5、剣術試合
ティル・レアリスが亡くなったのは、その一週間後のことである。 リーディは最後の試合以来ティルの家を毎日訪ねていたが、死の前日ティルは珍しく血色がよく、終日ベッドの上に座って本を読んだり、窓の外を眺めたりして過ごしていた。 この日、リーディが訪ねたのは昼過ぎ頃で、ティルは遅い昼食をとっていた。 「ああ、リーディも食うかい」 と言って自分の食事をすすめたが、半分も減っていなかった。シルフィがしきりと食べさせようとするのだが、さすがに食欲がないらしい。結局半分食べ終わったところでシルフィはティルの食事を下げた。 その後はリーディと他愛のない会話をしていたが、ティルはふと気づいたように、 「リーディはこの国を救うのが夢だそうだけど」 と、訊いた。 「ええ」 リーディはちょっと笑って、 「おかしいですか?」 と言った。とはいえリーディ自身は別にこの事がおかしいとは思っておらず、ただ大抵の者がそういう反応をするものだから、先に言ってしまったに過ぎない。 が、ティルは別な反応を見せた。 「少し、うらやましいな」 と言ったのである。 「俺はこんな体だからね、何か大きな事をしようっていうのは、聞いていて気持ちがいいんだ。リーディならきっと、やれるよ」 ティルはそう言って、ふうと息をついた。 「眠りますか?」 「ああ、何だか疲れたな。けど、気分がいい。俺も、何か残せたような気がする」 「……僕も、そう思います」 その翌日に、ティルは死んだ。 亡くなったのは昼頃のことで、最後に、 「お前は泣くなよ」 と妹に言った。ティルの最後の気がかりというのは、すでに妹が悲しむことぐらいしかなかったのであろう。 六月十三日、晴れ。ティルの家はすでに両親がなかったため、葬儀の準備は叔母が主催し、近所の人にも手伝ってもらった。 葬儀には門下生やその他大勢の人が参列し、その死を悼んだ。ティルの人柄が分かるというものだろう。 シルフィは葬儀の最後まで涙を見せなかったが、家に帰ってティルの部屋に入った途端、ついに耐えきれなくなって泣いた。 これから数年後に、シルフィはしきりと旅をするようになり、セルフィドの国内外をほとんど年中旅して回った。彼女には、おそらくあまりにも早世をした兄の代わりに世界を見るという憐憫がつきまとっていたのだろう。後、アレグノールで結婚をし、二男一女の母となり、次男は後に不世出の剣客と呼ばれたレファ・レアリスである。 が、これは余談。 ティルの葬儀が終わってから、参列者は皆帰って行ったが、リーディだけはその小さな墓の前に残っていた。 かがみ込んで、じっとその墓石を見つめている。 (後五年でも生きていればなあ) と。リーディは思わざるをえない。そうすれば、ティルはおそらくセルフィドだけでなく十二王国すべてに知られる剣客となっていただろう。 「惜しいな」 と言ったのは、リーディではなくフィルディスだった。この男も、葬儀のあと帰らなかったらしい。 リーディは顔をそちらの方に向け、 「やっぱりそう思いますか?」 と訊いた。 「そりゃ、そうだ」 フィルディスはリーディの隣にかがみ込んで、花を一本添えた。 「ティルの奴は天才だった。俺も、レアスも、トアド老人もかなわなかった」 そこでフィルディスは軽い苦笑いのようなものを浮かべ、 「ただし、お前は勝った」 「……」 「リーディ、俺はクレネスに帰るよ」 「えっ」 というふうに、リーディは横を向いた。言葉も出ない。 「後一週間したら出発する」 「どうしてです」 と、リーディはフィルディスを見た。目が、仇でも見るかのように殺気走っている。 「約束さ、ティルとの。俺はこれからクレネスに帰って、王位を継ぐ」 「……?」 リーディは一瞬、フィルディスが何を言っているのか分からなかった。
「王位?」 と、リーディはようやく声を出した。が、どういうわけか驚きが、湧いてこない。一つには驚きが強すぎたせいもあるが、 (そうかもしれない) と頭のどこかが妙に冷静なせいもあった。 「クレネスに、国に帰るんですか?」 とリーディは改めて訊いてみた。 「ああ」 と、頷いてからフィルディスは、 「一週間後に、ここを立つ。帰れば、二年後に戴冠することになるだろう」 とひどく平板な調子で言った。 「……嫌なんですか?」 「違うさ」 フィルディスは笑った。 「自信がない。俺は常に自分を平静でいられるようにしつけているが、時に自分でもどうすることもできないほどの不安がわく時がある。そういう時、俺は何もかも捨てるか、あるいは死にたくなる」 要するに弱い人間なのさ、とフィルディスは言った。 「だから、自信がない。一体俺に何ができるのか、すべきなのか」 フィルディスは、リーディが見たことのないような、というよりはリーディのそれまでのフィルディスの像に別の色をつけるような、そんな気鬱な表情をしてみせた。 フィルディスという男は、本来自分にかけられる期待というものに過度の重荷と責任を感じる性格だったらしい。だから今度のことでも王にかけられる期待というものを果たしてやらなければならないと、この男はひどく不安げに考えているのである。 リーディはくすっと笑って、 「大丈夫ですよ、フィルディスなら」 と、フィルディス自身が妙だと思うほど安心させられる声で言った。 「僕はセルフィドを、フィルディスはクレネスを。やれるだけやればいいんです。やれるだけしかやれないんだから」 すっと、立ち上がった。 二人は並んで歩いて行く。 その背後で、ティルの墓標が静かに眠っていた。
念のため日付を示しておくと、二七四年の六月十九日、つまりティルの亡くなった日から一週間後。フィルディスはセルフィドを出発している。 ひどく質素なもので、見送りもない。別にフィルディスが嫌われていたわけではなく、ただこの若者は見送られるのが嫌いで、誰にも告げなかったからに過ぎない。 ただ、リーディとだけは最後に会っている。 会って、試合をした。早朝で、まだ誰も道場に来ていない時刻である。 「一本」 での勝負で、二人が一蹶(けつ)した時にはフィルディスの面とリーディの胴が同時に決まっていた。 「これでいい」 とフィルディスは言った。間接的ながらティルと同等の腕に至ったということだろう。 「お元気で……」 と言ってリーディは最後、暁の中をクレネスに向かって立ったフィルディスを見送った。 リーディとは直接の関わりを持たないながら書いておくと、フィルディスはリーディに言ったように二年後にクレネスで王位につき、その十年後には十二王国による「大同盟」を実現させるに至っている。 リーディとはその後、一度も会うことがなかった。 ところで、明真館ではティル、フィルディスと二人の師範代がいなくなって、前にも増してその光彩を失った。特にティルが死んでからというものは、よほどやる気のある者しか道場に来なくなり、日中試刀の鳴る音が聞こえてこないこともあった。 「困った」 と言ったのはレアスである。事実、どうしようもないほどの困窮に、この道場は立たされていた。 セルフィドで剣術大会が催されたのは、この頃のことである。 この大会に、トアドはリーディ、レアスの二人を参加させることにした。小人数にしたのは勝ち抜いた時の印象を強くするためであり、明真館としてはこの二人に道場の命運を託すような形になる。負ければ、ただでさえ低い名声が地に落ち、廃業ということにもなりかねない。 「二人とも、頼んだぞ」 とトアドは、この飄然とした老人にしては珍しく、ひどく生真面目に言った。祖父と孫共々、よほど困り果てているらしい。
それから二、三日が過ぎて、大会の日になった。 リーディはこの日、さすがに緊張のため食事がのどを通らず、結局パン一切れを口に放り込んだだけだった。何といっても初めての公式な試合であり、自分とレアスに道場の命運がかかっている。元来、肝の太い方ではなかった。 「とにかく、がんばって」 とイリュが見かねて声をかけたほどである。 「うん」 と頷いて家を出、道場に向かった。そこで防具を借り、会場にはレアスと一緒になって向かった。 「どうですか?」 とリーディが途中、訊いてみると、レアスは緊張のためか幾分青ざめて見えた。 「いや、何だか胃が落ち着かないな。リーディは、どうだい?」 「僕も、少し」 と言って、リーディはちょっと笑った。つられるようにレアスも笑い、笑うと少し緊張がほぐれた。 「ともかく、やるしかあるまい」 とレアスは言った。 やがて会場であるセルフィドの王城に着くと、二人はその門をくぐった。 中庭には、二人と同じように防具、試刀を持った者が大勢いる。皆大会の出場者らしい。ざっと見ただけで、百人はいるだろう。 (多いなあ) とリーディは感心した。セルフィドにある道場の数は二十件ほどであり、一つの道場につき五人以上が参加していることになる。 この日行われるのは予選であり、五名ずつの総当たりを行って三勝した者が順に抜けていく。さらにもう一度五名による総当たりを行い、最後には十六名になるまで粗選りをするのである。 試合が始まると、リーディはくじによってレアスとは違う所に行き、最初、宣考館(せんこうかん)の某というのに当たった。多少、緊張はしていたものの、リーディは鮮やかに面と胴をとり、その後は緊張がほぐれたのか、まず実力通りの勝ちをおさめていった。 対して、レアスである。こちらはリーディのようにはいかず、最後まで緊張がとれずにひどく危なっかしい勝ち方しかしていない。 が、それでも二人とも本選への出場を果たしている。 「よかった」 と、試合の後、このどうにも度胸の座らない男は心底ほっとしたように言った。 (レアスさんにもうちょっと思い切りのよさがあればなあ) とリーディは思わざるをえない。レアスは第一級の腕を持っているくせに、本番がからきしだめなのである。 そういうレアスの様子を見ながらリーディは、 「明日は、本選ですよ」 と、ちょっといたずらっぽく言ってみた。 「分かっているさ」 レアスは憂鬱そうな顔をした。 「とにかくがんばるよ」
その翌日である。 本選は、予選と同じく城の中庭で行われるが、こちらは試合場が一つしかなく、何より見物人がついた。 「ふむ」 と、控えの部屋にいるレアスはしきりにうなっては、緊張をほぐそうとして素振りをしている。いかにも試合に不慣れな様子で、あまりみっともいいものではない。 リーディはレアスの隣に座りながら、さりげなく他の十四名の様子をうかがっていた。 その中でも、 (あの人はできそうだ) と思ったのがいる。 リーディから見てちょうど向かいの右端に座っている男で、年は三十ほど。試刀を抱いて居眠っているふうが、いかにも戦い慣れした剣客といった様子を見せていた。 「すみませんが、あの人はどなたですか?」 とリーディは隣の男に訊いてみた。 男は、多少迷惑そうな顔をしながら、 「あれは彰備館(しょうびかん)のディフ・オレファスだよ」 と教えてくれた。 (あの人が) リーディも、名前だけは聞いている。彰備館の師範であり、今度の大会で優勝すれば王室召し抱えの剣術指南役に取り立てられるという噂があった。要するに優勝候補、第一番である。 (あまり当たりたくないな) とリーディは考えていたが、しばらくして係の者が試合順を発表すると、リーディはなんと初戦の第一試合でディフと戦うことになっていた。 (当たったな) リーディは、別に気落ちはしない。心中、すでに試合のことしか頭になかった。 (なるようになるだけだ) とリーディは思っている。こういう、言わば前向きな諦め方が、リーディの特徴でもあった。 やがて第一試合の呼び出しがあると、リーディは丹念に防具を着込み、試刀を持って試合場に向かった。 試合場はすでに一般の見物人による人だかりができていたが、左右にだけは小さく道があり、リーディはそこを通って試合場の真ん中に立った。 待つほどもなく、ディフ・オレファスがやって来た。防具を真っ白に染め抜いていて、ちょっと神々しいほどの雰囲気がある。 二人が一礼して離れると、 「勝負三本」 と審判が宣した。 リーディはやや下がり気味の中段、ディフは構えの美しい正眼に試刀をとった。 ほどなくディフがしなやかに地を蹴って、目にもとまらぬ速さで試刀を振り下ろした。 (やった) とディフは思ったであろう。リーディの構えはどう見ても隙だらけで、これなら子供でも容易に打てるに違いない。 ところが、異変が起こった。 突如信じられぬような速さでリーディの試刀が旋回し、ディフの胴を襲ったのである。 「あっ」 と思いつつ、ディフは何とか防ぎはしたが、完全に体が崩れてしまって、またたく間に一本をとられた。 (油断ならぬ) ディフは、慎重になった。といって、リーディの構えは相変わらず隙だらけなのである。 (分からん) が、ディフもただの男ではない。 (こちらから手を出さなければよい) と、すぐそのことを見破った。 無心の状態とは反射の剣を起こすための状態で、いわば無意識と意識の間にあると言ってよく、そのためこの状態を維持するのはひどく難しい。 しばらくしてリーディは一瞬、真実無意識の状態におちいってしまい、そこを機敏にとらえたディフがリーディの面をとった。 「面あり、一本」 これで一対一の引き分けである。 (もはや勝ちは見えた) と、ディフは自信を得たのか、体つきまでが大きくなったように見えた。 リーディは、いつもと同じである。この少年は慌てるでも、諦めるでもなく、ただ自然に地の上に立っている。 やがて、三本目が始まった。 (勝ちはもらった) とディフは悠々と構えていたが、次のリーディの変化に驚いた。 観客も、驚いた。中には、 (何だい、ありゃ) と呆れるのや、怒り出すのもいた。 リーディは、くるりと背を向けたのである。
(何のつもりか) と、ディフはさすがに最初のことがあるから油断はしない。 が、観客の方はそうではない。 (何だい、子供だって打てそうなものではないか) と、そんな雰囲気が現れ始めた。 (まずい) と思ったのは当のディフである。外聞がある。こんな所で評判を落としては、召し抱えの話が立ち消えにならぬとも限らない。 つい、不用意に上段から打ちかかった。 瞬間、リーディは一回転しつつそれをかわし、ディフがはっとして剣を戻そうとしたところを、ほとんど鍔元でもってそれを押さえつけた。ディフは焦って、つい力を入れて押し返そうとした。 これが、まずかった。 リーディはその瞬間、試刀を外し、ディフの試刀に空を切らせると、すぐさまその籠手に強烈な一撃を打ち込んだ。 びしっ、とディフの籠手が鳴った。 よほど激しく打ち込まれたのか、ディフは試刀を落とし、痛みにほとんどうずくまるような姿勢になった。 「籠手あり。この試合、二対一で明真館のリーディ・オルリアスの勝ちとする」 まずは一回戦、勝ち抜きである。 リーディは最後に一礼して試合場を下がると、井戸端に行って水を汲み、ごくごくとそれを飲んだ。 さすがに疲れている。 (あの試合、本当なら僕が負けていた) と、ぼんやり思っていた。怪我勝ち、というべきだろう。相手が冷静さを失わなければ負けていたのは自分の方だったに違いない。 (まだまだかな) ともリーディは思った。 やがてレアスの方の試合が始まったが、こちらはくじ運が良く、緊張しながらも三本とっての勝ちをおさめている。 リーディ、レアスともに一回戦を勝ち残り、時刻は昼になった。 食事は、城の方で見物人の分まで用意してくれているのだが、リーディはイリュが弁当を作って来てくれている。 「おいしいですね」 と言いながら、リーディは食べていく。それも人の二倍はかけてゆっくりと食べるのが、リーディの癖だった。 「調子は、どう?」 とイリュは訊いてみた。 「悪くはない、と思いますけど」 「しっかりしてね。調子なんていいと思えば良くなるもんなんだから」 「うん」 と、ソーセージを一つ口に放り込んでから頷いた。 「でも、イリュさん」 リーディはソーセージをぐっと飲み込んで、 「レアスさんの方は、大丈夫なんですか? 一回戦もずいぶん苦戦してたみたいですけど……」 「それはリーディも同じでしょ。でも、そうかもしれないわね。プレッシャーに弱い人だから……」 「行った方がいいですよ」 「ええ」 と言って、イリュはそのままどこかへ行ってしまった。 (どこにいるか、分かってるのかな?) とリーディは思ったが、実は分かっている。イリュはリーディに会いに来る途中でレアスを見かけていたのである。 果たして、レアスはそこにいた。中庭の木のところに、背をもたれて座っている。 「レアスさん」 と、イリュは声をかけた。 「ああ、イリュさんか」 レアスは気弱そうな微笑を浮かべた。 「どうかしましたか?」 ――あなたを励ましに来たんです。 と言おうとして、イリュはやめた。それをイリュが言うには、目の前の男はあまりに情けなさすぎていた。 代わりに、 「それでも男ですか」 と言ってやった。 「は?」 「さっきの試合だって、そうです。腕はあなたの方が上なんだから、いつも通りにやればよかったのに。馬鹿みたいに緊張してるから、あんなことになるんです」 「そりゃ、分かってはいます」 「分かってないから、ああなったんでしょう。道場のみんなが二人を応援してるんだから、試合は自分のためじゃなくてみんなのためにやると思って下さい。そうすれば、必死にやろうって気にもなるんだから」 「そうかな?」 「そうなんです。いい? みんなのためにやるんですよ」 「そういうことにしておくよ」 レアスはちょっと苦笑いするようにして笑った。 二回戦が始まったのは、このあと午後一時頃のことである。
二回戦のリーディの相手は晃新館(こうしんかん)のリアスという籠手打ちの得意な男で、 「やあ」 と気合いをかけて、得意の籠手打ちに来たところを、リーディは器用に払って相手の面を打った。次は籠手をとって二本。 まず危なげなく準決勝に進んだ。 ところで、レアスである。 レアスの相手は同じく晃新館のトルフ・ニライズという者で、師範を務めるだけあって腕は立つと見てよい。 二人は一礼すると、レアスは下段、トルフは押しの強い上段に構えをとった。 (レアスさん、弱気だな……) と、端から見ているリーディは思った。下段というのは防御の構えであって、攻撃には向かない。 「レアスさん強気で……」 と言おうとしたところ、レアスはどういうわけかポンと、面を打たれた。 (あっ) と思ったのはリーディだけではない。当のレアスですら、そうである。 (どうかしている) と、レアスは思った。緊張して、どう動いていよいのか分からないのである。手が震えて、今にも試刀を取り落としそうだった。 (本当にどうかしている) この時、レアスがふとイリュの方を向いたのは、偶然ではない。 イリュは、心配そうな顔をしていた。試合前にあれだけ言っておきながら、今はほとんど泣き出しそうなくらいの表情でレアスを見ている。 (……) ――負けられないな。 と、レアスは思った。思うと体のどこからか力が湧いて来て、レアスはぐっと試刀を握り直した。 次の一本が始まるや、レアスは猛然と攻めに出た。 相手は、突然のレアスの変化に驚いたらしい。どんどん下がって行き、打ち込みにも力がない。 レアスは最後に大きく一歩を踏み込むと、相手の面を激しく打った。 「面あり、一本」 と、審判の手が上がる。 (勝ったのか) レアスはほとんど呆然として、我が頬をつねりたいような気持ちになった。 (何とかなるものだ) 気持ちを落ち着かせて、三本目は正眼に構えをとった。 相手も、先程の驚きから立ち直って、再び上段に構えている。 三本目は両者一歩も譲らず、実力の伯仲した試合となった。何十合と打ちあっても決着がつかなかったが、十分もした頃になってレアスがにわかに跳び込んで、籠手を打つと見せた。 トルフは籠手を引き、レアスの手にひっかかった。 ように見えた。 が、実際はその直後面打ちに来たレアスを、トルフ・ニライズは引いた腕をすさまじい速さで伸ばし、突き倒している。 「一本、勝者トルフ・ニライズ」 と、審判の声が上がった。 レアスは最後に礼をし、試合場を下がった。 そのまま道場の連中には何も言わず、すたすたと控え室まで歩いて行き、いきなり、バン、と部屋の壁を殴りつけた。 (負けた) と、レアスは思った。この男が、奥歯のうなるような悔しさを覚えたのは、この時が初めてである。 余談ながら、レアスはこの四年後の大会で優勝している。
リーディはレアスの試合の終わった後、ちょっと深刻な顔で考えていた。つまり、 (レアスさんの立場) ということについてである。 レアスは、当然道場を継ぐ身であり、その点あまり気軽な身分でもない。そのレアスが二回戦で敗退したのに対して、リーディはこのまま優勝してしまう事も可能であり(十中八九間違いなくそうなるだろうが)、そうなればレアスの威光というものはほとんどなくなってしまうのに違いないのである。 (それは困る) というのがリーディの考えだった。むろん、レアス自身そんな事は気にもしないだろうが、リーディにすれば恩を仇で返すようであまり気持ちの良いものではなかった。結局、 (何とか負けてみよう) と思い、事実、リーディは次の準決勝で負けている。 準決勝では、立ち合ってしばらく一合、二合と打ち合っていたが、リーディはそこで、にわかに隙を作った。 むろん、ごくわずかなもので観客などには分からないが、相手にはそれで十分である。打ち込んで、またたく間に一本をとった。 次はリーディが面を打って一本。 最後は一本目と同じように相手が打ち込んで、一本。リーディはごく自然な様子で負けてみせている。 (ちょっと後ろめたいな) と思いながら、試合場を下りて控え室に行き、そこで防具を脱いだ。 外に出てみると、道場の全員が集まっている。皆、リーディがわざと負けたなどとは思っていない様子で、正直に悔しがったりした。 (よかった) と、リーディはさすがに安心した。わざと負けたと分かれば、それこそ元も子もない。 この点、リーディは全くの無欲といってよかった。大会で優勝する事よりも、ただレアスのためだけに負けたのであり、無欲というより、自分に対する固執がないと言ってよいかもしれない。 とはいえ、当のレアスはとっくにその事に気づいていて、リーディの意図するところも分かっている。だから、 (ありがた迷惑だな) などとは思わない。リーディのそういった、自己犠牲というより「名誉」という自己表現の一つであるところのものを全く無視した行為に、感動すら覚えていた。 「恩に着ておくよ」 と、レアスはリーディにそっと耳打ちした。が、リーディは顔を赤くして恥ずかしがった。この少年は真実レアスの事だけを考えていて、自分のそういうところについては、少しも誇るところも、誉めるところもない。 この事は、リーディの幼年期の教育の結果、と見てもよさそうである。
ともかく、明真館としてはリーディ、レアスとも本選出場を果たし、少なくとも一勝をあげた事で、面目躍如を果たしたことになった。 「これで、ここも多少は有名になるだろう」 と、トアド老人などは喜んでいる。 ところで、そろそろリーディの運命というものを、別な局面に移さなくてはならない。この少年の運命の奇妙さは、この大会に出場した時から始まっていたと言っていい。 大会後、三日目の事である。 道場で稽古をしていると、見知らぬ男が一人、やって来た。 絶えず微笑を浮かべた温和な紳士ふうの男で、レアスと何かを話した後リーディの所にやって来て、 「君が、リーディ君だね」 と、ひどく丁寧に訊ねた。 リーディは戸惑いながらも頷くと、 「詳しい話はレアス君の方にしておいたが、君の剣技を見込んでのことだから、我々としては大いに君に期待している」 と、よく分からないを言って、去って行った。後でリーディが、 「あれは誰です?」 とレアスに訊くと、 「それが……」 と、レアスも何か戸惑っているようだった。 「よく分からないが、リーディに城の方まで来て欲しいという事だった。リーディには、心当たりはないかい?」 「さあ……」 が、ともかく行ってみた。 その翌日、案内の者に連れられて王城を訪ねると、門の所で、 「少し待て」 と言われ、入れ替わるようにして先日の男が現れた。 「よく来てくれたね」 と、男は相変わらずの丁寧さだったが、目の奥の方が笑っておらず、どことなく不気味な感じがした。 「僕に、何の用でしょう?」 「国王が君の剣技に感心されて、ぜひある職についてもらいたいとおっしゃっている。そこで、我々は君を城に招いた」 「……」 「ついて来てもらえるかね?」 リーディは、訳も分からずに頷いてしまっている。国王という、いわばセルフィドの国そのものに認められたという驚きで、リーディの思考というのはほとんど停止してしまっていた。 「では、こちらに」 と言って、男はリーディを王城の一室に案内した。 入ると、机のところに男が一人座っている。豪胆そうな感じの人物で、その男がいきなり、 「リーディ君、国のためだ、やってはくれないか」 と言い出した。 訳が、分からない。何をやれとも言わず、そのくせこの場で即決しろという態度なのである。受けられるわけがなかった。 が、リーディは、 「やります」 とためらいもせずに答えてしまっている。国王に認められた、という先程の男の言葉がこの少年に魔法のような効果をもたらしていたせいもあるが、国のため、ということにリーディはようやく自分の目的を果たせる喜びを感じていたのかもしれない。 「結構だ、君にはレティングで働いてもらいたい」 と、男は言った。 (レティング……?) そういう種類のナイフがある。波状の刃をした、殺傷能力の高いものだ。が、それがどうしたというのだろう。 「何ですか、レティングというのは?」 「暗殺団だよ」
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