「ホーリーランド」 について


 森恒ニ『ホーリーランド』(白泉社)はヤングアニマル(2000年20号)で連載の始まった格闘(?)マンガである。
 ストーリーは、いじめにあっていた少年が街で偶然「ヤンキー狩り」と呼ばれるようになり、騒動に巻き込まれていく、というもの。主人公は最初「ワン・ツー」しか出来ないという、要するに格闘技とはまるで無縁であるという設定。
 それは、よくある話かもしれない(もちろん、マンガとして)。
 ぱっとしなかった少年(=弱者としての主人公)が、段々強くなっていく、というパターンである。「強さ」という、ある意味、普遍的な価値観を基にして読者の感情移入を促す、という形式である。
 しかしながら、このマンガの気になるところは「現実的に路上(ストリート)でけんかをした場合」を、不思議なほどリアルに描いているところだ。なんだか、作者が本当に路上でけんかをしてたんじゃないかと思えるような……。
 例えば、一巻の129pで主人公が構えた時に周りの不良たちが笑い出して、その枠線の下に「けっこう笑われちゃうんだよナァ…」とちょこっと書いてあったりする。
 文面からすれば、本当に笑われた経験があるか、笑われたところを見たことがあるともとれる。何かを意図して書いたにしては、違和感がない。
 僕は、別にこの作者を知っているわけでも、調べたことがあるわけでもない(単行本を買うだけで、雑誌を見たこともない)。だから、これはただ「そうかなー」と思うだけの話で、馬鹿げた勘違いかもしれない。
 しかしまあ、読んでると「なるほどなぁ」という感じの話がよく出てくる。「この対角する袖の外側を掴むアクションを是非覚えていて欲しい!!」とか、「最も有効な武装とは何か――?」「それは防具だ!!!」とか、けんかの技術を熱く語ってくれる(これがけっこう面白い)。
 ただし、かといって『ホーリーランド』は、ただのけんかの技術書(?)ではない(というか、けんかの技術書ではない)。
 この作品のテーマは、「所在」である。自分の「居場所」のことだ。そのためのけんかの技術であり、けんかである。
 このマンガを読んでいて、僕が一番強く感じたのは、実のところ「少年誌」と「青年誌」の違いだった。
 少年誌の場合、格闘系のマンガ(『ドラゴンボール』とか『はじめの一歩』とか。話の種類は全然違うが、どちらも「強さ」の表現が過剰化していく、という点で共通する)では主人公はある意味で「無条件」に強くなっていくが、青年誌(というかホーリーランド)では主人公は単純に「強く」なっていきはしない。「強さ」に対して、それが「暴力」と同一であるというジレンマを抱え込む。というより、青年誌では「強さ」のための「強さ」というものを描いていないのかもしれない。
 少年誌と青年誌の根本的な違いは、社会に対する「立場」の違いなのかもしれない。

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