プロフィール

前原英夫 経歴   

1940 (昭和15年) 5月3日生まれ 埼玉県出身
1971 東京大学大学院理学系研究科(天文学専攻)修了 
    
理学博士(東京大学)
1971 ペンシルバニア州立大学(米)研究員
1972 東京大学東京天文台に就職
1975 東京天文台木曽観測所に赴任
1988 東京天文台岡山天体物理観測所に赴任
    (国立天文台に改組)
1992 国立天文台岡山天体物理観測所所長
2001 同所を退官
2002〜 岡山大学、広島大学非常勤講師(〜2011)
2012〜 岡山理科大学(〜2016)、金光学園中学高等学校非常勤講師

私の略歴は以上のようですが、退官後は天下の素浪人、家族とのんびり毎日の生活を楽しんでいます。自らは「悠々自適」を標榜し、ハンドルネームは "uugt"、世間との繋がりは;大学での講義、講演講師、天文台支援等、体力・気力の続く限りはお役に立ちたいと念じています。(寅さん気取りで)「何分にも よろしゅ おたのもうします」


年始のメッセージ 2018,2017,2016,2015年)

 毎回年賀状には某かの感想や決意を申し上げています。
 私なりに仲間や地域にエールを送り、共に頑張りたいと念じています。

 それにしても、時の過ぎるのが歳と共に早くなるように感じられます。


これまでの仕事

勤務先:国立天文台 岡山天体物理観測所
役職:所長、教授
主な仕事:観測所の管理・運営、共同利用の受け入れ、天体観測と天文学の研究

OAO

   岡山天体物理観測所の鳥瞰図 (岡山天文博物館は鴨方町営)

国立天文台のホームページはこちら
岡山天体物理観測所のホームページは
こちら


国立天文台(当初は東京大学東京天文台)に入って約30年経ちましたが、私は最初の数年三鷹にいた以外は、木曽観測所から岡山天体物理観測所と、都会を離れて観測所暮らしを続けてきました。木曽観測所は長野県上松町という過疎の町の外れにあり、これまで勤務してきた岡山天体物理観測所(OAO)もやはり町はずれの小山(竹林寺山)の上にあります。木曽は冬寒く、岡山は夏が暑苦しいのですが、自然環境に恵まれているという点では共通しています。

観測所には望遠鏡や観測装置があり、観測だけに集中できるかというと、必ずしもそうではありません。「共同利用」ということで、全国からくる研究者を受け入れ、その相手をすることが仕事(デューティ)です。中には、観測に不慣れな天文学者が望遠鏡や装置の操作を間違えたり、自身が体調をくずしたり、突然予定を変えたりと、種々の事件が起こります。天文観測の共同利用は、かならずしも気楽な商売ではありません。私自身は、これまで観測三昧をしてきた「お礼奉公」と思っています。

ただ、私自身は都会の喧噪を離れた観測所暮らしが好きで、性に合っています。他人から見れば、田舎の観測所を回る「ドサ回り」と思われるでしょうが、それ故に何と言っても仕事の環境は最高です。研究室の窓からは雄大な御岳が望め、また、瀬戸内海が遠望できたりします。以前は不便で情報が遅いことはありましたが、今では計算機とネットワークのお陰で、人里離れた観測所にいながら、都会や大学の研究者と対等に仕事に取り組めていると感じます。

さらにいえば、観測天文学をやるなら、むしろ観測所勤めに限ります。国立天文台はハワイに口径8mの「すばる望遠鏡」を10年がかり建設し、本格的な共同利用に入り、成果を出しつつあります。大学や大学院で天文学の研究を始めた若手は、観測を行うためにまず観測所に行き、観測や機器開発の腕を磨き、実績を積むことであると思います。観測所を単にデータ所得の場所とするのでなく、望遠鏡や装置に慣れ親しみ、その精度や限界を知り、さらには観測の醍醐味を味わう所とすべきです。


  研究歴

これまで私が行ってきた主な研究の概要を紹介します。これらは指導教官(藤田良雄、山下泰正両先生)の指導や、多くの先輩や仲間の協力・共同の下に行われたものです。ここに感謝の意を表したいと思います(以下の氏名は敬称略)。なお、研究成果として出版された研究論文の一覧はデータのページに掲載しています。

1.ミラ型変光星の動的な大気構造の研究(修士/博士論文)(1965〜1972)

長周期変光星の代表であるミラ型変光星の大気がその脈動のフェイズに従って動的に構造を変化させる状況を、主にそのスペクトルの変化から研究した。特に、フェイズが進むに従い、脈動から生じた衝撃波が低温の外層大気中を外側に向かって進み、内側の大気は収縮に転じ、最外層は質量放出に繋がることを、188cm望遠鏡での分光観測を継続することによって明らかにした。

2.晩期型星・炭素星および共生星の分光観測(1967〜)

上記の研究の発展として、代表的な晩期型巨星について、岡山天体物理観測所で分光・測光観測を継続的に行い、その大気構造や化学組成を明らかにした。特に、炭素星については、藤田・辻と共同で、炭素の同位体の組成比(12C/13C)を調べ、スペクトル型との相関を明らかにした。また、山下と共同で共生星の分光観測を行い、こぎつね座PU星のモデルを論じ、白鳥座CH星のバースト現象の本質は周期約13年の連星モデルで解釈できることを示した。

3.木曽観測所とシュミット望遠鏡の整備(1972〜1979)

105cmシュミット望遠鏡東京天文台木曽観測所の開設と、105cmシュミット望遠鏡の立ち上げ、および測定機器の設計・製作・テストを高瀬所長以下数名で担当した。特に、責任者として分担したこととして、望遠鏡の制御系にミニコンピューターを導入し、写真乾板のアーカイブシステムを設けた。また、アイソホトメーターに1次元CCDを組み込み、写真乾板の高速測定と、天体の自動検出システムを実現した。

4.シュミットサーベイ(1975〜)

高視野を特徴とする木曽シュミット望遠鏡を用いて、種々の天体のサーベイを実施した。特に、3色像乾板の撮影を行い、1,200あまりのKUV(木曽紫外超過天体)を検出し、カタログとした(野口、近藤と共同)。また、同様な手法で、KUG(木曽紫外超過銀河)のサーベイを行い、総数9,000個にのぼる天体を検出し、カタログを作成した(高瀬、宮内と共同)。さらに、対物プリズムのスペクトル乾板から、銀河面に沿った天域で約900個の炭素星を検出した(征矢野と共同)。

5.KUGの観測とサーベイ(1980〜)

KUG(木曽紫外超過銀河)については、サーベイと並行して、代表的な天体についての追究観測を実施した。特に、岡山天体物理観測所188cm望遠鏡のカセグレン分光器を用いた分光診断を行い、また、海外も含めた多数の天文台・望遠鏡を用いて電波や赤外での特性も観測した。その結果、KUGの大多数は非常に活発な星生成を行っているスターバースト銀河であることが示された。また、これらの空間分布や化学組成についても研究し、金属量が少なく比較的最近になって星生成を行っている「若い銀河」が含まれていることを示した(高瀬、野口、宮内、濱部、Kunth, Bottinelli, Gouguenheim らと共同)。その後、KUGの第2サーベイに加担している(宮内と共同)。


これまで海外で行った観測および共同研究

北京天文台、紫金山天文台、雲南天文台(中国)
ボッシャ天文台(インドネシア)
エジンバラ王立天文台、王立グリニッジ天文台(英)
アシアゴ天文台(伊)

パリ天文台、リヨン天文台、オートプロバンス天文台、ピク・ド・ミディ天文台(仏)
ローエル天文台、マウナ・ケア天文台(米)


地域における活動

私は木曽観測所から岡山天体物理観測所と、都会を離れて観測所暮らしを続けてきました。そこで、専門的な活動以外にも、周辺地域の人々や自治体といろいろな交流を行ってきました。

1.星空教室と講演
天文現象等のあるときなど、依頼を受けて観測所周辺の町村や学校や会合で星空教室や
講演を行ってきました。
特に、倉敷科学センターでは成人学級の講師をしたり、浅口市と岡山市ではボランティア登録をしています。また、地元の小中学校で、スターウオッチングを兼ねて、お話をしたりしています。

2.浅口市「宇宙☆自然講座」、「図書館講座」
鴨方町における天文講座
は、開設以来10数年続いてきました。主催は教育委員会ですが、岡山天文博物館(粟野館長)と協力して企画し、講師の依頼をし、また自身も前座等の講演を行っています。なお、鴨方町は合併して浅口市となり、講演も話題・講師を広く自然科学の分野に広げ、現在の講座に引き継がれています。
浅口市のホームページはこちら

3.美星天文台「星の学校」

公開天文台である美星天文台では高校生に対して「星の学校」という合宿研修を行っていますが、私はボランティアとして参加し、指導や講義を行ったりしています。
美星天文台のホームページはこちら


4.公開天文台、関連施設の運営支援
公開天文台である美星天文台の運営委員会の会長を務めています。
岡山天文博物館のホームページはこちら


私の天体

「私の天体」についてのエピソードを紹介します。私は仲間と一緒に木曽シュミット望遠鏡で炭素星や紫外超過天体などのサーベイを行い、多数の天体を新しく見つけました。これらはカタログとして出版されていますが、個々の天体の名前としては通常天球上の座標を使います。

ところで、太陽系には太陽と8個の惑星の他に、小惑星や彗星などの小天体があります。小惑星はこれまでに数万個見つけられていますが、近年でも未知のものが見つかり、軌道が確定すると、発見者の提案に沿って固有の名前がつけられます。

北海道の円館さんと渡辺さんによって発見された小惑星8036番は、"Maehara" と命名されています。私の業績を記念してということでお勧めがあり、「面はゆい」思いで、お断りしようとしました。

ところで、先輩に「前原寅吉」という天文学者がいます(血縁関係はありませんが)。彼は1872年青森県八戸に生まれ、生来の器用さから時計店を生業とし、専門家としての教育を受ける機会もないまま天文学者として活躍し、1910年接近のハレー彗星の観測を行う等の優れた業績を残されました。

命名の提案があったとき、彼の偉業(鈴木喜代春氏著「野の天文学者 前原寅吉」に詳しく紹介されています)を思い出し、彼を称える意味もあると思い、お受けしました。ここに添えた図は、小惑星センターから出ているサーキュラーで、MP8036を"Maehara"と認定したときのものです。


これから、、


以上のように、私は天文学の世界でメシを食ってきました。しかし、仕事に明け暮れてきたため、趣味や家族との団らんを犠牲にしてきました。まずはその辺を復活させるべく、好きなテニスに興じたり、映画やドラマをテレビで見たり、DVDをレンタルしたり、家族で旅行をしたり、日食を見に行ったりしています。こうして長年溜まった疲労をいやし、定年というゴールを過ぎてからの人生へ比較的スムーズに移行してきていると思います。

還暦を過ぎ、頭髪も大分白くなり、自分では若いつもりでも、体力や気力も以前より衰えてきたことは否めないようです。仕事でメールやインターネットを使ってきましたので、パソコンにはすっかり慣れました。自宅にはデスクトップとノート各1台を持ち、LANを敷き、自ら"SOHO"として悦に入っています。このホームページも、リハビリを兼ねて作っています。

さて、私自身これからどうするかということですが、自分としてはまだ社会や家族にとって必要でありたい、何かできるはずと信じています。まずは公開天文台やアマチュアの人たちの支援をしていきたいと思っています。また、大学等で講義や学生指導を行い、若い人を育てたい。市民・地域の人々に対して壮大な宇宙の成り立ちをお話し、スターウオッチングを催したいと思っています。さらには、もう少し広い範囲で学校教育、社会教育に何らかの貢献をしたいものと願っています。

これまで(上記のように)仕事の延長として行ってきたことは;
(1)大学の講義や学生の指導(岡山大と広島大の非常勤講師)、
(2)公開天文台の支援(美星天文台、西はりま天文台なゆた望遠鏡)
(3)天文関連施設の支援(岡山天文博物館の運営委員、右図はその外観)
(4)浅口市や近隣の地域での講演やスターウオッチング
等です。当座はこのような天文関係のことでお役に立てればと思っていますが、それだけでなくさらに広い範囲の多くの人々とおつきあいしたいと思っています。