今昔空間 ――時を越えたぬくもりがある――

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所在地

かもがた町家公園
〒719-0243
浅口市鴨方町鴨方240
Tel 0865-45-8040

周辺の史跡

鴨山城跡と細川通董
 室町幕府管領ゆかりの細川氏が築城した168m連郭式山城。 戦国時代末期の武将であった城主の細川通董は、浅口郡の分郡守護として活躍。毛利元就に属し、元就から「連島」とも言われていた。

陣屋跡

鴨方藩陣屋跡
 岡山藩の支藩鴨方藩25,000石の所領支配の現地の拠点(政務の場)。 鴨方藩主は、岡山の天神山に住んでいた(初代藩主は、池田光政の次子政言)。
現在は、陣屋の石垣、井戸が残っている。

龍宮門(旧正伝寺山門)【浅口市指定文化財】
 1571年創建し、1897年(明治30年)廃寺となった浄土真宗の寺院の唐門。 鴨方高等学校がこの地にあった時期には、正門として親しまれた。

西山拙斎の墓碑

西山拙斎の墓碑
 岡山を代表する江戸中期の儒学者。大坂・京都などで儒学や医学を学んだ後、39歳で帰郷。 当時全国的に学風が乱れているのを嘆き、幕府儒官柴野栗山に朱子学を正学とする学制の統一を説き、 翌年老中松平定信が行った教育改革の「寛政異学の禁」につながった。

鴨神社
 「神社明細書(昭和2年)」には、836年の京都の加茂大明神を勧請した旨を記している。  近世史料には「加茂大明神」「加茂宮」とあり、1887年、鴨神社と改号した。

宮の石橋

宮の石橋
 鴨神社の随身門下にある6枚の長い石を反らせて整えた石橋。 「鴨方に過ぎたるものが三つある拙斎 索我 宮の石橋」と謡われた鴨方三奇のひとつ。


田中索我の墓碑

田中索我の墓碑
 江戸時代中期の絵師。京都で鶴沢探索に仕え画法を学ぶ。 仙洞御所の屏風や杉戸を描くのに関わり法橋上人位にも任ぜられた。 帰郷してからも活動を続け、備中に多くの作品を残している。

西山拙斎の私塾欽塾と居宅至楽居
 儒学者西山拙斎が京都での遊学を終え、39歳の時故郷に帰り、開塾した私塾。 拙斎は、64歳で居宅至楽居に没するまで子弟の教育に携わり、その後、次男の復軒が継いだ。

長川寺
 曹洞宗。西山宗久の開祖。戦国武将細川氏の菩提寺。本堂は1704年に建立。

浄光寺
 浄土宗。念誉西欣が創建し、後、細川道重の助力により再建。本堂は1760年に建立。

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