• 県庁所在地を玉島に?

明治2年(1869)版籍奉還。続いて明治4年廃藩置県が実施され、備中国全部と備後国の東部を合わせて、深津県(ふかづけん)(後に小田県(おだけん)と改称)とした。

その県庁設置場所の選定に当たっては、『県庁ハ管内ノ中央ニ在リ大綱取押ヘ四方ノ聲息速ニ相通シ布令伝達来往搬運等諸事便利ニ無之候テハ永ク不都合ニ可有之・・・』ということから、玉島村に県庁を置くことが内定され、候補地として羽黒山に白羽の矢がたった。

しかし、現地調査の結果、山坂を登り下りしなければならぬこと、周辺の土地が湿地地帯であるという地計上の難点から、笠岡へにわかに変更された。このことはその後の、玉島発展のかげりとも考えられる一つの出来事でもあった。
  • 行政や公共施設の開設

しかしこの後、羽黒山清滝寺には、玉島小学校の前身としての啓蒙所にはじまって、浅口郡役所・玉島町役場・玉島図書館などの施設が次々と置かれた。

また明治4年(1871)には東京・長崎間に郵便業務が開始されたとき、玉島郵便役所(明治8年玉島郵便局と改称)が常磐町に置かれ、郵便取り扱いの外、郵便貯金や為替取扱などの業務が始められた。さらに明治14年(1881)には、玉島電信局が玉島郵便局の中に設置されて、一段の充実が図られた。

一方、明治9年(1876)には本町に(現在玉島3丁目公園)玉島警察署の前身である第3警察出張所が置かれ、また羽黒山には玉島区裁判所が置かれるなど、羽黒山とその周辺の港町も人の往来も繁くなり、脚光を浴びて活気づいてきた。



明治4年の切手
常磐町に開設された最初の玉島郵便局