薄荷の歴史


当社社長 東山 龍雄による薄荷の歴史を掲載いたします。



日本の薄荷 (その4)




 昭和25年、国の薄荷栽培奨励によって全国各地に栽培されたものの、結局は北海道、岡山、広島以外は産地として定着しなかった。気候条件の不適当或いは栽培技術を理由とされているが、異品種抜き取りの不徹底(犬薄荷の蔓延)が取卸油の品質を下げた事による栽培放棄であった。ちなみに、昭和26年の全国の薄荷栽培面積をみると、全国に及んでいる。

北海道 2,272 ha 長野県 31 ha 滋賀県 14ha 徳島県 16ha
岩手県 1.4 福井県 11 兵庫県 26 長崎県 34
山形県 6 静岡県 18 島根県 10 熊本県 35
茨城県 52 愛知県 55 岡山県 430 宮崎県 17
新潟県 13 三重県 10 広島県 110 鹿児島 61

 戦時下、神戸の戦災で被災した薄荷精製工場もようやく復旧し昭和25年頃からメントール、ハッカ油の輸出も活気を呈して来た。
昭和20年代〜50年代にかけての精製工場は下記の7社であった。

    北海道    ホクレン北見薄荷工場
    神戸     長岡実業梶A鈴木薄荷梶A鰹ャ林桂、神戸薄荷
    大阪     小城製薬
    岡山     東洋薄荷工業梶@  

輸出市場の国際薄荷市場は、戦時下、日本と中国の供給停止に伴いブラジルの薄荷を育て全世界へ供給する産地となっていた。中国も日本に先駆けて輸出を復活しており、日本薄荷の復活も安易ではなかった。ブラジル製品の安値に対抗して、高品質を標傍して着実に日本薄荷の商権を復活した。しかし、欧米の高品質志向の分野では好評であったものの、その他の安値指向の分野での復活は困難であった。
 北海道、岡山の産地が大きく増産を果したとはいえ、昭和初期の2万haには遠く及ばなかった。この間、農試の品種改良の方向は増収(収油率の向上)から香りの良好なものへと、機能別の改良が行われた。

                                          つづく)



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