「眠り方」 について


 高校の頃から、うまく眠れない時なんかに「眠り方≠チてどんなだったっけ?」と分からなくなる時があります。
 眠り方……。
 別に就眠儀式(人が眠る前にやっておく癖のようなもの)がどうとかいう話ではなくて、それはビデオの操作方法と同じような意味で「眠る」ことのやり方が分からないということです。睡眠障害が高じ果てた末になんとなく考え始めてしまった、というような気もします。
 眠る瞬間というのは気がついたら眠っていて、誰にも知覚できないことだと思います。それはスイッチを切ればテレビが消えるというほどはっきりとはしていないし、自分がどういう操作を行って眠りに入るのかというのは、考えてみると全然分かりません。もちろん、眠くなって、横になって目をつむって、眠ろうとしていればいつかは眠りに落ちます。でもその時、「眠ろうとする」というのはどういうことなんでしょうか?
 僕はそれと似たようなことで、本の読み方≠ェよく分からなくなった時があります。もちろん、分からなくなったと言ってそれは失語症になったとかそんなことではなくて、単に本を読んでいてもなんだか読んだ気がしない、というものです。読もうとしても、音楽が頭の中で繰り返し流れてきたり、一つの行を見ていても次の行を先に読んでいたりしました。そうして、どっちが先かは分からないけれど、本の読み方≠ェ分からなくなりました。
 眠り方も読み方も、今は一応良くなってはいます(眠る時はもう一時間や二時間眠れないままでもどうでもいいや、と開き直ったり、読み方はその前に音楽を一切聞かないようにしたり、できるだけ一行に集中して読んだり、とか)。
 こういうことはただの考えすぎでもあるような気はします。気にしなければ、自然とできるはずのことだ、と。
 でも、僕はだから考えるのはやめにしろ、と言われても、それはほぼ確実に不可能なことでどうにもならなくて、なんとなく嫌な事でもあります。
 じゃあ、どうすればいいのか……?
 分かりません。考えるだけ考えて、それでもう考えるのが嫌になる、というところまで考え続けるしかないのかな、とも思います。
 どちらにしても、あまり健康的とは言えませんね……。

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