「何故、人間は昆虫を食べないのか」 について


 NHKの番組(サイエンスZERO)で、昆虫食についての特集がされていた。
 それによれば、昆虫は高タンパクで栄養価が高く、環境負荷も少なく、食糧危機に対する解決策としても有望視されているという。
 まったくのところ、よいことづくめである。早い、安い、うまい、くらいに文句のつけどころがない。
 昆虫食のメリットがずらずらと列挙されていく中で、けれど僕がもっとも疑問に思ったのは次のことだった。
 それだけ優れた食糧源なら、何故、(多くの)人間は昆虫を食べていないのか――?
 
 たぶん人間は、およそありとあらゆるものを食べてきている。
 何でも食べる中国人を表すことわざに、「四足のものは机以外、空を飛ぶものは飛行機以外云々」というのがある(正確には、広東省の人を揶揄する言葉らしいのだけど)。
 というか、実際には飛行機を完食する人までいるらしいのだから。
 例えば野生のアーモンドは、分解すると青酸カリと同じシアン系毒物になるアミグダリンというのが含まれている(そうだ)。
 でも結局、無毒のアーモンドが栽培されるようになっている。つまり、誰かがそれ(たまたま毒のないアーモンド)を食べた、ということだ。
 かくも人間は、食に関してなみなみならぬ探究心を抱いている。
 フランス料理では最高級の牛肉として、まだ草を食べていない、乳しか飲んだことのない子牛、というのがあるらしい。
 人間の業の深さを感じる食材である。
 ところが、人類の「食べもの」として昆虫が選択されることは、ほとんどなかったんじゃないか、と思う。
 
 世界でどれくらい昆虫食が一般的なのか、僕は知らない。
 とりあえず今のところ、昆虫を「主食」にした民族や文化というのを、僕は知らない。あるのかもしれないけど、とにかく知らない。
 少なくとも、それが「主流」でないことだけは確かだろう。どちらかというと、補助食というか、おやつというか、そんな位置づけのような気もする。
 仮にも昆虫食が人類にとって有望な食糧源なら、何故僕らは大々的に昆虫を食していないのだろうか。
 そこには、何らかの理由があるのではないか?
 
 考えられる理由としては、大体こんなところじゃないかと思う。
 @生理(消化器官)的な問題
 Aコスト的な問題
 B文化的な問題
 C味の問題
 
 例えば、人間に近い仲間である類人猿(チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン)は昆虫を食べている。
 といっても、どうもアリなんかが一番多いみたいである。枝にくっつけて舐めとる、というのが主流らしい。
 どうでもいいけど、メガネザルが(相対的に)巨大なバッタを食べているところなんかは、かなりグロい。食事中にあの映像を流せば、ダイエット方法としては効果的かもしれない。
 ちょっと詳しくはわからないのだけど、チンパンジーはバッタなんかは食べないみたいである。ニホンザルと比べると、食べる昆虫の種類も減っている。
 どうも消化酵素に違いがあるみたいなんだけど、よくわからない。食べられないのか、それとも食べないだけなのか。
 チンパンジーは、おいしそうに虫を食べるカエルなんかを見て、何か思うところがあるのだろうか。
 あいつら、よくあんなもん食ってるな、とか。
 しかし、何となく示唆的なところはある。人間はそもそも、昆虫を食べられるようにできているのか?
 
 昆虫食をちょっと調べてみると、意外と「高い」。
 少なくとも、その辺の豚肉くらいには高いし、鶏肉よりも高い。中には牛肉より高い、というのもある。
 市場規模の問題なのか、技術的な問題なのかはよくわからないのだけど、この点に関してはほぼメリットがない、としか言いようがない。
 意外と、大量生産や効率のよい採集(収穫?)方法がないのかもしれない。それで、コストが高くなる。
 はっきり言って、これだと高級食材の部類ではないかと思う。
 だとすると昆虫食は所詮、金持ちの道楽なのか、とすら疑問を持ってしまう。
 そもそも昆虫の人為選択、みたいなことは行われたことがあるのだろうか。食糧や飼育に適した昆虫種の創出。
 できるならとっくにやっている、という気もするし、一方で案外試されたことはないのかもしれない、とも思う。
 中国にはコオロギ同士を戦わせる闘蟋というのがあるけど、サラブレッドみたいな血統の系統管理は行っているのだろうか。
 研究が進むとか、遺伝子操作が施されるとかすれば、また変わってくるのかもしれない。飼育方法や加工方法の改良とか。
 何にせよ、現状のコストパフォーマンスで食糧危機が救えるとは思えないのだけど。
 
 食べる食べない以前に、昆虫が苦手という人は多い。
 個人的には、そこまで抵抗はないけど、子供の頃ほど平気じゃなくなってるな、とは思う。
 たぶんそれは、文化的な問題なのだろう。
 つまり、社会的には昆虫は忌避される方向にある、ということ。だから社会化が進む(=大人になる)と昆虫は忌避される。
 それが何故なのかは、ちょっとよくわからない。たぶん、都市化による自然な成りゆき、ということだとは思うのだけど。
 都市化とは、人間に都合のいい環境を追求した結果、でもある(それが行きすぎて、かえって不都合が生じている、ということはあるにせよ)。
 その環境を実現するには、昆虫に限らず、コントロールしにくいものは忌避される傾向にあるのではないか、と。
 逆にいうと、都市化(文明化)の行きづまりが昆虫食への注目をうながしているのではないか、という気もする。
 もしかしたら、昆虫食の推薦には多少のバイアスはかかっているのかもしれない。自然食賛美と同じくらいの、ちょっとした誇大広告くらいには。
 
 人間が昆虫を食べないのは、単純にまずかったから、という可能性はある
 火を使うようになって、人間の食料源は爆発的に増加した、と思うけど、焼いた昆虫がうまかったかどうかは疑問である。
 少なくとも、焼肉ほど魅力的ではなかったんじゃないかな、とは思う。
 調理の仕方も、正直見当がつかないところがある。素揚げ? 飴煮? 生食?
 もしも誰かが「うまいバッタを捕まえてきたぞ」と意気揚々やって来たとしても、正直困ってしまう気はする。エスカルゴくらいなら、わからないでもないのだけど(エスカルゴを食べたい、と言ってるわけじゃない)。
 それにたぶん、味の問題じゃないところもある。
 ウナギの代替食として、「よく似た味のナマズ」というのがあったはず。
 でも今でも日本人は、結局はウナギを食べている。どれだけ漁獲高が減ろうが、絶滅が叫ばれようが。
 何故なら、それはウナギだから。
 文化――とある人々はそれを呼ぶ。
 つまり、昆虫食が流行らないことの問題は、それが昆虫であることに尽きる。文化の変遷頻度とか経年変化についての平均的データがあるのかどうかは知らないけど、ともかくこの状況はそう簡単には変わらないと思う。
(まったく関係の話だけど、持続可能社会をどうこう言う前に、ウナギを食べるのはやめるべきだと思うのだけど……)
 
 
 個人的には、昆虫食が常食化することはないんじゃないかな、とは思っている。
 よほどの状況や、インセンティブ(動機づけ)がないかぎりは。
 SFの設定としては面白いかもしれないな、とは思っている。
 病気か事故で冷凍睡眠状態になって、目覚めたらみんなが昆虫を食べている世界、とか。時代的な異質性を表現するうえでは、けっこう有効な手段かもしれない。
 ……しかし、何故昆虫を食べないのか、と同じくらい不思議なのは、何故牛や豚を食べているのか、ということでもある。
 そこにはそれなりの理由があるのか、それともただの偶然なのか。
 収穫逓増?
 仮にそうだとすれば、昆虫を食べていた歴史も存在するはず。その世界ではもしかしたら今頃、肉食への注目が叫ばれているのかもしれない。
 
 人間が(一般的には)昆虫を食べていないことには、必然性があるのかもしれないし、ただの偶然なのかもしれない。
 現在一般的なキーボードの配置(QWERTY配置)も、合理性を追求したわけではないみたいに。
 もっとも人類史的に考えると、そこには何らかの理由があったとしか思えないのだけど。
 何にせよ、その辺をはっきりさせないかぎりは、昆虫食に未来があるとは思えない。
 不合理だろうと、不条理だろうと、いったん定着した習慣というのは、なかなか修正できるものではないのだから。

戻る