- 大正9年10月
- 我々の漁獲物は我々の手によって販売すべきを喚び、笠岡伏越港に「小田郡漁業協同組合連合会の共同販売所が 設置された
- 大正12年
- 同販売所経営困難となり、個人「鳥越太郎」氏に譲渡。「新問屋市場」として経営は続けられたが、「菰口魚市場」との軋轢競争が
激しく、経営難に加えて両市場専属仲買人の蒙る物心両面の影響も亦著しく、引いては一般消費者にまで迷惑を及ぼす状態となり、
両市場仲買人連合して合同方を両社に懇請したが「菰口魚市場」はこれを聞き入れなかった。 - 大正14年9月
- 玆に鳥越氏経営の魚市場と両市場仲買人の有志を以って「笠岡生魚株式会社」を創立するに至った。
- 大正15年2月
- 「菰口魚市場」も仲買人の意のある処を諒とされ「笠岡生魚株式会社」に併合、全く一元的魚市場として経営の基礎が固まった。
- 昭和10年
- 「日本水産株式会社」と遠洋漁獲物の委託販売の特約を行う。その特約条件として金浦町西浜に「分市場」を開設した処金浦魚問屋連中
より之は商域侵害と見做れ対抗手段として笠岡伏越港に新たに「笠岡水産市場」を開設又々醜い競争を再発するに至った。 - 昭和11年4月
- この両魚市場の競争は当地方有力者の仲介により円満合併となる。
- 昭和16年4月
- 鮮魚介配給統制規則が発令され自由経済より統制経済に移る。
- 昭和16年12月20日
- 国家要請に応え遂に「金浦分市場」を閉鎖し本店一元的配給を行う。
- 昭和17年3月
- 戦争苛烈となり統制強化され民間事業は閉鎖され岡山県鮮魚介統制組合を発足し各々其傘下に入る。
- 昭和24年末
- 生産販売業者相携えて法人組織による強固たる市場を開設するよう行政指導があり、有志相図り「株式会社笠岡魚市場」を創立茲に
「笠岡生魚株式会社」は発展的解消をなした。 - 昭和25年1月
- 「株式会社笠岡魚市場」は公認市場として開業した。
- 昭和25年4月
- 統制解除となりその後努力を重ね漸く基盤の安定を得、我らの市場として全員一致協力その発展に力を注ぐ。
- 昭和38年10月
- 大正9年以来の老朽化した市場建造物を取り壊し、同場所に改築今日に至る。