[悪魔の願い]

 むかし、あるところに一匹の悪魔が住んでいました。
 悪魔というのは人間を誘惑して堕落させたり、何の罪もない人を貶めたりするのが仕事でした。が、この悪魔はてんでそうした事がうまくできませんでした。
 それでいつも、
「お前は悪魔らしいことを何一つせずに、一体どういうつもりなのか」
 と先輩の悪魔に怒鳴られてばかりいます。
 それである日、この悪魔は今日こそうまいことやってやろうと思って、小さな村のそばまでやって来ました。
 悪魔は旅回りの医者に化けて、村の中へと入ります。
 するとその姿を見つけた夫婦らしいのが急いでやって来て、
「ああ、お医者様、お願いでございます」
 と言いました。
「なにかな?」
 悪魔はしめしめ、この慌てようならうまい具合にことを運べそうだな、と思いました。
「私は国一番の医者、どんな病でも治せないものはない。私がちょいと触れば、死にかけのばあさんだって陽気なダンスを踊りだすのだよ」
「そいつは頼もしいことですが、実はうちの一人娘が病気で死にそうなんです。あいつがいなくっちゃあ、私らこれからどうしていいか分かりません」
「おやすい御用よ。しかしそいつを治す代わりにもらいたいものがあるがな」
 と悪魔は言いました。
「なんでしょう?」
「お前さんがた二人の魂をいただきたいのだ」
 悪魔は二人がどれくらい驚くかと思ったのですが、ところが二人はすぐさま、
「そんなものならいくらでも」
 と言ったのです。
「私ら貧乏で払う金などないが、こんな命でよければいくらでもさし上げます」
 悪魔はいくらか面食らいながら、うむと頷いて二人に案内をさせました。
 そうして歩くうちに悪魔もいくらか落ち着いてきて、
「しめしめ、ともかくこれで二つも魂を頂くことができるというわけだ」
 と思いました。
 やがて着いたのは村のはずれにある小さな小屋で、その前には猫の額ほどの小さな畑がありました。まるで絵に描いたように貧乏な一家なのです。
 家の中に入ると、ベッドの上に少女が一人寝込んでいました。たんぽぽの綿毛のように可愛らしい、十歳くらいの女の子です。
 女の子は時々苦しげに息を吐いて、熱にうなされているようでした。額から汗が流れ、痛みに耐えるように眼をしっかりと閉じています。
「これが私たちの娘です」
 と父親のほうが言いました。
「うむ」
 悪魔は頷きます。
「それでは約束通りにこの娘を治してやる代わりに、お前達二人の魂をいただくぞ」
 そうして少女の額に指を当て、人さし指と親指で何かをつまむようにぐっとひっぱりました。
 すると少女の息は次第に穏やかになって、汗も引き、すやすやと安らかな寝息をたてはじめました。
 それを見た二人は大喜びです。こんなに嬉しいことはない、と悪魔に泣きながら感謝をしました。
「それでは約束だ」
 と悪魔は言います。
「お前たち二人の魂を頂く」
 そしてあっという間に二人を殺してしまいました。
「これで俺も悪魔として認められるだろう」
 と悪魔は意気揚々として自分の棲家へと戻りました。二人の魂は地獄へと送られたのです。
 それからしばらくして、悪魔はもう一度あの村へと行ってみました。今度は聖職者に化けて村へと入ります。
 するとその姿を見つけて一人の少女がやって来ました。それはまぎれもなくあの時、悪魔が両親二人の命とひきかえに治してやった女の子でした。
「神父さま、お願いがあります」
 と女の子は言いました。
「なにかな?」
 悪魔はそしらぬふりで訊ねました。
「私の両親は私の病気が治った途端に死んでしまいました。二人がいなくなってしまっては、私はどうして生きていけばいいか分かりません。どうかお父さんとお母さんを生き返らしてください」
 悪魔は考えます。
「なるほど、あの二人の魂より幼くて汚れのないこの娘の魂のほうが、ずっと価値があるかもしれない」
 そこで、
「よしよし、分かった。しかし二人を生き返らす代わりにもらいたいものがある」
「なんです?」
「お前さんのその美しい魂を頂きたいのだ」
 悪魔は女の子がどれくらい怖がるかと思ったのですが、ところが女の子はすぐさま、
「そんなものはいくらでも」
 と言ったのです。
「私は何も持っていなくて、上げられるものなんて何一つありません。こんな命でよければいくらでもさし上げます」
 悪魔は、ずいぶん親と同じことを言うものだといくらか面くらいながらも、女の子に両親の遺骸のある場所まで案内させました。
 二人の親は死んだ時のまま、あの家の床に寝かされていました。
「これが私の両親です」
 と女の子は言いました。
「うむ」
 悪魔は頷きます。
「それでは約束通りにこの二人を生き返らせてやる代わりに、お前の魂を頂くぞ」
 そして懐から何かをつまみ出すような仕草をすると、それを二人の心臓のところに持って行きました。
 すると二人の顔色がたちまち土色からもとの肌色に戻って、止まっていた呼吸もゆっくりと始まりました。
 それを見た女の子は本当に幸せそうな顔をしました。これから地獄に行くことなんてちっとも恐れていないようです。
「それでは約束だ」
 と悪魔は言いました。
「お前の魂を頂く」
 そしてあっという間に女の子を殺してしまいました。
「我ながらなかなかうまいことやった。これで俺も一人前だ」
 悪魔は満足して自分の棲家へと帰りました。
 けれどそれからしばらくして、悪魔はまた例の村に行ってみました。何だか妙に気になったのです。
 今度は王様に化けて村へと入りました。
 するとその姿を見つけた夫婦がやって来ました。それはやはりあの時、女の子を治すために悪魔に魂を渡し、その女の子が二人を助けるためにまた魂を渡した、あの夫婦です。
「王様、お願いでございます」
 と夫婦は言いました。
「うちの一人娘が私ら二人が生き返るのと同時に死んでしまいました。娘がいなくては私らはこれからどうしていいか分かりません」
 悪魔は何だか戸惑いながら、例のごとく娘を治す代わりにお前達二人の魂を頂きたい、と言いました。そしてやっぱり二人はすぐさまそれを了承します。
 そしてまた例の家へとやって来ました。
 悪魔は馬鹿ばかしくなりました。
「お前達二人は自分の命とひきかえに娘を助けたいと言う。すると生き返った娘は娘で、自分の命とひきかえにお前達二人を生き返らせたいという。これではきりがない」
 と悪魔は言って、それまでのことを洗いざらいしゃべってしまいました。自分が悪魔であることまで白状してしまったのです。
 ところが、二人はそんなことにはまるでおかまいなしでした。
「あなたが誰であろうと構いません。娘を救ってくだされば、神様でも、天使でも、悪魔でも構いわしません」
 そう言われて悪魔は困ってしまいました。
「俺にできるのは魂を得る代わりにそいつの願いをかなえてやるだけで、だからお前たち三人をいっぺんに生き返らせることなどはできないんだよ」
 そう言っても二人はまるで聞こうとはしません。涙を流してどうか娘を生き返らせてくれと、悪魔に頼むばかりです。
 悪魔はそれがあんまりにも憐れに思えて、ついに逃げるように棲家の洞窟へと帰ってしまいました。
 そうして何日も外に出ずに寝転んでいたのですが、あの二人の様子がどうしても頭から離れません。
(ああ、どうして俺は悪魔なんぞに生まれてしまったんだろう)
 と悪魔は思いました。
(俺みたいのに気の弱いのが悪魔だなんて、不公平なことだ。どうせなら天使にでも生まれでいればよかったのだ。しかし、どうにかあの家族が一緒に暮らせないものか――)
 そして悪魔は一つの決心をしました。
 例の家に行くと、二人は死んだ娘の前でいまだに泣き悲しんでいます。悪魔は言いました。
「お前たちの娘を生き返らせてやろう」
「私らの命ならいくらでも……」
「いや、それには及ばない」
 と悪魔は二人が言うのを抑えました。
「俺にもたった一つ、誰の命も奪わずに願いをかなえる方法があるのだ」
「?」
 夫婦は戸惑っています。
「それは俺の命を使うことだ」
 言うなり、悪魔は娘の魂を戻してあっという間に死んでしまいました。
 心優しい悪魔の、これはそんなお話です。

――Thanks for your reading.

戻る