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一歩一歩(平成23年)


《過去の行事報告一覧》

・平成22年度 (2010年)


お寺での行事報告、季節の移ろいを紹介していきます。



12月31日


今年は、東日本大震災、紀伊半島の水害、タイの洪水など・・・水にまつわる災害が多い年でもありました

未曾有の東日本大震災、発生から九ヶ月が過ぎましたが、今尚、被災地の方々は大変な生活をされています

震災が起こったことを忘れない・・・小さな気持ちの継続が大きな支援にも繋がるように感じています


いつも持ち続けている、ひとつの願い・・・


皆が幸せになりますように





この願いが来年、再来年と、少しずつ花開きますように


来る2012年が、皆々様にとって幸せな年となりますように心から御祈念申し上げます


合掌





11月15日


桜の葉がやっと色付き始める





今年は、紅葉が始まる前に葉が落ちた為、葉の数も少ない

そんな中・・・

葉の1枚1枚を見ていますと、自然の移ろいと力強さを感じます

これから寒い冬の到来

合掌





8月24日


地蔵盆





今年から「ろうそく祭」に代わり新たに始めた「地蔵盆」

夏のお盆最後の行事


  


今年の地蔵盆は、3月11日の東日本大震災復興祈願と震災物故者追善供養を、お参りの皆様と共に祈らせていただきました





本堂前に「東日本大震災義捐金箱」を設置

お参りの皆様からいただきました義捐金は、笠岡市を通じて被災地へ届けさせていただきます。





本堂で地蔵盆の法会が始まり、地蔵和讃が聞こえてくると大数珠繰りの始まり

お地蔵様の御真言「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」をゆっくりお唱えする





大数珠の房の部分が廻ってくると額をつけて祈りを捧げる


自分だけの願いや祈りというものは、なかなか叶わない

しかし、他を想う気持ちや祈りというものは不思議と届くものである


一連の大数珠に託された皆さんの願いが遠く被災地へ届きますように

オン カカカビ サンマエイ ソワカ





大数珠繰りの後は、笠岡みたけ少年少女合唱団のコンサート

追悼の歌を中心に歌ってくださいました


本堂の鴨居には、子供達から募集した東日本へのメッセージや、将来の夢や希望を貼らせていただきました

「地震や津波がなくなりますように」

「がんばれ東日本」

「まけるなふくしま」

子供達から多くのメッセージが寄せられました





みたけ少年少女合唱団のコンサートは、追悼の歌と明るい歌を組み合わせて、復興へ向けて共に歩んで行きましょうという想いが優しい歌声に乗せて伝わってきました

また、震災でお亡くなりになられた多くの方々へも、温かい歌声が届いていることと思います。


合掌





7月12日


本格的に暑くなってきた





真夏の太陽に照らされて

大きな葉の間から

次々に花を咲かせている





7月6日


大きな蓮の葉





例年より花芽が多く出ている





朝日が蓮を照らし始める





梅雨の間の晴れ間





真っ白い蓮を見ていると心が落ち着く





大きな葉の間から小さな華芽が顔を出す





朝日に照らされた蓮は一段と透明感を増す





もうじき梅雨が明け暑い夏が始まる


合掌





6月26日


今朝、第一輪の蓮が開花しました

昨夜からの雨で蓮も水滴を含んでいる





雨に打たれた蓮もまた美しい





今年も葉が大きく育ち、花芽も次々と出てきています





大きな葉っぱの下には、小さな花芽も顔を覗けている





これから8月半ば頃までの早朝が見頃となります


一輪一輪の蓮、震災でお亡くなりになられた方々の心へ届きますように

合掌





4月28日

東日本大震災追悼行脚

428日で震災から49日・・・本来なら納骨を迎える日

2万人を超えるお亡くなりになられた方々を思うと・・・どうしても、この日までに被災地での読経をさせていただきたく、家族に相談してきました。

24日夕方1630分に近隣の友人僧侶4名が集合



山陽自動車道 → 名神高速道路 → 東名高速道路 → 常磐自動車道 → 東北自動車道 等を経由して、25日午前6時半頃、福島県いわき市へ到着。

道中、夜間工事や震災による道路の凹凸の影響で二時間程、到着が遅れましたが、避難所をサポートされている方へ無事に支援物資の飲料水を届けさせていただきました






飲料水を降ろし、「お茶でもどぅぞ飲んで行ってください」と言われ、最初は宮城県に向かわないといけないのでお断りしてたのですが、どぅしてもと言われ、お茶をよばれながらお話をお聞きしてました。御家族の方が仰るには、「現在も福島県の惨状があまり伝えられないままで私の親戚や子供の友人知人が津波にのまれ亡くなったんですもし迷惑でなければ、ぜひ現場で拝んでいただけないでしょうか」と涙を浮かべて話されました。





小名浜港で福島原発と海の方角を向いて、お亡くなりになられた方々の御冥福と余震の収束を拝ませていただき、その後、御家族の方が仰られていた塩屋という地域へ向かったのですが、完全な壊滅状態で、重機が入り、立ち入り禁止となっていました。そのため、一山越えた場所から塩屋方向を向き読経その間、目の前に広がる海岸では自衛隊員が数名、砂浜を歩かれていました波の高い日は、死体が打ち上げられると





強い海からの風に吹かれながら読経が終わり、振り向くと涙を流しながら「ありがとうございます」と仰っていました。

福島原発が爆発した日、子供達を東京へ避難させるためにガソリンを入れに行くと、長い列が出来ていたそうです待つこと8時間





今は、洗濯物も外へ干せない。小名浜漁港は、本来ならカツオの最盛期と悲しそうに話されていた。漁港周辺は、海からの泥がかき集められ、海水で濡れた家財道具が至るところで山積みされていた。大きな船がコンクリートの岸壁を突き破っている。漁船が陸に乗り上げ、線路は曲がり、車は横転している・・読経の後、常磐自動車道路 → 東北自動車道 を走り、仙台市へ





午後12時頃、福島県いわき市を出発し宮城県仙台市にある仙台葛岡墓園にて身元不明者の土葬を拝ませていただきに向かう。仙台に到着する頃には、雷と大雨が満開の桜も吹雪となり散っていました。墓園が広大なので管理事務所に行くと、目の前にプレハブの遺体安置所が出来ていました。受付の方にお伺いしますと「ぜひ宜しくお願い致します」と遺体安置所の鍵を開けてくださいました。

中には、火葬された御遺骨が番号をつけて並べてある土葬から火葬に切り替え始められた様子。読経の最中並べられた御遺骨と番号に身元不明者のお気持ちをおもうと涙がこみ上げてきました。読経後、プレハブを出ますと、あれだけ荒れていた天候も不思議と雨が上がっていました。

葛岡墓園から石巻市を目指す





1418分石巻ボランティアセンターに到着。今日は雨天のために作業出来なかったので登録のみを行う。明日の朝から活動を行い、昼から岩手県に向けて祈りを捧げさせていただきながら北上することに。





石巻市に来て驚いたこと市内は、お店もスタンドも通常通りで混乱や渋滞は全く無く、復興の力強さを感じました。ただ川沿いは、海からの津波で壊滅状態。車が畑にダンプカーやショベルカーがペシャンコに電柱が折れ学校のプールに車が何台も沈んでいる正直、目に入る現実を現実として受け入れる心の余裕も無くなり言葉を失いました





災害ボランティア活動が明日となったため、1530分大川小学校を訪れました。ここは、地区全体が完全に無くなっていて、現在も懸命に捜索活動が行われていた。現場責任者をされている警察に読経の許可をいただく

「現場は捜索活動中ですので、道路からぜひ拝んでください」と。

17時頃まで、一心に読経させていただく。





泥まみれになりながら行方不明者を懸命に探す自衛隊。砂埃舞う中、無心に読経させていただく学校を見つめていると、子供達の声が聞こえてきそぅでした。跡形も無くなっている家屋。言葉を失いただひたすらに祈りを捧げさせていただく。

尊く幼い命を失った子供達の御冥福をお祈りさせていただくと共に未だ行方不明の子供達が1日も早く見つかりますようにと。





大川小学校のある地区以外にも、川沿いの地区は壊滅状態・・・家があっただろうと思われる敷地の輪郭だけが泥に埋もれた地面から見えている。子供達が遊んでいた三輪車のタイヤ部分だけが泥から出ている・・・。

津波が川を逆流した威力は、想像を絶するものがあった・・・大川小学校の近くの鉄橋は、支柱が折れて、遥か上流へ流されていた。

広範囲に及ぶ壊滅的な状況・・・移動の道中もひたすら光明真言を唱える。





25日は、石巻専修大学ボランティアセンター内の駐車場で、4名とも1台の車の中で寝袋に包まり就寝。


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起床して活動までに少し時間があったので、専修大学の桜並木を歩く。

ここで、群馬から来られた小野沢さんという60代くらいの男性に出会う。ボランティア活動を始めて5日目。

「避難されている方の大半がどなたかを亡くされていますので、ぜひ御供養を宜しくお願い致します」と言われていた。

握手を交わす小野沢さんの手は、寒い被災地の朝でも温かかった


この日、朝からボランティアセンターに依頼派遣され、石巻市の家(70代のお婆ちゃんが1人住まい)を訪れました。津波の影響で濡れた畳の搬出を手伝う。





以前は、近くの公園に濡れた畳を集めていたらしいのですが、消毒のため数日前から持ち込み禁止となり、お婆さんの家の前に並べました。

お婆さんが涙声で「震災以降、息子が行方不明になり、毎日探していたけど35日後に遺体で発見されたんです家も片付けたくて20日前からボランティアセンターにお願いしてたのに全く来てもらえず、やっと今日・・・助かりました」と。実は、現在も「被災地に行くのに車は迷惑を掛けるから電車にしろ」「ガソリンが無い」等々・・・地方から被災地に向かうボランティア同士が独自の判断をしているため、徒歩で来る人は居ても車で来る人が少ない・・・お婆さんのようにボランティアセンターから遠い地域の人は、常に後回し後回しにされ・・・依頼から20日も掛かったとのこと。

確かに、皆が皆、車で行くとこれも渋滞を招き、復興支援活動の妨げになると思います。かと言って、電車ばかりのボランティアだと活動範囲が限られていますので、遠くの被災者に支援が行き届かなくなります。

一番大切なのは、ボランティア同士、互いを思う気持ちかなとも感じました。「車で行くなんて、ガソリンが不足しているのに・・・復興支援の妨げになるから被災者に迷惑かかるだけ」と決め付けたりせず、個々の活動意識の中には、共通点があることも心に置く必要があると感じる・・・それが、被災者支援にも大きく繋がってくるように思いました。

お婆さんの家の畳搬出が早く終わったので、もし、迷惑でなければ息子さんに読経をお供えさせてくださいとお伝えすると、お婆さん、すごく喜ばれ、近所の叔母さんも親族を亡くされているからと呼びに行き、まだ仏壇も遺骨も無い床の間に向かい、祈らせていただきました。


読経後、うしろを振り向き「何も出来ませんが申し訳ありません」とそっと伝えると、お婆さんも叔母さんも合掌して泣きながら「ありがとうございます」と何度も言われていました。

息子さんを火葬にしたくても石巻市の火葬場が一杯で、東京へ一千体の遺体を運ぶときに一緒に運ばれた火葬には立ち会う事も禁止され、ただ遺骨が返るのを待っていると。本当に胸が痛む悲しい現実です…70歳を過ぎて息子を失ったお婆さんの悲しみが、ひしひしと伝わりました。


お婆さんの家を後にし、ボランティアセンターで活動報告を提出した後、縵浄衣に着替えて追悼行脚へ。





石巻市から沿岸部を中心に北上。道中、山崩れや、津波で道路自体が消滅している場所も多く、凸凹道を読経しながら進む。途中、復興支援活動の邪魔にならない場所で車を停めて海や瓦礫の山に向かい、読経させていただく。海沿いの町は、どこもコンクリートの防波堤や鉄道さえなぎ倒され、壊滅状態。





家の屋根の上に車が乗っていたり、漁の網がビルに巻きついていたり・・・読経道中、自然と涙が込み上げてきました





ひたすら光明真言を・・・

「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」






「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」





「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」





「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」



午後16時、気仙沼まで読経し、翌日の帰宅に備えて高速が近い盛岡市へと向かう。

様々な予定変更に伴い、当初予定の陸前高田〜宮古までが行く事が出来なかったが、気仙沼より宮古市がある方角を向いて一心に祈りを捧げる。



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盛岡市を午前7時半頃出発

盛岡から笠岡までは約1220キロ

東京は、被災地へ向かう時に大渋滞したことから、東北自動車道 → 北陸自動車道 → 名神高速道路 → 山陽自動車道 等を南下して、午後23時に自宅へ帰る。


二万人以上のお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りすると共に

行方不明者が1日も早く見つかりますように

余震が収束しますように


継続的な復興支援を続けたいと思います


合掌






4月20日


【第10回】 神島歩き遍路(そのB)





寺間付近より続きを打ち始める

春の花と共に、山々には新しい葉が生えはじめている





今回もへんろ道沿いのゴミを拾いながらお遍路させていただく





神島のへんろ道は、風情ある場所も多々存在している





雲辺寺への登り道

本四国のミニチュア版ですが、かなり急な上りです





雲辺寺にて

皆さんの想い、届きますように☆





今年も一同無事にお遍路させていただけたことに感謝

東日本大震災でお亡くなりになられた多くの方々の御冥福を祈らせていただくと共に

余震の早期収束と一歩一歩着実な復興を願いたいです


南無大師遍照金剛


合掌





4月14日


【第10回】 神島歩き遍路(そのA)





今年は、4月になっても朝が少し冷え込む


先日の打ち終えた場所から続きを歩く

神島は、山桜でも有名

一番の見頃を迎えている




第36番札所青龍寺方面を望む





山桜のトンネルが出来るへんろ道

ここから向かいの山を見ると・・・





一面が山桜

青龍寺でお勤めをさせていただき

東日本大震災でお亡くなりになられた方々への御冥福を祈る





平成21年に青年会皆で結ばせていただいた遍路札

風雨にさらされながらも

お遍路さんと移り往く季節を見守っている

遍路札に合掌





青龍寺から笠岡諸島を望む





海を眺めながらしばしの休憩


眼下に広がる瀬戸内海の風景





山桜と瀬戸内海の島々


この季節は、山桜と同時に山ツツジも見頃を迎える


山ツツジのへんろ道を進む





花の美しさに心癒され

一歩一歩





海岸のへんろ道でもゴミ拾い

一人一人が気付いたゴミを拾っていく





山桜の一輪一輪の花が懸命に咲き

山全体を美しくしている





遠くに笠岡湾干拓地が見える





野に咲くタンポポ

春の花々

東日本大震災でお亡くなりになられた方々の心へも届きますように


南無大師遍照金剛


合掌





4月11日


東日本大震災物故者追悼
復興祈願法会


東日本大震災発生から一ヶ月

午後2時46分より東日本大震災物故者追悼並びに復興祈願法会を行なう





住職と寺族で読経

静かに雨が降り始める


二万人ともいわれるお亡くなりになられた方々へ心から御冥福を


一歩一歩、助け合いの絆深き着実な復興を


南無大師遍照金剛


合掌





4月9日


地福寺の桜が満開を迎えました




満開の桜

風に吹かれて花びらが舞う





1枚1枚の花びらが散華のように





祈りの心は遠く東日本を想う





小さな小さな花も太い幹から顔をだしている





寒い冬を乗り越えて

力強く太陽に向かって

芽を出す桜葉


南無大師遍照金剛


合掌





4月8日


【第10回】 神島歩き遍路(その@)


2001年から始めた神島歩き遍路も台風13号の影響でお遍路出来なかった年を除いて、今年で10回目となります。例年、鴨方の愛宕山大師教会さんと合同で行なっていましたが、10年目を機会に各お寺での遍路を行なおうと決まりました


4月8日、お釈迦様の誕生日

朝から小雨が降るお天気となりました





今年のお遍路は

東日本大震災でお亡くなりになられた2万人ともいわれる方々への御冥福を

一心に祈らせていただきます





遍路道中、へんろ道沿いのゴミ拾い

一人一人が、スーパーの袋を持参して

空き缶、空き瓶、ペットボトル、弁当の空、タバコの吸殻・・・等々を拾います





神島霊場は、地域の方々が綺麗に清掃され保たれている霊場です

山道などは、丁寧に落ち葉を掃いて下さっています

お遍路をさせていただく中で本当に有難いことです


しかし・・・車道に出ますと、ゴミが多く、地域の方々が掃除されていても

車の窓を開けて、平気でポイ捨てをしていく人も・・・


車道から山道に入ると花や葉の香りが心を和らげてくれる

各札所では、気持ちを込めて震災でお亡くなりになられた方々へ

南無大師遍照金剛





この時期のお遍路は、花々が本当に美しく、珍しい花に出逢うことも度々





山道から車道に出ますと落ちているゴミが目につきます

雨の中、一人一人、気付いたゴミを拾う





ペットボトルや弁当空、空き缶などが散乱している

コツコツと集めていく

ゴミは持ち帰るかゴミ箱へ入れるマナーは携帯して欲しいと願いながら





へんろ道沿いの菜の花

ホッとする瞬間だ

しかし・・・その中にも空き缶などがあると悲しくなる・・・





今日の行程では、大きなゴミ袋、5袋分のゴミを回収させていただきました

歩き遍路ですので、本格的な清掃活動とはいきませんが

一個一個のゴミが無くなりますよう願いながら小さな活動を継続していきます


御参加された皆様には、小雨降る中の遍路となりましたが

一人一人の御協力あっての祈りと、ゴミ拾いです


続きは14日


皆様に感謝


合掌





春 (3月31日)


白木蓮の花が咲き始めた





今年は、例年よりも小さな花が沢山咲いている





朝日を浴びながら懸命に咲く花





真っ白い花に

東日本大震災でお亡くなりになられた多くの方々の想いが重なり

しばらく白木蓮を見つめていた





小さな子供からお年寄りまで・・・二万人・・・

その二万人、一人一人に

大切な人生があった・・・

大切な家族があった・・・

大切な想いがあった・・・



今は

祈りたい





空高く飛ぶ鳥に

被災地の空を想い


真っ白な白木蓮が、お亡くなりになれれた方々の心へ届きますように

南無大師遍照金剛


合掌





【東日本大震災救援物資第二回目】
(3月25日)





救援物資第二回目の仕分け作業を行なう

今回も多くの温かい御心が寄せられた





ダンボールを開けるとメッセージも

笠岡市は、24日に救援物資品目を変更していましたが、

井笠地域事務所へ問い合わせた所、受け付けてくださるとのことでした





タオルを袋から出し、1枚1枚たたんでダンボール箱へ詰めていく

今朝は、冷え込んでいた

外吹く風がビューっと音をたてている

ふっと窓の外を見るとボタン雪が舞っていた

被災地は、更に寒さ厳しいことだろう・・・タオルをたたみながら思う





第二回目の救援物資を井笠地域事務所へ届ける

倉庫内は、先週の5倍程、救援物資が集まっていた

総務課の方が言われるのには・・・

「物資はあるのですが、なかなか現地まで早急な配送が出来ない状態です」との事でした。

道路が寸断されていたり

ガソリンが不足していたり

現状はまだまだ厳しい状態ですが、迅速な配送が可能となりますように


第二回救援物資一覧

・ブルーシート (12畳×3枚)

・毛布 (9枚)

・懐中電灯 (2個)

・ラジオ (1個)

・トイレットペーパー (12ロール×2個)

・マスク (50枚入り×2個、10枚入り×2個)

・箱ティシュ (19個)

・バスタオル (22枚)

・フェイスタオル (179枚)

・ハンドタオル (13枚)

・オムツ(大人用) (18枚入り×2個、30枚入り×2個)


多くの皆様からの温かい御協力、ありがとうございました

笠岡市を通じて被災地へ届けさせていただきました


合掌





【東日本大震災救援物資第一回目】
(3月18日)





皆様からの温かいお力添えをいただき沢山の救援物資が集まりました





タオルや乾電池等、品物毎に数をかぞえてダンボールへまとめる





ガムテープに品名と個数を記載





救援物資も沢山御持参いただき

子供さんと一緒に仕分け作業をしてくださる方々





気持ちを込めて箱詰めをしていく


かなりの物資の量

1つ1つ確認していく





一人一人の気持ちが入ったダンボール





作業開始から約4時間

だいぶと整理出来てきた





種類毎に置いて積み込みを待つ





皆様の温かい御心が小さな子供達にとどきますように





毛布・・・まだ寒さ厳しい被災地に早く届きますように





救援物資の積み込みは子供達もお手伝い

普段は、自分が使用しているオムツをトラックまで運びます





トラックは、檀家さんの御協力をいただいた





風で飛ばされない程度に積み込む


トラックに積み込めない物資は軽四で運ぶ





井笠地域事務所に物資を届ける





ここから救援物資が出発する





倉庫に入った救援物資





倉庫の中は、救援物資が集まり始めていた





第一回救援物資一覧

・おしりふき (100枚入り×103個)


・フェイスタオル (359枚)

・ハンドタオル (65枚)

・バスタオル (18枚)

・マスク大人用 (50枚入り×1100個)

・マスク子供用 (50枚入り×116個)

・箱タオル (71枚)

・オムツ大人用 (18枚入り×11個)

・オムツ子供用 (36枚入り×20個)

・単三電池 (50個)

・単二電池 (15個)

・トイレットペーパー (12ロール×23個)

・生理用品 (24枚入り×30個)

・懐中電灯 (15個)

・毛布 (30枚)


第一回の救援物資募集に御理解御協力いただきました皆様へ

本当にありがとうございました

また今回の震災は、長期に渡る救援が必要です

今後とも宜しく御願い申し上げます



どうか1日も早く被災地へ届きますように



合掌





【東日本大震災緊急托鉢】
(3月17日)



3月11日に発生した東日本大震災

時の経過と共に、その被害の甚大さに涙が出てまいります





JR笠岡駅前にて午後16時〜18時まで緊急托鉢





総勢20名の僧侶が集まり、般若心経を一心にお唱えさせていただきます





祈るは・・・

一万人ともいわれるお亡くなりになられた方々の御冥福

被災地で苦しく辛い日々を過ごされている方々の健康

懸命な救援活動をされている方々の安全

原発の放射能漏れを懸命に食い止めようとされている方々の無事

遠くの地から安否を案じられている方々の御心

そして

すべてに祈りを捧げさせていただく





一同のお唱えする般若心経

時が経つにつれて声も大きくなる





今回の托鉢では、学生さんを始め、仕事帰りの方々が足をとめてくださいました





心経をひたすら繰り返す


若い母親が小さな子供を生地の厚いおんぶ紐で背負い、駅の改札を出てくる

そのまま私達の托鉢方向へ真っ直ぐ歩いて来て、募金してくださいました

少し涙を浮かべながら「仙台から、今、やっと帰ってきました」と言われ…

被災しているにも関わらず募金してくださった親子の姿に目頭が篤くなりました


日本人の底知れぬ温かさを感じた瞬間でした。





皆様の温かい思いが被災地へ届きますように





托鉢総額は、会員からの募金も合わせ、414,970円

全額をAMDAへ送金させていただきました

御喜捨御協力いただきました皆様には、寒い中を本当にありがとうございました

すべてに祈らせていただきます

南無大師遍照金剛


合掌



冬 (2月25日)


蓮の植え替え





今日は暖かい日和となり、住職と蓮の植え替え作業





土を調合

割合は、住職オリジナル☆





一年もすると立派なレンコンが出来ている


新芽の部分だけ新たに植え替える





レンコンを戻し、土を入れていく





土が入ると、次は水を入れる





夏まで泥の中で成長を続ける





8個の甕(プラスチック製に茶色い塗装をした住職オリジナル甕)の植え替えが完了☆

今年の夏も綺麗な花が咲きますように♪





冬 (2月15日)





雪化粧した笠岡市





蓮も雪と氷の下に





桜の蕾も、まだ冷たい風に吹かれている





冬 (2月2日)





今年の冬は冷え込みも厳しい

蓮も泥の中で、じっと寒さに耐えている





桜のつぼみ

寒い中、少しずつ膨らんできた








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