「追記:働かないアリ」 について


 前に「不必要という必要」でアリのことについて書きました。三割しか働いていない、というやつです。
 ちなみに、読み返すと予想通りうんざりした気分になりました。分かりにくい・回りくどい・どうでもいい。しかし、まあ仕方ないです。それに、この文章の主題はそれとは関係ありません。
 僕は働かないアリについて、どういう観察結果からその結論が出たのか、というのが気になっていました。いったい何をもって働かないと見なすのか、とか。
 で、そのことについてこんな本がありました。
 長谷川英祐 『働かないアリに意義がある』 (メディアファクトリー.2010)、税別740円。
 以下の文章は概ね、この本に書いてあったことです。

 本によると、観察対象は地面を這いまわってるアリではなく、巣の中のアリだと書いてありました。考えてみれば、まあ当然です。巣の中には、地面を歩いている何十倍のアリが幼虫の世話やら、巣の補修やらをやってるそうです。
 で、その巣の中のアリを個体マーキングして観察したところ、ある瞬間には全体の七割が働いていない、という結果が得られたそうです。
 違うアリの種類などでいくつか研究があるようですが、ともかくいつもいつも働いているわけではない、ということらしいです。
 著者の研究報告によれば、「すべての働きアリを個体識別できるようにマーキングし、1ヶ月間すべての個体の行動を1日に3回ずつ記録」した、とのこと。
 また、「観察を担当した1名は疲労から途中で点滴を打ちながら観察を続け、血尿まで出した」とかなんとか。
 なんだか頭が痛くなりそうな実験です。何時間も個別のアリを凝視しつづけてたんでしょうか……。シュールです。
 で、それによると1ヶ月観察しても二割くらいは働かない、別の研究では一生涯労働と見なせる行動をしないアリもいる、とのことです。
 数字的にはアリの種類によっても違うし、はっきりした平均値として出せるものでもないようです。
 コンピューターの画像解析か何かのソフトを開発して、うまいことアリの観察ができるようになれば、この研究はずいぶん助かるだろうなあ、とつくづく思ったりしました。

 何故、働かないアリはいるのか。
 本の中でその理由は「反応閾値」という言葉で説明されます。要するに「腰の軽さ」のことです。反応閾値が低ければ、何かあったときにはすぐ仕事にとりかかる。
 つまり、労働しやすさです。
 これに関して、ミツバチの巣の温度についての面白い実験があります。
 ミツバチは巣の温度を一定に保つために羽で風を送ったりするんですが、その仕事に対する反応閾値はそれぞれのハチで異なっています(具体的には遺伝子で)。ちょっとでも温度が上がるとすぐに羽を動かすものや、かなり温度が上がらないと動きださないハチがいる、ということです。
 で、このハチを単一の遺伝子に統一してみます。つまり、同じ反応閾値にしてしまう、ということです。
 すると、どうなるかというと、巣の温度を一定に保つことが難しくなります。そしてその結果、繁殖効率が落ちる、と。
 つまり、生存には様々な反応閾値があったほうが有利だ、ということです。

 働くか働かないかが反応閾値で決定される以上、当然ですが、働かない=反応閾値の低いもの、を集めれば、その中で差異が生じて、働くアリがでてきます。逆もまたしかり。
 シワクシケアリ、という種類のアリを使った著者の実験では、その通りになったそうです。
 そしてミツバチの実験などからも分かるように、反応閾値はできるだけ分散していたほうがいい。
 著者いわく、状況によりよく対応するために「一種の「余力」が必要になります。その余力として存在するのが、働かない働きアリだといえるでしょう。」ということです。
 そして、働かないアリというのは、実は「働きたいのに働けない」アリなのだと。
 これは沖方丁の言っていたのと同じでした。

 ただ、本当のただ乗り、というのもあるそうです。共同体のためには何もせず、自分の利益だけを追求する。
 アミメアリというのがいて、そのなかには自分の子供だけ産むフリーライダー(ただ乗り)がいるそうです。他のアリは幼虫の世話やら巣の補修をせっせとしています。
 当然ですが、フリーライダーの子孫は同じようなフリーライダーになります。そうして、どんどん数を増やしていく。
 結果、コロニーは縮小し、やがてはフリーライダーもろとも全滅することになります。
 では何故、アミメアリは絶滅せずに今も種を存続しているのか?
 それは、フリーライダーの感染率と毒性のバランス、だそうです。つまり、ただ乗りが増える率と、その破壊性のバランスがうまくとれているのだろう、と。感染と毒性がうまいこと種を存続させる程度に収まっている。

 他にも、けっこう面白い話がのっています。
 この本は、基本的には真社会性生物(生殖活動が分業されている生物)をテーマとした、進化論の研究についての話になっていて、それに関連した実験や理論が分かりやすく書かれています。
 例えば、ハチの話があります。
 よく知られているように、ミツバチというのは女王バチが繁殖活動をし、他の働きバチがそれを助けます。ちなみに働きバチはすべてメスです。
 これは、ダーウィンの進化論からすると、すごく奇妙なことです。
 進化論をてっとり早く説明すると、要するに「自然淘汰」によって生物は進化してきた、ということです。淘汰された遺伝子(生物)は絶滅する。
 つまり、遺伝子を残せない生物は絶滅するはず。それなのに、働きバチは繁殖活動をしない。繁殖活動をしない働きバチが、何故絶滅しないのか、いなくならないのか。
 そのことを説明するのが、ハミルトンによる3/4仮説です。
 ミツバチは単数倍数性という遺伝子のありかたで、オスが一組のゲノムしか持ちません。メスだけが二組のゲノムを持っています。それから、メスはオスの精子をストックして、あらためて交尾をしなくてもいろいろな組み合わせで子供を作れるらしいです。
 この場合、同じオスの遺伝子から生まれる子供は1×2=2の二種類しかいません。つまり、働きバチにとって、同じオスから生まれた姉妹は自分と同じ血縁度1か、血縁度1/2の二種類です。
 で、全体の血縁度としては(1+1/2)/2=3/4。つまり、通常の血縁度1/2よりも高い、3/4になるのです。
 この血縁選択説によると、働きバチは自分の子供を残すよりも姉妹を世話したほうが遺伝的に有利である、ということになります。
(というふうに読んだんですが、どうもそうじゃなくて、ある働きバチから全体を見て血縁度が1/2と1/4の姉妹がいる。1/2+1/4=3/4になる、というのが3/4仮説、ということみたいです。正直、よく分かってません)
 また、ある種のアリではオスもメスもクローンを作り続けるという、妙なものもいるそうです。
 とりあえず、面白いので読んでください、ということで、この辺で終わります。

 この本の基本的な話の方向性は、要するに「研究者の必要性」というようなことになるかと思います。
 狂牛病の際、プリオンの研究が役に立ったが、それ以前はプリオンの研究自体はまったく必要性の見えないものだった、ということです。また、アリが餌を集める効率は、迷いアリがいたほうが高くなる、というシュミレーション結果も出ているそうです。迷っているうちにより効率のいいルートを発見するからだそうです。
 で、そこから話は現代社会批判のようなところにも向かいます。短期的な効率重視でいっさい無駄を省いていくと、生物学的に見ても好ましいものとはいえないかもしれない。
 余裕、冗長性のある社会こそが望ましい。それこそがより安定的な社会を実現できるのだ、と。
 たぶん、それは正しいのだと思います。
 結局のところは、バランスが大事だ、ということです。そのバランスの重りは、しょっちゅう乗せ変えられていますが。

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