「ガンダム」 について


 『ガンダム』と聞くと、大抵の人はともかく名前くらいは聞いたことがあるはずだ。
 でも、富野由悠季というと案外知っている人は少ない(僕も、別に詳しくは知らないけど)。
 ガンダムの原作者で、監督である。早い話、ガンダムの生みの親だ。
 1941年に神奈川県に生まれた人で、虫プロで勤務していた人でもある。『∀の癒し』を読んでいると、何だかいろいろと確執のある人で、よくこれで物語を作っていられるなぁと感心する(本当に)。
 僕は、ガンダムが好きだ。小学生くらいにゼータやらダブルゼータやらを見て、『逆襲のシャア』や『F91』は今でも「これはすごい」と思っている。
 とはいえ、Vガンダムあたりから何か変になってきて、Gガンダムは、あれはあれでおもしろかったんだけど、Wガンダムからは「ちょっとなぁ……」という感じになってきた。
 そうして最近になって『ガンダムSEED』が始まって、しばらく見てたけど、結局見なくなってしまった。
 細かい文句は置いておくが、『ガンダム』というと作り手も何だか大変らしいし、第一、SEEDの中では「あれはガンダムではない」という設定が入ってる(何話目かで、主人公のキラ・ヤマトがOSの名前からつけた、という設定になってるはず。正式にはストライクとかデュエルとかいう名前。……でもこのネーミングもあんまり好きではない)。それに、やたらとガンダムが出てくるのも、BANDAIが「戦隊シリーズ」を意識してるからだとかいう気もするし、下手したらプラモのために……なんて気までしてくる。
 どうして、ガンダムはこうも続いてるんだろうか?
 ファーストなんかは、どんどん設定が細かく作られていって、シェア・ワールド的に話が作られていく。どうして誰もが『ガンダム』を作りたがるんだろう?
 『∀』が作られた時、過去の歴史をすべて「黒歴史」として埋めてしまったのは、複雑になりすぎたガンダムを一度ゼロに戻す意図があった、というふうなことを言った人がいるが、なんとなく賛成できる。
 でも、やっぱりガンダムは作られたし、これからも、多分つくられていくんだろうなぁと思う。そのことは、僕にはなんとなく納得のいかないことのような気がする。
 『ブレンパワード』とか、『ダンバイン』とか見てると、やっぱりおもしろくてどうも僕は富野監督の作品こそ好きだな、と思う。両親との葛藤とか、独り言でいろいろ解説してくれるところとか……。
 ガンダムはいろんな意味で社会現象になっている。そのうち「ガンダム学」とか出てくるかもしれない。
 それはそれで、おもしろそうだけど……。

戻る