おしゃべり


光害について

「光害(ひかりがい)」とは耳慣れない言葉かも知れません。光は本来暗闇を照らし、人々の夜の活動を支え、文明の象徴ともいえるものです。光が害になるとはどういうことかといいますと、本来気持ちのよくなるはずのピアノの音がうるさくて、精神的に不安定になる(隣家の人を殺すまでいった例があります)、ということを考えればわかりやすいのです。騒音や大気汚染、水質汚濁など、人々の生活に必要なものでも、度を過ごすと公害となります。光害もその一つなのです。

光害の実例として、夜間車を運転していて、対向車がヘッドライトのビームを上げたまま通り過ぎる場合を想定して見て下さい。運転手は眩しくて、前方の道路や人が見えなくなり、非常に危険な状態となります。これは車に限らず、種々の場合に起こりうることです。最近も宣伝のためと称して、屋上に回転サーチライトを備え、夜空を切り裂くような強烈な光芒を出しているホテルがあり、また、昼より明るい程の照明で照らしている遊技場(パチンコ屋)やガソリンスタンドも見受けます。これらの場合、近くの人や家では迷惑していることが往々にしてあります。

私たち天文研究者は宇宙の謎を解明しようと、天文台の望遠鏡で星の光を捉え、観測しています。その場合、星の光は非常に淡いので、付近が明るいと、観測に支障がでます。特に、照明が空に漏れると、夜空が明るくなり、星の光をかき消してしまいかねません。私たちは岡山県にお世話いただいて、「岡山天体物理観測所観測協力連絡会議」を結成(1972)し、近隣の自治体や商工会、水島コンビナートの企業、関係諸機関にお願いして、夜間照明の明かりが空にもれないようにご協力いただいています。

以下に、美星町の発行した冊子「光と闇との調和をめざして」に私が寄稿した文章を転載いたします。美星町は当所から北約10kmの吉備高原にある静かな町ですが、「美しい星空を守る美星町光害防止条例」(1989)を制定し、町立の天文台を運用している、光害防止の先進自治体です。この冊子は本年(2000)9月に「星空の街・あおぞらの街」全国大会が開かれ、その資料として編集・出版されものです。


 星の光を求めて

                                                       
                  前原英夫(国立天文台岡山天体物理観測所)

1.プロローグ                                                    188cm望遠鏡
 暗闇の中で目を凝らすと、ドームスリット越しに星々の輝きが迫ってくる。私は今ホームグラウンドである岡山天体物理観測所のドームにいて、目の前の暗闇には国内最大口径を誇る188cm望遠鏡がデンと構えている。制御室に戻り、コントロール用のパソコンの前に座っている同僚に、「空はいいよ。次に行こうか」と声をかける。彼は待ってましたとばかりキーボードを叩き、「ポインティング開始!」と叫ぶ。私はもう一度制御室から顔を出し、望遠鏡とドームが次の天体に向けて静かに動いていくのを見守る。天体の光を分光器に導き、シャッターを開けて露出が始まる。夜も更けて観測は快調に進み、静寂が戻ってくる、、、

 、、、突然何の脈絡もなく、昨日の東京出張の光景が脳裏に浮かんできた。数時間の会議を終え、そのままJRの駅に行き在来線に飛び乗り、東京駅で新幹線に乗り換え、座席に身を埋めた。仕事の緊張から解き放たれ、ホッとした気分で暮れなずむ首都の街に目を向ける。地表近くに目を向けると、忙しく点滅するネオンサイン、街路や建物の照明、広告板のライトアップの明かり等が扇情的に迫り、その中を紡ぐように車のヘッドライトが行き交う。目を上方に向けると、競い合うように屹立するビルの群が空を切り取り、無数の窓から明かりが漏れている。大気はどんよりと煙り、濁った白色でそれらの明かりを包み込んでいる。新幹線の窓越しで音は聞こえなくても、街の喧噪が耳の底に響くようだ、、、

 岡山の観測所と東京の大都会、、、静寂と喧噪、、、私は毎日の仕事の中で、このような大きな環境の変化に振り回され、その落差に目が眩み、心身共に疲れを感じることも多い。確かに、天文学の研究や望遠鏡・観測装置の整備を生業(なりわい)とする私のような人種は、世間一般から見ると異端であるかも知れない。しかしながら、都会の喧噪の中で、新しい製品を世に送り出し続ける企業や、コンピューターと高速交通網を縦横に駆使する商業やサービス産業の関係者でも、有り余る文明の産物に取り囲まれ、仕事に追いまくられる日常は、理想とはかけ離れていると感じるのではなかろうか。
                                                                     

2.岡山天体物理観測所

夕景 岡山天体物理観測所(OAO)は国立天文台付属の観測施設で、188cm望遠鏡と他の二つの望遠鏡を備え、全国の天文学研究者に年間約300日間公開している。主に大学の教官や大学院生や研究員といった人たちが、北は北海道から南は九州まで、あらかじめ割り付けられたプログラムにしたがってやってくる。約1週間の期間滞在し、観測し、えられた画像やデータを持ち帰るが、その数は年間のべ約300人に上る。天文学研究の最前線は時代とともに変化してきたが、1960年に東京大学の観測施設として開設されて以来、OAOは我が国の光の天体観測の前線基地としての役割を負い続けてきた。そして、現地の職員は望遠鏡を整備し、観測装置を開発・製作し、やってくる研究者を受け入れ、いわば宇宙の水先案内人の仕事をしている。


 観測所は岡山県南西部の竹林寺山頂(標高372m)に位置するが、サイトとしてこの地が選ばれた経緯は;気象関係者に協力をいただいて広く全国のデータを集め、天体観測の適地を選び出した。その結果3カ所の候補地域が選ばれ、実際にその場所に望遠鏡を持ち込んでテスト観測を行い、シーイング等も比較した上で、国内で最良の天体観測適地であるという折り紙が付けられた。実際この地域は温暖な瀬戸内気候帯に属し、晴天率が高く、大気が澄んでいて、災害が少ないという特徴がある。さらに、国道2号線、山陽道、JR在来線、新幹線、空港等の基幹交通網へのアクセスが容易だ。これらのメリットは研究者の行き来や、機器・装置の整備やメンテナンスの面から見て申し分ない。

 国立天文台は天文学分野の大学共同利用機関であり、本部を東京都三鷹市に置く。岡山の他にも、野辺山電波観測所や水沢観測センター等が付属の施設としてあり、また、2年前からハワイに観測施設を開設した。口径8.2mのすばる望遠鏡が9年かかりでマウナケア山頂に建設され、その初期成果がマスコミを賑わしているので、ご存じの方も多いことであろう。さらに、重力波検出装置等の最先端の装置を開発したり、日米欧でアンデスの高原に巨大な電波望遠鏡のアレイを作ることも考えている。このように、国立天文台はわが国の天文学研究の中枢機関として、国際的なプロジェクトを推進し、大型観測装置や高速計算機を全国の研究者に公開し、共同利用に供する体制を組んでいる。


3.星の光


 太陽系の第3惑星である地球は直径約1万3千キロメートルの大きさであるが、その表面には大気があり、海があり、生命にあふれている。地球に光を与え続ける太陽は1億5千万km彼方にある高温(6千度)のガス球であるが、中心では天然の原子炉が動いており、そのエネルギーによって光り輝いている。太陽は銀河系の中心から外れたところにある変哲もない星(恒星)であり、総数1千億個ほどの星々とともに銀河系を構成している。さらに遠くの宇宙を見ると、このような星の大集団である銀河が無数にあり、100億光年の彼方へと続いている。

 よく知られているように、星の明るさは1等星、2等星というように、等級で表す。1等級の差は光の量にして2.5倍の違いにあたり、1等星は6等星より100倍明るい。金星、木星や土星のような惑星は、明るいときには−4等星にもなり、月は満月には−12等級の明るさになる。私たちのごく近くにある太陽系の星々を除けば、もっとも明るいシリウスは−1.5等星、織女星(ベガ)は0等星、牽牛星(アルタイル)は1等星である。大多数の星はこれより暗く、肉眼で見える6等星までで、全天で数千個を数える。暗い星になるほど数が増え、天の川に密集しているが、20等星になると天の川1度四方に数万の星が数えられる。
   天の川
 OAOの188cm望遠鏡にCCDカメラを取り付け数10分の露出を行うと、23等星までの暗い星が写る。23等星というと、肉眼で見える星の1千万分の1の明るさであるが、これを喩えれば1,000km離れた場所に置いた1本のローソクを見るより暗い。例えば、東京は岡山から直線距離で1,000km以内であるが、ローソクを1本東京に置いたら本当に見えるのだろうか。とにかく、望遠鏡で観測するということは、このようにわずかな星の光をそうっとすくい上げていることがおわかりいただけると思う。ところで、実際に岡山から東京を見ようとしても、途中に山や障害物があり、また地球が丸いため、東京はおろか富士山でさえ直接見ることはできないが。

 暗い星の光を集める場合、背景の空が光っていると邪魔になる。満月が空にあると星が見えにくいことは日常的に経験するが、望遠鏡で観測する場合も同様である。専門的には、星と同じ面積(地上では大気のゆらぎのため本来点像である星に大きさがある)の空の明るさを測り、目安にする。自然の夜空でも本当に真っ暗ではなく、22等級くらいの明るさがあるものだが、OAOの夜空は20等級か、さらに明るい。その主な理由は、近隣の市街地や工場地帯、道路などにある夜間照明から、上空に漏れだした明かりが空を照らしているからである。本来有用であるべき照明に対して、このような状況を「光害」と名付けたのは私たちの先輩の天文学者である。


4.分光観測とスペクトル


 OAOでは天体や宇宙を研究する手段として、望遠鏡に分光器を取り付け分光観測を行っている。分光とは読んで字のごとく、星の光を分けることであり、その結果できる光の帯は「スペクトル」といわれる。日常的に見ることのできるスペクトルは虹であるが、これは大気中の水滴(雨粒)がプリズムの役目をし、太陽の光が7色の帯に分かれたものである。太陽はこのように種々の色の光を放射しているが、他の星も同様に、分光器を通すときれいなスペクトルができる。

 このスペクトルから何が明らかにされるのだろうか、、、天体のスペクトルを詳しく見ると、その中にいろいろな模様があることに気づく。これらはスペクトル線といわれるが、例えばナトリウムランプはナトリウム元素の黄色のスペクトル線で光り、そのため黄色く見える。同じように、炭素、窒素、酸素、鉄といった個々の元素毎に特有なスペクトル線があり、これらを詳細に解析することによって、その天体にどんな元素がどのくらいあるか明らかにできる。太陽を始め、多数の星は皆似かよった組成を持っていて、色やスペクトルの違いは温度の違いからきていることが明らかになっている。

 スペクトルを解析すると、そのスペクトル線の移動から、天体の速度を求めることができる。これは「ドップラー効果」といわれ、例えば救急車のサイレンの音の高さが、近づくときと遠ざかるときで変化することで実感できる。光も波であり、同じようにこの効果が現れるが、これを利用して光を出している天体の視線速度を決めることができる。さらに、個々の天体の運動を統計的に処理することにより、銀河系円盤の星々が秒速200kmを超える速度で回転していること、また、宇宙全体が猛烈な勢いで膨張していること、など宇宙のダイナミックな姿が明らかにされる。

 このように、遙か宇宙の彼方の天体に対し、元素組成や物理状態や視線速度が手に取るように明らかにできる。すなわち、分光観測は現代天文学の主要な観測手法の一つとして確立され、宇宙の根元に迫る重要な情報をもたらし、その新しい描像を明らかにしてきた、、、宇宙はビッグバン(大爆発)で始まり、水素とヘリウムから星が生まれ、星が死ぬとその物質が星間空間に還り、そこから次世代の星が生まれ、太陽や地球が生まれ、壮大なスケールの輪廻転生の中で地球上に生命が芽生えた、、、OAOは世界の多くの天文台と共同で、このような宇宙の謎解きに加わっている。


5.観測協力会と光害防止



 188cm望遠鏡は開所時に設置され、2年間にわたる立ち上げやテストを済ませ、1962年から本格的な研究観測を開始した。開所当時は下界には明かりがほとんど見えず、夜空は本当に真っ暗であった。しかし、1970年代に入ると、わが国の経済発展と呼応して、近隣地域に工場や商店や公共施設が次々と作られるようになった。特に水島と福山には多数の企業が合同して、わが国の経済力の象徴ともいえるコンビナート(工業地帯)が形成された。これらの企業の中には、製鉄の炉や自動車製造ラインなど、終夜操業する設備も多いが、観測所から見てそれぞれ南東と南西の方向で、10数キロメートルの距離にある。
光害
 また、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの個別の商業施設、あるいは遊技場やガソリンスタンド、ナイター設備を持つ運動競技場等が深夜まで明々とした照明を点けている。そして、国道や高速道には車のヘッドライトの帯が続いている。まるで、光のネックレスが幾重にも観測所を取り囲んでいるかのようだ。低い雲は下界の照明を反射して光り、回転サーチライトの光芒がその雲を切り裂くように動き回わる。地域の活性化や生産性と消費の拡大というかけ声に応じて、夜間照明が夜という静謐の時間を、昼と変わらぬものにしてしまった。
 
 ところで、観測所の誘致にあたって、岡山県(知事)と東京大学(総長)は覚え書きを交換した。岡山県は覚え書きの精神に基づいてOAOの活動を支援し、1972年には協力会という組織を結成した。この組織は正式名称を「岡山天体物理観測所観測協力連絡会議」といい、観測環境の保全を行うことが主旨である。メンバーとして周辺自治体とその商工会、コンビナートの企業、国道事務所、本州四国架橋公団などが加わっている。最重要課題は光害防止であり、2年に1回の頻度で全体会議を開催している。ところで、光害防止の基本は特に難しいことでなく、上方に光を漏らさないよう笠付きの照明器具を用いることと、使用しない時間は消灯することである。

 この観測協力会の趣旨に則り、県や地元の自治体には日常的に天体観測の環境保全に種々の配慮をしていただいている。例えば、空を照らす照明を改善するよう勧告し、照明付き運動場の夜間貸し出しに基準を設け、工場や大規模店舗の建設に際して、屋外照明の器具や設置方法等について協議し、適正な対処をするよう要請を行っている。最近では国道2号線のバイパス建設に際し、天体観測に配慮した道路照明を設置するよう建設省に求めた。また、当事者である私たちも、会議の席上でお願いするだけでなく、個々の事例について具体的な折衝を行っている。これらのことから、OAOの夜空はこれ以上大幅に明るくなることはないであろうと期待される。


6.エピローグ


 人工衛星から地上を見ると、日本は世界一夜の明るい国だそうである。これはわが国の活力の証拠というより、ずさんな照明によっていると見るべきであろう。過剰な照明は人間だけでなく、そこに生息する動植物にも悪影響を与える。例えば、ナイター照明のせいで稲の実りが悪くなった、通行する車のヘッドライトで鳥がねぐらを奪われた、浜辺で孵化した亀が海に帰れなくなった、などが光害の事例として報告されている。山の谷間に照明を当てて、紅葉を闇から浮かび上がらせ、客寄せをする話を聞いたが、そこに多くの動植物が生息していることを忘れていないだろうか。

 他方では、過剰な照明が電気エネルギーの浪費になることも見逃せない。日本は発電のためのエネルギーを火力、水力から原子力まで動員して得ているが、水力発電のダムは広大な土地を水没させ、火力は輸入した石油を大量に消費し、原子炉の建設や運用には少なからぬ予算が必要である。これらの資源からえたエネルギーを無駄に消費することは、資源小国として許されないことであり、極力省エネルギーに移行しなければならない。平成10年には環境庁が主導して「光害対策ガイドライン」を策定し、人工照明の設置や運用について、具体的なガイドラインを提示した。こうしてみると、観測協力会の精神は環境保護に通じていることがわかる。

 本来種々の設備や照明は、私たちの生活を快適にし、その活動を広げるために作られ改良されてきた。しかしながら、方法を誤り、あるいは度を過ごしてしまえば、かえって私たちの心身を損ねる危険性さえ包含している。生物学の教えるところによれば、ある生物があまりにも環境に適合する進化をすると、かえってその種族の絶滅を早めてしまうそうである。人類の文明が環境を制御し地球を支配するあまり、結果として滅亡へ向かう危険性を増してはいないだろうか。光害や公害は今や関係者が困っているだけの問題ではなく、国を挙げて有効な防止策を実施すべき時である。

 星の光を追い求める天文学者の視点からいえば、私たちは地球という天然の衛星に乗って、広大無辺の宇宙を旅している。銀河系の星間物質の中から太陽が生まれ、太陽系の惑星として地球が生まれ、生命はこの環境の中で発生し、長い年月をかけて進化してきた。その結果出現した人類は地球上の生命としては新参者である。その知能を有効に使い、地球環境や他の生物と調和した文明を花開かせるのが、強大な力を身につけた人類の掟である。天文台から宇宙を見ていると、足下のもろさも垣間見えるような気がしてならない。

以上