「『HUNTER×HUNTER』について個人的に思うこと」 について
一応、最初に言及しておくと、これは休載についてどうこういう話ではない。 というか、僕は単行本しか読んでいないので、現在どこまで進んでいるのかも知らない。つまりマンガについては発売中の32巻までしか知らない、ということである。 以下の話は、その前提に従って行われる。
――ただし、現状を考えても、選挙編が終わった時点でマンガはいったん終了させるべきだった、とは思っている。 どういう理由であるにせよ、「休載」と呼ぶには不自然すぎるので。 作者が望んだとしても(あまりそうとも思えないが)、編集者がとめるべきだった、と個人的には思う。それで『HUNTER×HUNTER セカンド』なり『HUNTER×HUNTER×HUNTER』なり、新しくはじめるべきだった。そのほうがよほど、まともというものだろう。 というわけで正直なところ、この件に関しては、僕としては編集者側の対応に疑問がある。 ……まあ、いろんな事情があるのだろうから、何とも言えないところなのだけど。 ただ、この状況を考えると、もう書き下ろしでマンガ書いてもいいんじゃないのかな、というところもある。
まあ、閑話休題。 僕が気になっているのは、そこではない。 キメラアント編、特に宮殿突入時からの表現についてのことである。
左に示したようなやつ、これ。 この四角枠で表現されている、「作者の言葉」である。 ほかのマンガと比べても、ここまで文字での補助を入れることは珍しいだろう。普通、話の説明は作中で行われることが多い。つまり、登場人物自身に行わせる。 それは例えば、セリフのやりとりだったり、心の声だったり、ギャラリーからの解説だったりする。たぶん、それが基本だろう。 実際、『HUNTER×HUNTER』でも、ここまでの表現はしていない。
ただし、この表現自体は今までの経過から自然発生した、というところもある。 そもそもの話、こういう「作者の言葉」は1巻からある。場所だの時間経過だの、簡単な説明だので、自然と使うことになるからだ。特に能力説明で多用されている。 それでも、それが目立ってくるのは7巻あたりからだろう。天空闘技場でヒソカがカストロに勝ったのを説明する以降のシーン。 同じように、12巻でもヒソカの嘘予言についての解説で「作者の言葉」が使用されている。 その後もちょこちょこ使用されるが、20巻のジャイロあたりが問題の部分にかなり近い。 この四角枠表現が完全にはじまるのは、25巻からである。そして、30巻で終了する。 ついでに「幽遊白書」の頃でいえば、最終巻近くの飛影のあたりが、この表現に一番近い気がする。
キメラアント編でのこの「作者の言葉」=四角枠の使われかたはかなり特異で、文体そのものが変わった、といってもいいくらいだと思う。 登場人物のみの範囲から、もう一つ別の視点からの表現が加えられるからだ。 それは立体的というのとは、少し違う。この演出はもっと別の、かなり特異な効果を生んでいる。マンガが「三人称的な視点」で見られることになるからだ。それはどちらかというと、小説に近いもののような気がする。 作者は何故、こんな表現を使用したのだろうか?
で、この四角枠表現がどう使われているのか気になったので、四角枠を話数ごとにカウントしてみた(ただし、四角が二つくっついている場合は二つとカウントした。数そのものは全然なかったが)。 その結果が以下の表になる。
巻数 |
話数 |
四角 |
合計 |
間隔 |
|
巻数 |
話数 |
四角 |
合計 |
間隔 |
20 |
203 |
6 |
6 |
|
|
28 |
291 |
2 |
160 |
|
21 |
216 |
4 |
4 |
|
|
|
292 |
7 |
|
22 |
|
0 |
0 |
|
|
|
293 |
8 |
|
23 |
237 |
4 |
24 |
|
|
|
294 |
39 |
|
|
239 |
6 |
|
|
|
295 |
42 |
|
|
240 |
4 |
|
|
|
296 |
3 |
|
|
246 |
6 |
|
|
|
297 |
8 |
|
|
247 |
4 |
|
|
|
298 |
40 |
|
24 |
248 |
6 |
32 |
|
|
|
299 |
8 |
|
|
250 |
17 |
|
|
|
300 |
3 |
0 |
|
252 |
9 |
79 |
|
29 |
301 |
0 |
45 |
|
25 |
261 |
0 |
258 |
|
|
|
302 |
4 |
|
|
262 |
3 |
|
|
|
303 |
3 |
|
|
263 |
31 |
|
|
|
304 |
3 |
|
|
264 |
17 |
|
|
|
305 |
0 |
|
|
265 |
20 |
|
|
|
306 |
2 |
|
|
266 |
42 |
|
|
|
307 |
16 |
|
|
267 |
32 |
|
|
|
308 |
17 |
|
|
268 |
53 |
|
|
|
309 |
0 |
|
|
269 |
39 |
|
|
|
310 |
0 |
56 |
|
270 |
21 |
12 |
|
30 |
311 |
6 |
49 |
|
26 |
271 |
37 |
213 |
|
|
|
312 |
10 |
|
|
272 |
21 |
|
|
|
313 |
12 |
|
|
273 |
20 |
|
|
|
314 |
13 |
|
|
274 |
27 |
|
|
|
315 |
8 |
|
|
275 |
0 |
|
|
|
316 |
0 |
|
|
276 |
13 |
|
|
|
317 |
0 |
|
|
277 |
28 |
|
|
|
318 |
0 |
|
|
278 |
29 |
|
|
|
319 |
0 |
|
|
279 |
38 |
|
|
|
320 |
0 |
|
|
280 |
0 |
23 |
|
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|
|
|
|
27 |
281 |
15 |
101 |
|
|
|
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282 |
1 |
|
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|
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|
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|
283 |
0 |
|
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|
|
|
|
|
284 |
0 |
|
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|
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|
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285 |
0 |
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|
286 |
15 |
|
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|
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|
|
287 |
14 |
|
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|
|
|
|
|
|
288 |
18 |
|
|
|
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|
|
|
|
289 |
23 |
|
|
|
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|
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|
290 |
15 |
50 |
|
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|
|
| 四角、と書いてある欄が、四角枠の数である。概ね20巻のジャイロのあたりから、この四角枠表現が使われはじめているとしてカウントした。 注意して読みなおすと、わりとはっきりわかるが、25巻の262話の最後、宮殿に突入するところからこの表現がばんばん使われはじめることになる。 実際、数値にもそれは表れている。25巻から四角枠の数は一挙に増加する。 ただしこれもすぐにわかるところだが、この四角枠は漸減していく。 話がほぼ片づいて、王とコムギが最期を迎えるところではもう使用されない。 つまり、かなり意図的に使用された表現――しかも、かなり限定された期間のみに使用された表現、と言っていい。 ここで、こんなデータもある。
雑誌の連載期間を示したものだが、「HUNTER×HUNTER Hiatus
Chart」というところにあったものに、僕がちょっと加工を加えた。 赤い数字は単行本の巻数。矢印はその範囲を示している。 すぐ気づくと思うが、25巻以降は、基本的に単行本一巻分の連載を続けたあと、休載期間に入る、という形になっている。 これはただの推測にしかならないが、一巻分を目安に話を作り、そこまでやってまた次を考える、という形をとったのかもしれない。 あるいは、24巻までの経験から、単行本一冊ぶんずつ仕上げたほうが都合がいい、という結論に達したのかもしれない。この辺は何とも言えないところである。
ただ、この特異な「四角枠表現」を使いはじめたのは、かなり意図的なことだというのは間違いない。実際、文体がまったく変わっているといってもいいのだから、作者はかなり注意して使わざるをえないだろう。 上記の表にある「間隔」というのは、次の話がはじまるまでのジャンプの号数を示している。ちなみに年間のジャンプの号数は、だいたい48号。 25巻、つまり261話がはじまるまでは、79号ぶん、二年近くが空いている。 これが準備期間とすれば、やはりこの表現方法を選択したのは、かなり意図的だと言わざるをえないだろう。
休載期間中に何をしてたのかは、もちろん僕は知らない。 ただ、話を作るにあたって、ほぼラストまで決めていたことは間違いないような気がする。 それは例えば、GI編を見てもわかることではある。 対レイザー戦のとき、ドッジボールのラストは、たぶん16巻157Pのところで決まっていたのだろう。最後に反射させるところである。 名簿(ゴンが最初に入って、ゴレイヌが次だった、というやつ)とクリア報酬アイテム(ビスケのブループラネットをふくめて、アイテムが三ついること)も、かなり前の段階で決定していたようである。 18巻の説明が正しければ、13巻時点(ゴンがジャンケンに勝って最初にゲーム内に入った)で、この終わりかたは決定していたことになる。 まあ、ある程度のストーリー調整は可能だろうから、何とも言えないところではあるのだけど。
とはいえ実際、このマンガは芸が細かい。 10巻23Pのフクロウが生きていることを示したコマ(クロロの能力説明から、生きている必要がある)。23巻191Pのモウラが煙であることを示すために、吹きだしに印がついていないこと。24巻43Pの対決のシーンで、右下にかなり小さくモウラを描いていること。28巻152Pの、ネテロに開腹の傷痕があること(ただ、こんな切りかたするのかな、という疑問は多少ある)など。GI編のカードやアイテムなんかは、面倒なので読む人のほうが少ないだろう(僕も読んでいない)。
キメラアント編の最後に関しては、パームの能力のあたりで決めていたのではないかと思う。 つまり、最初の段階では、パームの能力はどっちかというと占いに近かったように見える。でないと、どうやってビスケを見つけたのかがわからない。 これが、20・21巻あたりの状況。 そこから考えると、24巻84P時点以前にキメラアント編のラストが決定されていたと推測することもできる。この段階で、見たものの動向を知ることができる、というふうになっているので。 28巻でのキルアの説明は、この経緯に対するフォローの意味も含まれているのだと思う。ある意味では良心的なフォローの仕方だと言えるかもしれない。 あくまで推測でしかないが。 まあ、かなりあとあとのことを細かく考えていたのは間違いないだろう。
では、あらためて。 作者は、何故この「四角枠表現」を使ったのだろうか?
以上のことを踏まえると、「終わらせかたまで考えたうえで、この表現が必要だった」と勘案することもできる。 つまり、キメラアント編にはそれまでとは違った文体が必要とされたのだ、と。 この四角枠表現には、最初にいったように「三人称的視点」の効果がある。 それは、俯瞰的な視点である。 宮殿突入後は、展開がかなり緊密になる。象徴的なのが、「タイムカウント」だろう。 このタイムカウントが消えるのは、ちょうど左図の300話のところ、ゴンとピトーが二人でアジトに向かうところである。 だから主に、突入後からこのあたりまでの展開上必要な表現だった、ととることもできる。
この表現というか、演出の利点は、一コマずつの意味あい≠ェ深くなることだろう。 絵で表現しきれないところを、文字で補う。特に、登場人物が言語化しきれない内面の思考や、状況の説明を、作者が代わって行うことができる。 あるいはそれは、作品に三人称的な意味あいを付加できる、といってもいいのかもしれない。 これは自由度≠ェ増すし――当然だが、増加した選択肢のぶんだけ面倒≠熨揩ヲる。 個人的な感想なのだけど、これはけっこう厄介な「後遺症」を残した気がしている。 マンガでも小説でも、「視点」というのはかなり厄介で(個人的には)、扱いを間違えると作品そのものが地に足の着かない状態になる。誰が・どこで・どう語っているのか、というのは物語の性格の大部分を決定する。ストーリーは、当然だがそれに影響される。
王とコムギの最後は、かなり感傷的といってよかった。別に文句はないし、あれでよかったのだろうとは思っているが、幕引きとしてはやはり感傷的だったろう。 これは演出(=四角枠表現)に引っぱられた部分もあったのではないかと思っている。 つまり、演出のためにストーリーを作ることになったのではないか、とも思うのである。 それはそれで構わないのだろうけど、問題はそれが『HUNTER×HUNTER』という作品からすると、かなり特異だった、ということだろう。 ……長期の休載には、そういう表現上の問題もあるのではないか、と勝手に思ったりもしている。作品の質が変化してしまい、思うように話を展開できなくなったのではないか、と。
その辺は、まあ何とも言えない。ただ最初に言ったとおり、「仕切りなおし」は必要だったのではないか、と思う。 少なくとも編集者はそうすべきだった、という気はしている。 正直、僕にはいくつか、わからないところがある。 例えば30巻から四角枠の文字の太さが変わっていることとか、時々首だとか死体だとかに規制表現みたいのがかかっているところとか。 あれって何のためなんだろう、と思うところがあるのだ。作者がやったとも思えないようなところが。 まあ、外野の言うべきことではないんだろうけど。
何にせよ、キメラアント編は作品に対して(つまりは作者に対して)、かなりの変質を迫るものだったと、個人的には思っている。 最初に言ったとおり、この四角枠表現は基本的なマンガ演出ではない……たぶん。 ただ、かなりのところまで行ってしまったので、簡単に修正できることでもないと思う。正直なところ、この表現はかなり成功している。 だから選挙編に関しては、個人的にはいまいちに感じている。そしてそれは、表現方法的な問題もあるのではないかと思っている。
作者がこれからどうするのかは知らない。 でも読者の立場としては、あまりうまくいく気はしていない。 だからこそ、32巻の時点でいったん終わるべきだったと思うし、長期休載をしていることについてはどうとも思わない。非難する気もない。 問題は、もっと別のところにあるのではないか―― 連載は再開されたそうだけど、正直なところ不安を感じている。 これからいったい、どうなるのやら。 |