考えてくださるなんて。ええ、お話しますとも、私の最後のお話を」
 そう老婆が言うと、リーチェは恥ずかしそうに顔を赤らめて、でもこれが老婆の最後のお話だと思うと悲しくて涙が出そうでした。
「リーチェ様が泣くと、私まで困ってしまいます。大丈夫ですよ。すみれの花のように、きっと私の魂もどこかにつながっていますから」
 老婆はそう言って、それからお話を始めます。
 それはこんな話でした。
 ある所にごく普通の町娘がいました。彼女は目もくらむほど美しくもなければ、人が驚くほど頭が良いわけでもありません。ただ心根の優しい、善良な少女です。
 その少女には夢がありました。いつかお城で働きたいと思っていたのです。少女にはそこが別の世界のように思えていたのです。
 時がたち、少女は念願かなってお城で働けるようになりました。周りの人は皆親切で、国王夫妻も優しい方でしたが、夢見がちなあの時ほどの興奮はもうありませんでした。
 彼女はやがて恋をして、結婚し、子供を産み、その子供も独立して、夫もいつしか亡くなってしまいました。
 彼女は独りになってしまったのです。
 以来、彼女は何となく憂鬱な日々を送りました。
 でもある日、彼女は一人の少女に出会って、そして自分の知っているお話を話して聞かせました。
 少女はその話を面白がってくれ、彼女には少女の笑顔を見るのが楽しみになりました。
 そして今、彼女は死のうとしています。
「リーチェ様、私の一番の幸せはねリーチェ様、あなたに会えたことなんですよ」
 と、老婆は話をしめくくります。
 リーチェはうれしくて、悲しくて、どうしても泣かずにはいられませんでした。泣くと老婆が困ってしまうと思っても、それでも泣くのを止められなかったのです。
「ごめんなさい。私、どうしても泣いちゃって。うれしいんだけど、悲しくって。――私、おばあさんに死んで欲しくない」
 リーチェは何度もしゃっくりをしながらそう言いました。
 老婆はとても優しくリーチェの髪をなでてやります。
「そう言ってもらえるだけで、私は救われます」
 そしてその翌日、老婆は静かに息を引き取りました。
 リーチェが部屋に入った時には、老婆はもう冷たくなっていました。その死顔は、とても穏やかなものです。まるで安らかに眠っているようでした。
 老婆の顔には窓から差し込む陽の光が当たっています。おそらく老婆は、朝日を見て、今日も無事に始まったことを微笑みながら死んでいったのでしょう。彼女は最後に、自分がいなくなった後でも世界がちゃんと動いていることを確認したのです。
 リーチェはけして泣きませんでした。泣けばきっと老婆が困ると思ったからです。
 葬式が行われると、彼女の息子達や親しい人々が参加しました。もちろんリーチェも参列しています。リーチェはここでもけして泣こうとはしませんでした。
 老婆の亡骸はその夫の隣に葬られました。
 それから何日かして、リーチェは中庭の花壇のところに座りました。そこはよく老婆がお話をしてくれたところです。
 リーチェはほとんど何も考えずに、
「またお話聞かせて」
 と言って隣を振り向きました。
 でもそこには誰もいません。
 リーチェはどうしようもなく悲しくて、悲しくなってとうとう泣き出してしまいました。
 それからしばらくは、老婆の墓の前にすみれの花が一本、必ず置かれていました。

 リーチェは素直で、でも元気な女の子に成長しました。リーチェは城で勉強をしたり、町で普通の子と遊んだり、裁縫を習ったりします。
 誰もが彼女を好きになって、彼女も皆が大好きでした。
 でも、リーチェはとうとう十三の誕生日を迎えてしまいます。
 その日、国中がリーチェのためにお祝いをしましたが、誰もが心の中で悲しまずにはいられませんでした。
 百年の眠りにつかなくてはならないことを、リーチェだけは知りません。誰も、とてもそんな残酷なことを告げられなかったのです。
 そして盛大なお祝いの晩、リーチェが寝室で眠っていると、音もなく鴉が窓から入ってきました。
 鴉は部屋の中に舞い降りると、たちまちあの醜い魔女に姿を変えました。
 魔女は眠っているリーチェの前に立って囁きます。
「お前に百年の眠りを与えるよ。そういう約束だからね。心配はいらないよ。百年たったらぱっちり目が覚めるからね」
 口元をゆがめて笑って、魔女は杖を一振りしました。たちまちリーチェは深い深い眠りに落ちてしまいます。
 魔女は鴉に姿を変えると、来た時と同じように音もなく帰って行きました。城を見張っていた兵士も、まったくその事に気づきません。
 翌朝、リーチェが長い眠りについてしまったことを知って、誰もが深い悲しみに襲われました。特に王と王妃は、岩でも砕けてしまいそうなほど悲しんでいます。
「皆の者、聞いてくれ」
 と王は言いました。
「娘は百年の眠りについてしまった。悲しいが、約束だから仕方がない。そこで私は娘のためにこの国が百年後もこの国であるようにしたい。せめて娘が目覚めた時に、そこにいられる場所を残してやりたいのだ」
 王の言葉に誰もが賛成しました。
「リーチェ様のために」
 こうして百年の誓いが立てられたのです。

 リーチェは夢を見ていました。
 それは幸せな夢です。そこには王や王妃、それにお話好きの老婆だってちゃんと生きています。誰もが幸せで、何の不幸もないそんな夢です。
 いわば、リーチェは永遠に夕暮れの来ない子供の遊びの中にいました。そこで幸せな夢を見ているのです。
 時は過ぎていきました。十年、二十年……。
 リーチェは目覚めません。
 三十年、四十年……。
 それでもリーチェは目覚めません。
 そして百年がたちました。その日の朝、リーチェは白い光の中で目覚めました。眠った時と同じ姿でリーチェはゆっくりと眼を開きます。
 リーチェは立ち上がって、誰もいないことに気づきました。いつもなら必ずおはようございますと言ってくれる侍女もいないのです。
 きっとみんな私を驚かそうとしてるんだ、とリーチェは思いました。
 そこでそっと、誰にも気づかれないように部屋を出て、先に皆を見つけてやろうと思いました。
 けれどもリーチェがいくら探しても、誰の姿もなく物音一つしません。
 きっと町に隠れているんだ、とリーチェは思いました。
 けれど町に行っても誰もいません。まるで時が止まってしまったように町は静かでした。
 リーチェは泣いていいのかどうかすら分からずに城の中庭に戻りました。花壇の花はみんな枯れ、噴水は水が涸れています。
 リーチェはともかく、自分だけが残されたことを理解しました。
 その時、一羽の鴉がどこからともなく現れて、リーチェの前であの百年の眠りを与えた魔女に姿を変えました。
「きひひ、どうだいたった一人残された気分は?」
 と魔女は憎たらしく言います。
「どんな王も時の流れには勝てないというわけさ。この国の人間ははやり病にかかって皆死んでしまったよ。もっとも、最後の一人までお前のことを心配していたようだがね」
 リーチェは呆然とその話を聞いています。
「つらいだろうね、苦しいだろうね。そこで相談なんだがね、私がここで今すぐお前を楽に死なせてやる代わりに、お前が見た百年の夢を私にくれないかい?」
「夢を、どうするんです?」
 とリーチェは訊ねました。
「喰うのさ」
 魔女は笑って答えます。
「清らかで幸せな夢っていうのは最高に美味なんだ。特に噛み砕く瞬間がたまらないね。幸せな夢があっという間に粉々になっちまうのさ」
「……」
 リーチェは黙って考えました。
 王や王妃のこと、老婆のこと、城や町のみんなのこと、そしてすみれの花のこと――。
 リーチェは今まで見てきた夢が、けして自分だけのものでないことに気づきました。それはみんながいたからこその幸せだったのです。
 だからリーチェの答えは決まっていました。
「あなたに夢は上げられません」
 そして次の瞬間には持っていた短剣で自分の胸を突き刺してしまいました。
 真っ赤な血が、リーチェの胸から流れ出ていきます。
 魔女は心底悔しそうな顔をして、すぐに鴉に姿を変えてどこかに行ってしまいました。
 リーチェは死ぬまでの瞬間、何を考えていたのでしょう?

 彼女が今も天国で幸せに暮らしているかどうか、それは誰にも分かりません。

――Thanks for your reading.

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