ウェルトリングのお城には、一人のお姫様がいました。彼女は王と王妃の一人娘で、蝶よ花よとばかりに大切に育てられていました。何しろたった一人の子供でしたから、それも無理のないことだったのです。 そのお姫様はまた、大変に愛らしい顔立ちをしていました。誰だって彼女をみれば微笑まずにはいられない、そんな顔です。そのために彼女は誰からも可愛がられ、可愛がられることを当然と思うようになりました。 (私は世界で一番、可愛い女の子なのよ) 彼女は自分の事をそう思っていたのです。だから正直なところ、彼女の心は彼女の外見ほどには愛らしいものではありませんでした。けれどそれは、お姫様一人のせいとはいえません。 ある日のこと、そのお姫様の行方が分からなくなりました。原因はまるで分かりません。ただ、お城の馬小屋から上等の馬が一頭いなくなっているのが見つかったばかりでした。 王と王妃はそのことを大変嘆き悲しみました。おかげで着ているものが涙に濡れて、一日に十遍も二十遍も着替えをしなくてはならないほどでした。 大臣たちは二人の悲しみを一刻も早く癒すために、国中でお姫様を探しました。おかげでウェーデンの国では乞食から貴族にいたるまで、誰もこの話を知らないものはいなくなったほどです。 そうすると、いろいろな場所からいろいろな人間がお姫様を見たといったり、この人がお姫様ではないかといって連れてきたりしました。でもそのほとんどはただの見間違いや、人違いでした。お姫様の足取りはようとして知れなかったのです。 ところで、ウェルトリングの城下町には、一人の老婆と一人の少女が一緒の家に住んでいました。老婆は元刺繍工でしたが、長く働いたせいで手が悪くなってしまい、今では少女がその生活費のほとんどを稼いでいました。 老婆は少女がパンの配達から帰って来ると、さっそくこの事を話してみました。 「私は一度、聖夜祭の時にお姫様を見たことがあるんだがね」 と、老婆は言います。 「お姫様の姿はお前そっくりだったよ」 少女の名前は、ラヴァテといいます。 ラヴァテは言いました。 「それがどうしたの?」 「だからさ、お前がお姫様だといってお城に行くんだよ。そうすれば毎日おいしいものが食べれて、夜になればふかふかのベッドで寝られて、いうことなしさ。私だってお姫様を見つけた御褒美に、お城で暮らせるようになるだろうしね」 「そんなにうまくいくものかな?」 ラヴァテは何だか不安そうに言いました。いくら似ているといったって、中身はまったくの別物なのです。そう都合よく行くとは思えませんでした。 「大丈夫さ。お姫様はちょっと頭を打って、いろんなことを忘れちまったんだと言えばいいんだよ。それにお前だってちょっと行儀作法を身につければ、お姫様らしく見えるってもんだよ」 それでしばらく、ラヴァテは老婆について行儀作法を習うことになり、お城へと向かったのでした。 老婆とラヴァテがお城へやってくると、人々はみな驚きました。何しろラヴァテはお姫様と瓜二つといっていいほど似ていたのです。誰もがこれこそは本物のお姫様だといって、王と王妃にお目通りがかなうことになりました。 「これこそシャリア姫に間違いございません」 と、老婆は二人に向かって言いました。お姫様の名前はシャリアといったのです。 「ふむ、確かに姫に間違いない」 王様もそう思いました。少し髪が短くなって、顔も汚れ、着ているものも粗末でしたが、何といってもそれは姫本人に違いはありません。まるで薄皮を一枚はがして貼りつけたように、ラヴァテはお姫様そっくりでした。 「ところで、姫はどうして城を出て行ったのかな?」 と、王様は訊きました。それを訊くのも、もっともなことでした。 「姫は頭を打ちましたようで」 と老婆はひどく残念そうに言いました。でも本当は、事がうまく行きそうなので内心でほくほくしていたのです。 「自分のことについてお忘れになられてしまったのです。私が見つけた時にも、すっかり意識を失って長く目が覚めなかったほどなのです」 老婆がそう言うと、ラヴァテは前に進んで王と王妃にお辞儀をしました。ラヴァテはスカートのすそをつまんでくるりと一回転し、小首をかしげるような仕草をします。王と王妃はあっけに取られました。そんな奇妙なお辞儀の仕方は知らなかったのです。 「確かにシャリアは頭を打って少しおかしくなってしまったようだ」 と、王様が言いました。 「とはいえ、その者が姫に間違いはあるまい」 そうしてラヴァテはお姫様として城で暮らすことになったのです。
ラヴァテはお城で暮らすようになると、老婆の言ったとおり、毎日おいしい食事を食べ、きれいな服を着て、柔らかいベッドで眠ることが出来ました。 ラヴァテにとって、それは今までの生活からすれば、信じられないほど贅沢なものでした。 けれど同時に、ラヴァテはお姫様に必要な教育や礼儀作法といったことについて学ばなくてはなりませんでした(老婆の教えてくれたものは、大抵がまるで見当違いのことでした。例えば、食事の時はフォークで切って、ナイフで刺すというようなことです。老婆の家にはフォークもナイフもなかったのです)。 ラヴァテはこれにはうんざりでした。何しろ歩き方一つとっても、時間や場所によって二十一種類も違ったものがあるのです。ラヴァテにすればそんなものは、急いでいる時とゆっくりしている時の二種類で十分でした。 「私、もうお姫様は飽き飽き」 とラヴァテは老婆に言いました。老婆は姫を助けてくれた大切な恩人ということで、その侍女につけられていました。 「なに言ってんだい。こんなけっこうな暮らし、あのおんぼろの家で出来ると思っているのかい。それに今さら偽者だなんて、言えるわけがないじゃないか」 そう老婆は言うのです。 「大丈夫さ、どんな暮らしだって、しばらくすれば慣れちまうもんだからね」 とも、老婆は言いました。 それでラヴァテは相変わらずお姫様として生活を続けていきます。 けれど一日中お姫様としての生活を続け、誰からも「シャリア姫」と呼ばれていると、ラヴァテはしまいには本当に自分がシャリア姫のような気がしてきました。 何しろ朝起きてから「シャリア姫」、夜眠るときにも「シャリア姫」と呼ばれて、誰も本当の名前の「ラヴァテ」とは言わないのです。それに鏡を見るたびに、そこにいるのはラヴァテではなく「シャリア姫」でした。栗色の髪は軽くカールして、肌はたんぽぽの綿毛のように滑らかで、瞳は澄んだ青空を映したような碧眼です。それはどこからどう見ても、美しい一人のお姫様でした。 ラヴァテは、老婆の作った「頭を打った」という話さえ、自分で信じるようになっていたのです。 事態がそのままなら、そのことに何の問題もなかったことでしょう。ラヴァテは「シャリア姫」として、新しい人生を歩んでいくのです。 けれどある時、お城に一人の人物が訪ねてきました。 それこそ誰あろう、シャリア姫本人だったのです。彼女は着ているものこそぼろぼろで、身なりは汚れていましたが、お姫様本人に違いはありませんでした。 お城では大騒ぎです。何しろ、これでお姫様が二人もいることになってしまったのですから。 「これはどうしたことじゃ?」 と王様も慌てました。二人は姿かたち、声の調子や挙措動作までそっくりで、まるで見分けがつかなかったのです。同じ格好をしていれば、もっと見分けがつかなくなることでしょう。 「お父様、私こそがシャリアに間違いありません」 「いいえお父様、私のほうこそ本物のシャリアです」 と、二人はどちらも互いに譲りませんでした。 もっとも、それを見ていた老婆は持てるだけの物を持って、さっさと逃げ出していました。何しろ今いるお姫様が偽者だと知っているのは、この老婆より他になかったのです。 おかげでもう、誰もラヴァテのことをラヴァテといえる人はいなくなっていました。そして、(私こそ本物のシャリアよ)とラヴァテは思い込んでいたのです。 二人のどちらが本物のシャリア姫なのか、様々な問題を出して決めることにしました。そうするより他に、誰にも決められなかったのです。 ラヴァテとシャリアの二人は広間の中央のイスに座り、その周りを王や重臣たちが取り囲みました。そして様々な試験を行っていきます。 食事のとり方や、いろいろな歩き方、読み書きや、算数、歴史に関する問題。けれどそのどれをとっても、二人はきちんと受け答えをして、どちらが本物のお姫様ともつきませんでした。 王様は困ってしまって、とうとう一冊の本を取り出しました。それはお姫様が子供の頃に読んでいた本で、いろいろなところに落書きがしてあったのです。 「この本のことを覚えているかね?」 と、王様は質問しました。ところが、二人はどちらともその本についてすらすらと答えました。ラヴァテはシャリアの持ち物全部に眼を通して、これは自分のものだと思い込んですっかり覚えてしまっていたのです。 こうなると困ったものでした。昔あった些細な事さえ、ラヴァテは周りの人間から聞き覚えてしまっていましたし、自分でもそうだと思って疑いもしませんでした。 二人は姿かたちどころか、頭の中まですっかり同じ人間だったのです。 どちらが本物のお姫様とも決められないまま、何週間かがすぎました。するとある老人が、こう言いました。 「本物のシャリア姫なら、右の足の小指に赤いあざがあるはずだが」 そこで二人の足の指を調べてみますと、ラヴァテのほうにはちゃんとそのあざがあって、シャリアのほうにはありませんでした。ラヴァテはそういう質問が出ると知って、自分の足に赤い染料であざをつけておいたのです。 けれどそれは、老人の嘘でした。本物のシャリア姫の足には、赤いあざなどなかったのです。 「これではっきりした」 と王様は言いました。 「本物の姫は、あざのないそちらの娘じゃ」 ラヴァテはびっくりしましたが、もうどうすることも出来ませんでした。何しろ本物のお姫様ではなかったのです。彼女はあっという間にお城から追い出されてしまいました。 「じゃあ、お姫様でないとしたら、この私は一体誰なのかしら?」 とラヴァテは思いました。けれど、誰もそれを教えてやれる者はいません。それを知っている人は彼女を置いて、もうどこかへ行ってしまっていたのです。 ラヴァテは自分が分からなくなったまま、街を歩き続けました。彼女は結局、自分と違う人間であろうとしすぎたのです。
|